Category: セミナー・シンポジウム

日本の伝統的宗教文化であり、プリズムのように多くの面を持つ神道。神道セミナーでは、そのプリズムに光をあて、さまざまな色に反射する神道の姿を見ていきます。毎年、日本のどこかで、世界各地から招かれた研究者や実践家が、講話や映像で神道について解説をする神道セミナー。ぜひご参加ください。

第11回神道セミナー「祭りと遊び、そして神事芸能」

第11回神道セミナー「祭りと遊び、そして神事芸能」が2月25日、東京都千代田区の紀尾井小ホールで開催された。神事・祭礼における遊び、芸能の重要性について考察した。神楽の代表格の一つ、岩手県の早池峰神楽(国指定重要民俗文化財)から「岳神楽」が上演され、イスラエル国テルアヴィヴ大学準教授のイリット・アヴェルブッフ氏が「私が早池峰岳神楽に魅了されたわけ」と題して講話を行なった。また、三重県四日市市の「鯨船神事」のDVD上映では國學院大学助教授の茂木栄氏(本会理事)が解説した。さらに京都大学名誉教授で秩父神社宮司の薗田稔氏(本会会長)が「祭りと遊び、そして神事芸能の意義」と題して基調講話を行なった。午前の部と午後の部の2回で延べ450人が参加した。 早池峰岳神楽が伝える演目は約40番あるが、今回は「鶏舞」「三番叟の舞」「天降りの舞」「権現舞」の計4番が上演された。テンポがよく、男性的で激しい動きが特徴の岳神楽に、参加者は身を乗り出して盛んな拍手を送っていた。 「本物の神楽――呪術的なパワーが私を魅了する」 アヴェルブッフ氏 「修験道研究で日本に来たとき、勧めもあって岳神楽の正月の舞初めを見に行った。そしてその夜、私は神楽と恋に落ちました」と笑わせて講話を始めたアヴェルブッフ氏は、弟子入りして本格的に岳神楽を習い、舞手もつとめた経験を含めて、岳神楽の特性と魅力を語った。 「岳神楽の魅力の元は、何といってもこれが本物であること」と強調し、呪術力を秘めた山伏儀礼の特徴や、構造・振り付けに見られるシャーマニスティクな要素など、神楽一般に見うけられる性格が岳神楽には明確に現れているとした。日中に演じる正式な表舞と、略式で夜に舞われる裏舞が存在する式舞、ゆったりとしたペースと速いペースの組み合わせなど、二部構造にも着目。刀には真剣を使うといったパワーの演出などにも触れた。 そして、「呪術的に優れた刺激的な舞。舞手から放射されたエネルギーが直接的に伝わってくる。岩手の冬の寒さの中でも、舞が始まったときからエネルギーの波を感じ、汗が出てきた」と当初からの感覚を語ったうえで、「舞の技能、呪術力の象徴、儀礼構造、神様の顕現……。舞そのものの中でそれらが混合し、そのパワーに私は魅了されたのです」と打ち明けた。 「祭りと遊びの力が公害訴訟での団結力にも」 茂木栄氏 DVDの上映では、三重県北勢地方に伝わる鯨船神事のうち、一度解散しながら昭和62年に、23年ぶりに復活を果たした四日市市磯津・塩崎神社の同神事が紹介された。解説の茂木氏は、江戸時代の捕鯨の様子を儀礼的に再現する鯨船神事を説明するとともに、復活した祭りの最後で涙を見せた保存会青年部の若者たちの気持ちの背景に迫った。 そこには石油化学コンビナートの町、四日市市の公害訴訟で大企業を相手に勝訴して、全国各地の公害闘争と公害克服に先鞭をつけた漁村・磯津の人々の団結があったとし、「祭りが村の団結力を支えたという意味で、〝遊び〟の持っている大きな力を、ここ磯津の神事に見てとれる」と話した。 「遊びという捉え方が根源的な文化の源」薗田稔氏 基調講演で冒頭、薗田氏は神道国際学会の活動と理念を会長の立場から紹介した。 続いて日本人の宗教観念について、西欧の宗教概念では説明できない、古代から育て継承してきた生活文化の営みとして捉えるよう理解を促した。 またテーマである「遊び」については、祭祀に関わって古くから使われた言葉だとして、霊魂の慰撫、魂鎮めや魂振りにおける「遊ぶ」「遊ばせる」の概念から解説した。また日常の世界から離れた特定の時間と空間に限られた中で活きる「遊び」という意味合いも加えた。「〝遊び〟という捉え方が人類の根源的な文化の源であり、まさに遊びの中で、共同の創造力が発揮される。そこには我々が継承している文化の営み、祭りや神事芸能も入ってくる」と説明した。 ◆小國朋身・早池峰岳神楽保存会会長に聞く◆ 出演した小國会長によると「地元の集落を回るときは、その場で演目の注文が出たり、目の肥えた人から呼び声がかかったり、見る人の熱気が伝わってくることで、こちらも次第に気合が入っていく。そこに互いのコミュニケーションが成立していく」のだという。 ステージでの公演も多いが、その場合どうしても「民俗芸能」「伝統芸術」として捉えられてしまいがちだ。 「その点、今回は『神道セミナー』ということで、ホールの舞台でありながら、いわば宗教的な心づもりで場に立てた。こういう経験は初めてで、とても貴重だった。個人が舞うというよりも、場の中で神様に踊らされる雰囲気になっていくのが本意だから、会場の皆さんにも、そのあたりが伝わったと思っています」 ※ 今回の神道セミナー講演録はDVDとともに制作予定(非売品)で、会員の方限定で配布させていただきます。 入会ご希望の方は「入会案内」ページ(こちらをクリック)をご参照いただくか、事務局までお問い合わせください。 このページのトップへ

