神道国際学会の第9回神道セミナーが3月27日、東京の國學院大学120周年記念一号館を会場に開かれた。テーマは「神道史研究の再考~時代区分の見直しと国際的・学際的アプローチ」。本会役員である国内外の日本研究者と宗教学者がパネリストを務め、神道史における新しい学術研究の方法論を探った。会内外から約200人が参加した。 コンビナーは梅田善美理事長。パネリストはアラン・グラパール常任理事(米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)、マーク・テーウェン理事(オスロ大学教授)、ジョン・ブリーン理事(ロンドン大学教授)、米山俊直副会長(京都大学名誉教授)、薗田稔会長(京都大学名誉教授・皇學館大学大学院教授)。ディスカッサントは阿部龍一理事(米国ハーバード大学教授)、三宅善信常任理事(金光教春日丘教会長)。 政治・経済・軍事的考察が不可欠(古代) グラパール教授  古代神道史研究への指標提示を試みたグラパール氏(ベルナール・フォール教授〈スタンフォード大学教授〉代読)は、延喜式神名帳に記載された式内社と朝廷との関係に基づき、古代神社のあり方と制度を見る場合には政治的、社会経済的、軍事的な観点からの考察が不可欠とし、同時にあらゆる側面から考えて仏教との関係性を無視することはできないと主張した。 “ジンドウ”から“シントウ”へ(中世) テーウェン教授  新しい支持層を開拓していく必要性に迫られた院政期の神宮に関して、新たなアマテラス像の登場があったことを指摘したテーウェン氏は、12世紀の『天照大神儀軌』、鎌倉後期の『鼻帰書』を取り上げ、広く人々の心を掴むための複合体としてのアマテラスを紹介した。十一王子、荒霊としての閻羅王、さらには泰山府君祭に役割を果たす神々なども盛り込んだアマテラスの新解釈が行なわれたとした。また、天道や冥道がテーマとして浮上したこと、僧侶の宝志が伊勢は大慈大悲であり浄・不浄を選ばないと主張したこと、大日如来や観音菩薩、薬師如来とも関連付けられたことなどを付け加え、「『儀軌』に出てくる神は死者を裁いて人々を往生させる神である」「『鼻帰書』では、渡会家行の語るところを通して神宮の神職は理論とは別に一般の人々に対して閻羅王を登場させた」と話し、「閻魔の宮殿としての伊勢があり、みんな死んだら伊勢に行き、裁かれる。『だから生きているうちに伊勢にコネを作ったほうがいいよ』と諭したようなもの」と説明した。そして、「浄・不浄も、穢れも顧みない中世の伊勢は古代とも近世・近代とも異質な伊勢である」とまとめた。 国家神道―地方統制の実体に目を(近現代) ブリーン博士  近世庶民の伊勢信仰、その行動の実態に焦点を当てた劉氏は、三河の豊田藩内の神明社を取り上げ、伊勢信仰の地域における拠点たる神明社への奉納行動について解説した。また、同じ庶民でも「羽田野敬雄や石田梅岩など史料の書き手としての庶民」と「記録を残さなかった、逆に描かれた庶民」に分かれるとし、「一般庶民は現世利益を求めたのに対し、いわば思想家としての庶民は、天照大神の末裔としての日本人という意識があり、国家意識があった」と論じた。 まとめ・質疑応答  このほか、米山俊直教授は悠久の歴史の文脈を考慮に入れて、神道観念のルーツや民間信仰として脈々と伝わったビリーフを考えるなど自由な発想も必要だと主張。薗田稔教授は比叡山の天台思想と日吉信仰を例に、神仏の一方の独占ではない日本の宗教世界観から考えて、宗教認識を探るための比較研究と、人間の営みとして構造的に捉える解釈学の重要性を指摘した。 パネリスト5人の講演を受けてコメントした三宅善信師と阿部龍一教授はそれぞれの印象や感想から神道研究における独自の視座を示した。 うち三宅氏は「割り切ったものは分かりやすいが条件が外されるとがらりと話が変わってしまう。神道は綺麗に築き上げた世界だけでなく、不条理も混沌も内包し、様々な人が様々な思いを寄せることのできる豊かな世界を形成している。だからこそ神道はかくも長く続いている」と話し、阿部氏は「西洋をモデルに神道研究を近代化していく学問のあり方は終焉を迎えているのではないか。その中心には神道と国家権力の関係を考えるあり方があったわけだが、それに研究者が少し振り回されすぎている。神祭りは変わりつつも連綿と続いている。地下の水脈みたいなものがあり、それこそ民衆信仰の基盤。日本の神々の信仰に異宗教や異文化を結びつけていく力があるなら、それこそが我々の神道研究の意味を豊かにしていくと思う」と語った。 続く質疑応答では、現実問題としての世界各地の宗教紛争に「神道」が果す役割が問われたほか、日本の皇位継承問題も出された。  なお、3月24日から30日まで、東京港区の高輪プリンスホテルで開催された「国際宗教学宗教史会議第19回世界会議」でも、神道国際学会は同じテーマでパネルを開催、日英の同時通訳を入れて、参加者から好評だった。 このページのトップへ

