「出雲と伊勢―古代王権と聖なる空間」

10月26日に国際神道セミナー「出雲と伊勢―古代王権と聖なる空間」を開催しました

seminar本会は平成25年10月26日、遷宮を記念する国際神道セミナー「出雲と伊勢―古代王権と聖なる空間〈二大聖地のルーツと変容に迫る〉」を東京・六本木の政策研究大学院大学・想海楼ホールで開催しました。約160人の聴衆の方々に参加していただきました。【第1部】の基調講演では、本会の栗本慎一郎会長(元有明教育芸術短期大学学長)が「古代王権と出雲・伊勢」と題して話し、続く【第2部】のパネルディスカッション「出雲と伊勢―聖なる空間」では、パネリストのファビオ・ランベッリ理事(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)が「伊勢・出雲の聖なる空間における国際感覚の変容」、ジョン・ブリーン副会長(国際日本文化研究センター教授)が「近代的聖地としての伊勢」、マイケル・パイ理事が(マールブルク大学名誉教授)が「お伊勢参りと巡礼」と題して、それぞれ講話を行いました。

~~講演とディスカッションで「聖地」変容の様相に迫る~~

▼開会にあたり三宅善信理事長(金光教泉尾教会総長)が、本会の目的に関連して、海外研究者も含めて日本文化の研究に取り組むという活動内容を紹介しました。
▼基調講演の栗本会長は、東アジアの古代王権において二重制や連合制、連立制を採った事例を取り上げるとともに、日本の古代史の勢力興亡と、同体制の採用・不採用との関連性を考察しました。

CIMG9363▼講演に対して三宅理事長は、「王権の二重性や聖方位などをご教示いただき、聖なる空間、聖地について理解を深めることができた」とコメントしました。
▼パネルディスカッションに入って、まずランベッリ理事は、中世の神道説の国際感覚について、伊勢神道といえども日本神話だけで充分とは考えず、密教や宋学を導入するプロセスがあったとし、「神社における仏教や中国思想の在地化・土着化がある一方、神社のシンボリズムの普遍化も起こった。その意味で神道は、産物を日本固有のものにするという国際感覚の変換装置でもあった」と話しました。
▼ブリーン副会長は伊勢の近代に焦点を当て、庶民の巡礼地から、政治秩序を表現する地・天皇の聖地に変わった歴史があるとの観点から、伊勢の「浄化」作業に関わった人物や団体、さらに、歓楽街だった古市地区の改変などを取り上げ、「聖地には儀礼性や伝説的な出来事がある。しかし同時に、その変遷や政治性を抜きに考えることはできない」と説きました。
▼パイ理事は伊勢への宗教的な旅について考察する目的で、宗教文化要素の中から「絵馬」や「お巡り」や「朱印」などの事例をスライドで紹介し、そこには神道から仏教へ、仏教から神道へと双方向で影響を与えたものがあったとして、参詣という行為は「単なるお参りではなく、新たな体系を作ることでもあるということがうかがえる」と述べました。
▼以上、三氏の講話を受けて、コーディネーターの岩澤知子常任理事(麗澤大学准教授)は、「聖地とは何かという問いに対して、宇宙論的なレベルでの意味づけのみならず、歴史的・社会的・政治的レベルでの意味づけについて議論していただいた」とまとめるとともに、「聖地」は、最近の巡礼ブームに見られるような個人の精神的変容をもたらす場として機能するのみならず、各々の時代のナショナル・アイデンティティを象徴する場にもなってきた、という多義的な側面を強調しました。
▼このあと、講演とディスカッションに対しての会場からの質疑に各氏が応答し、聖地のあり方や変容について理解を深めました。
▼閉会にあたって挨拶した芳村正徳理事(神習教教主)は、「一つのことを様々な角度から眺めることによって深めることができる。今、多くの皆さんの関心が寄せられている伊勢や出雲が、こうした試みによって、また輝いていくことを願っている」と話し、「出雲・伊勢」という聖地の意義を多角的に捉えた今回のセミナーの成果をまとめました。

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会長挨拶

先生栗本2平成25年1月から神道国際学会会長をおおせつかった栗本慎一郎でございます。 学会創成期からの理事でありながら、これまで必ずしも表立って活動してこなかったことを、ここで改めて反省して学会の発展に全力 を尽くしたいと思います。

これまで学会は国際的かつ国内的に有意義なシンポジウムやセミナーを多数開催し てきましたが、研究のテーマが日本古代史および天皇制論に関わるような場合、あえて論争のあるべき場所で論争が起こらないように 舵を取ってきたかもしれません。「国際」をうたう以上、論争をあえて呼ぶ少数意見には触れないのが正しいということも十分以上理 解されますが、この分野で意見対立があることは日本の諸分野の諸学会のうちでもきわめて顕著でかつ一般の人にも日本では十分周知 のことです。その意味で、国際的にもそうした論争がある状況を理解していただいてもいいのではないか、そのほうが学問的にも公平 ではないか、日本以外の研究者のそれらについての意見や研究を持ち込んでもいいのではないかと愚考いたします。

したがって、学会の活動も、いわゆる神道学、宗教学から隣接の文化人類学、歴史 学、政治学、哲学、社会学などの分野との交流を怖れず活発化させるべきだと思っております。私自身の専門が、歴史人類学および古 代史、精神史に大きく比重をかけている経済人類学でありまして、最近著『全世界史』などでは強く比較宗教史に踏み込んでいるわけ でありますし、今年のテーマ「出雲と伊勢」などで学会としても表面をなでるだけの天皇論、神社論を展開するわけにも行かないと思 います。つまるところ、石橋がないのだから石橋を叩いては渡れない、のが神道研究なのではないでしょうか。もともと波風のある分 野なのですから、波風を決して拒まずにかつ怖れずに頑張ろうと思います。

栗本慎一郎