第10回神道セミナー「森に棲む神々」

本会主催の第10回「神道セミナー」が3月19日、京都市左京区の京都会館で開かれた。年一回恒例の公開講座で、今年のテーマは「森に棲む神々――講話と映像と歌曲でつづる自然との共生の道」。後援はNPO法人社叢学会と国際京都学協会。約250人の参加者が最後まで熱心に聴講した。 総合モデレーターは本会の三宅善信常任理事。基調講話を新木直人・賀茂御祖神社宮司が行なった。また関連講話としてアレックス・カー本会理事が「犬と鬼―知られざる日本の肖像」、鎌田東二・京都造形芸術大学教授が「異教に見る森の神々―神道とケルト」と題して話した。     映像上映では「日本は森の国」(制作・著作=社叢学会)全五巻のうち二巻が披露された。歌曲ミニリサイタル「日本の四季を歌う」ではソプラノ歌手の薗田真木子さん、ピアノ奏者の谷有希子さんが「中国地方の子守歌」「さとうきび畑」などのほか日本の童謡・唱歌のメドレーを披露。また参加者も加わって「赤とんぼ」を合唱した。 神道セミナーの開会にあたり、本会の薗田稔会長は「国家神道そのものが神道という誤解と偏見がいまだ根強い。それを拭うのも本会の役目だが、人心荒廃のなかで次世代に日本文化を伝える面もある。神道を中心とした伝統文化の再評価、また関心の高まっている地球環境の保全にどう関わるか――。国内外の研究者や運動家と融合しながら本会の発展を目指したい」と挨拶した。 「糺の森」の祭祀――自然から力を頂く古風の祭り   新木直人宮司     基調講話では賀茂御祖神社(下鴨神社)の新木宮司が、「糺の森」として知られる同神社と、その森の来歴について、そこで行なわれた祭りに込めた人々の思いなどとともに話した。 同宮司は、古文献から洛中洛外の森・杜・林をピックアップし、うち(1)比較的規模の大きな「森」に対し小規模なのが「杜」である(2)景観美と見られた寺院の森に対し、自然そのものとして信仰の対象となったのが神社の森である(3)森や山を拝するから林も「はやし」とされた、などと推測した。 「糺の森」の範囲の変遷や呼称の由来を紹介するなかで同宮司は、「木だけ密集するのが森かといえば必ずしもそうではない。森の中に人も住み、田も畑もある」とし、古代からのたたずまいを近世まで保ち続けた「糺の森」の貴重さを語った。 同宮司はさらに、皇室との関係が深くなって以降、関連の社殿造営や旧跡、奉幣の官祭があるものの、祭祀遺跡の調査結果などから推測すると、氏神として、あるいは人々の祈願としての「糺の森」の祭りが存在すると強調した。「社殿ではなく、昔ながらのお祭りを森の中で行なう。荒ぶる地霊を祭り、同時に森そのものをも祭る。人間では測り知れない木々の力――その力をいただくことが、例えばミアレ神事の根源にはある」などと話した。 国栄えて山河なし〟――コンクリート漬けを憂慮  アレックス・カー氏    続く関連講話でカー理事は、「日本は森の国。森が残るのは日本の特徴だが、果たして今、伝統思想どおり木や自然や森を大事にしているだろうか」と問題を提起。スライドにより、自然を崩して造成された護岸や林道側壁、各種モニュメントや都会の看板・ネオンなどを示し、「〝国栄えて山河なし〟――日本という国そのものが彫刻化され、コンクリート漬けされてしまった」と憂慮した。「故事に、鬼を描くのは易しいが犬や馬は難しい、というのがある。目立って吃驚させることが大事で、身の回りの当たり前のことに意を注ぐことができなくなっている」と、日本人の嗜好の変化や行政の問題も指摘し、「日本には神宿る神秘がぎりぎり残っている。神道の信仰に救われて、神秘や伝統が助けられればいい」と話した。 神道とケルト――詩的感性や「もののあわれ」に共通の精神 鎌田東二教授     もう一人、関連講話を担当した鎌田教授は、神道とケルトにみえる精神性の共通土台を探るため、十八世紀から二十世紀に登場した人物群に焦点を当てた。十八世紀の本居宣長、上田秋成、ゲーテ、十九世紀の平田篤胤、ウイリアム・ブレイク、二十世紀の折口信夫、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、イェイツらを取り上げた。宣長や秋成、ゲーテにみる詩的な感性、歌詠みの心、モノ感覚、「もののあわれ」的な心性を分析し、「モノは単なる物質ではなく、霊性とか人格性につながる。この感覚を再認識して、一つの土台にしている」と解説した。さらに日本の場合、「モノにまつわる神性感覚があるからこそ、儀式も単なる形式事でなく、魂を入れる感覚を重視した」と話し、それがさまざまな供養文化や日本人の物作り、産業技術にもつながっていると強調した。ブレイクや篤胤も、想像力を駆使ししつつ霊的感覚を学問的に探求、表現したとした。最後に、「もののあわれ、もののけ、さらには物づくり、物語りをも含むようなモノ感覚から日本的霊性を語っていきたい。それは神道の森の感覚と根本から通じるのではないか」と語り、日本思想の探求に向けた座標を提示した。     質疑応答では、「森の国」日本と日本人の今後の課題に関わるような質問が出された。講師陣は「古代人は森の中に生活していた。そこは同時に神様の住まいでもある。日本の神様は生活の中におられる」(新木氏)、「絶望ではなく、これからも木を愛することが大事。ただそれだけではないか」(カー氏)。「霊性を含むモノ感覚を人々の心にどう波動として与え、心を変えていくのか。人々の感覚をどう組み立て直すのかが課題」(鎌田氏)などと示唆を与えた。 閉会を前に、モデレーターの三宅常任理事はセミナーを総括するとともに、「学術的に極める。同時に、世界では神道という言葉がネガティブに見られる部分があるので、それを乗り越えて日本の精神を広く発信していくことも大切だ」と語った。また閉会挨拶では本会の梅田善美理事長が各位に謝意を表した。 このページのトップへ