第8回神道セミナー「道教と日本文化」が平成16年3月13日、埼玉県秩父市の秩父神社で開催されました。参加者は、国内外の研究者や神職、一般の人々などおよそ300人で、神社への正式参拝に続いて同神社会館での講演を熱心に聴講しました。 基調講話は以下の4人で、アラン・グラパール・米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校東洋学部教授がコメンテーターを、薗田稔・秩父神社宮司・京都大学名誉教授(ISF常任理事)が総括を務めました。 開会として、中西旭ISF会長による主催者挨拶、深見東州副会長の「神道の真価値をひろく世界の人々に知っていただき、混迷する世界に平和と福利をもたらす一助となるように、努力を重ねていく所存です」とのメッセージが代読されました。 「海をわたった道教の神々」 王勇・中国浙江大学日本文化研究所長・教授    基調講話の王教授は、海を渡って日本で信仰された道教の神として「鐘馗」を例にあげ、日本の風土に合わせて性質や形を変化させた姿をスライドを使って紹介し「神様は神通力と自由自在さで海を渡り、人間以上に文化を伝えている」、さらに「広く東アジア全体を視野に入れて道教の神を研究すれば面白い」と語りました。 「日本の神社仏閣に見られる道教の要素」 河野訓・皇學館大學文学部神道学科助教授    続いて、河野助教授は、道教の社寺に与えた影響について各側面から解説しました。「中国から流入した宗教思想すべてが道教のものではない。また仏教も中国である程度、道教化されていたはず」と指摘。そして、日本で見られる道教の要素として「お札」と妙見信仰に着目し、吉田神道・霊符印と太上玄霊北斗本命延生真経・宝章の極似性を示しました。 「神道と陰陽道―江戸時代から今日まで―」 林淳・愛知学院大学文学部宗教学科教授  陰陽道を講義した林教授は「陰陽道とは何かを問うこと自体難しい。メディアイメージと研究領域でギャップがある」と切り出し、「陰陽道は〝メイド・イン・ジャパン〟。陰陽道という言葉自体が中国には無く、中国の歴史に当てはめるのはかなり強引」と、陰陽道の日本での成立と展開を概説しました。 日本における外来宗教受容の特色」平川祐弘・東京大学名誉教授・大手前大学教授    最後に立った平川教授は、日本における外来文化や外来宗教の受容の特色について、日本人の受容の態度と説明し、また、文化の交流は対等ではなく一方的であったこと、他宗教との接触で自宗教の自覚や再定義が進んだこと、仏教と既存の神道が共存する道を選んだこと、などを付け加えました。 総括    コメンテーターのグラパール教授は、外来神が日本で性格を変えることは興味ある問題だとし、日本に道教が存在したというのは誤りで、日本の宗教に大きな影響を及ぼしたとまでは言えない、とまとめました。 最後に総括に立った薗田宮司は、「樹木の根を神道に当てはめ、幹や枝葉を外来宗教に喩えて日本の宗教文化を説明する人があるとおり、それぞれの宗教が全体を活かすものとしてずっと来ている。縄文、弥生の時代から大陸との交流があるわけだから、日本にしかないものを期待しないほうがいい」「要素主義で一つの宗教を切っても意味は無い。組み合わせで、日本の歴史風土の中で育て上げた日本的な形――そこにポイントがあるというくらいの緩やかでオープンな気持ちが大切だ」などと神道研究における態度の在りようを主張しました。 このページのトップへ

第7回 「皇室と伊勢神宮」 平成15年3月8日 第6回 「神道における祭りの意義」 平成14年2月22日 第5回 「神道と外来宗教の出会い-日本における宗教変容のかたち」 平成13年8月19日 第4回 「日本の近現代に見る神道-教団の形成と新宗教の変換」 平成12年8月26日 第3回 「健康と霊性-神道の立場をさぐる-」 平成11年11月23日 第2回 「国家神道を検証する-日本・アジア・欧米から-」 平成10年11月7日 第1回 「神道の過去、現在、未来 」平成9年11月2日

必要事項(氏名(フリガナ)・住所・電話番号・Eメール)を記入の上、それぞれの方法でお申込みください。聴講は無料。先着200名様に聴講券をお送りします。 チラシをお持ちの方は裏面の申込み書に記入の上、郵送もしくはファックス Eメールでのお申込みは : event@shinto.org