第9回神道セミナー「神道史研究の再考」

 神道国際学会の第9回神道セミナーが3月27日、東京の國學院大学120周年記念一号館を会場に開かれた。テーマは「神道史研究の再考~時代区分の見直しと国際的・学際的アプローチ」。本会役員である国内外の日本研究者と宗教学者がパネリストを務め、神道史における新しい学術研究の方法論を探った。会内外から約200人が参加した。 コンビナーは梅田善美理事長。パネリストはアラン・グラパール常任理事(米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)、マーク・テーウェン理事(オスロ大学教授)、ジョン・ブリーン理事(ロンドン大学教授)、米山俊直副会長(京都大学名誉教授)、薗田稔会長(京都大学名誉教授・皇學館大学大学院教授)。ディスカッサントは阿部龍一理事(米国ハーバード大学教授)、三宅善信常任理事(金光教春日丘教会長)。 政治・経済・軍事的考察が不可欠(古代) グラパール教授  古代神道史研究への指標提示を試みたグラパール氏(ベルナール・フォール教授〈スタンフォード大学教授〉代読)は、延喜式神名帳に記載された式内社と朝廷との関係に基づき、古代神社のあり方と制度を見る場合には政治的、社会経済的、軍事的な観点からの考察が不可欠とし、同時にあらゆる側面から考えて仏教との関係性を無視することはできないと主張した。 “ジンドウ”から“シントウ”へ(中世) テーウェン教授  新しい支持層を開拓していく必要性に迫られた院政期の神宮に関して、新たなアマテラス像の登場があったことを指摘したテーウェン氏は、12世紀の『天照大神儀軌』、鎌倉後期の『鼻帰書』を取り上げ、広く人々の心を掴むための複合体としてのアマテラスを紹介した。十一王子、荒霊としての閻羅王、さらには泰山府君祭に役割を果たす神々なども盛り込んだアマテラスの新解釈が行なわれたとした。また、天道や冥道がテーマとして浮上したこと、僧侶の宝志が伊勢は大慈大悲であり浄・不浄を選ばないと主張したこと、大日如来や観音菩薩、薬師如来とも関連付けられたことなどを付け加え、「『儀軌』に出てくる神は死者を裁いて人々を往生させる神である」「『鼻帰書』では、渡会家行の語るところを通して神宮の神職は理論とは別に一般の人々に対して閻羅王を登場させた」と話し、「閻魔の宮殿としての伊勢があり、みんな死んだら伊勢に行き、裁かれる。『だから生きているうちに伊勢にコネを作ったほうがいいよ』と諭したようなもの」と説明した。そして、「浄・不浄も、穢れも顧みない中世の伊勢は古代とも近世・近代とも異質な伊勢である」とまとめた。 国家神道―地方統制の実体に目を(近現代) ブリーン博士  近世庶民の伊勢信仰、その行動の実態に焦点を当てた劉氏は、三河の豊田藩内の神明社を取り上げ、伊勢信仰の地域における拠点たる神明社への奉納行動について解説した。また、同じ庶民でも「羽田野敬雄や石田梅岩など史料の書き手としての庶民」と「記録を残さなかった、逆に描かれた庶民」に分かれるとし、「一般庶民は現世利益を求めたのに対し、いわば思想家としての庶民は、天照大神の末裔としての日本人という意識があり、国家意識があった」と論じた。 まとめ・質疑応答  このほか、米山俊直教授は悠久の歴史の文脈を考慮に入れて、神道観念のルーツや民間信仰として脈々と伝わったビリーフを考えるなど自由な発想も必要だと主張。薗田稔教授は比叡山の天台思想と日吉信仰を例に、神仏の一方の独占ではない日本の宗教世界観から考えて、宗教認識を探るための比較研究と、人間の営みとして構造的に捉える解釈学の重要性を指摘した。 パネリスト5人の講演を受けてコメントした三宅善信師と阿部龍一教授はそれぞれの印象や感想から神道研究における独自の視座を示した。 うち三宅氏は「割り切ったものは分かりやすいが条件が外されるとがらりと話が変わってしまう。神道は綺麗に築き上げた世界だけでなく、不条理も混沌も内包し、様々な人が様々な思いを寄せることのできる豊かな世界を形成している。だからこそ神道はかくも長く続いている」と話し、阿部氏は「西洋をモデルに神道研究を近代化していく学問のあり方は終焉を迎えているのではないか。その中心には神道と国家権力の関係を考えるあり方があったわけだが、それに研究者が少し振り回されすぎている。神祭りは変わりつつも連綿と続いている。地下の水脈みたいなものがあり、それこそ民衆信仰の基盤。日本の神々の信仰に異宗教や異文化を結びつけていく力があるなら、それこそが我々の神道研究の意味を豊かにしていくと思う」と語った。 続く質疑応答では、現実問題としての世界各地の宗教紛争に「神道」が果す役割が問われたほか、日本の皇位継承問題も出された。  なお、3月24日から30日まで、東京港区の高輪プリンスホテルで開催された「国際宗教学宗教史会議第19回世界会議」でも、神道国際学会は同じテーマでパネルを開催、日英の同時通訳を入れて、参加者から好評だった。 このページのトップへ

第8回神道セミナー「道教と日本文化」

第8回神道セミナー「道教と日本文化」が平成16年3月13日、埼玉県秩父市の秩父神社で開催されました。参加者は、国内外の研究者や神職、一般の人々などおよそ300人で、神社への正式参拝に続いて同神社会館での講演を熱心に聴講しました。 基調講話は以下の4人で、アラン・グラパール・米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校東洋学部教授がコメンテーターを、薗田稔・秩父神社宮司・京都大学名誉教授(ISF常任理事)が総括を務めました。 開会として、中西旭ISF会長による主催者挨拶、深見東州副会長の「神道の真価値をひろく世界の人々に知っていただき、混迷する世界に平和と福利をもたらす一助となるように、努力を重ねていく所存です」とのメッセージが代読されました。 「海をわたった道教の神々」 王勇・中国浙江大学日本文化研究所長・教授    基調講話の王教授は、海を渡って日本で信仰された道教の神として「鐘馗」を例にあげ、日本の風土に合わせて性質や形を変化させた姿をスライドを使って紹介し「神様は神通力と自由自在さで海を渡り、人間以上に文化を伝えている」、さらに「広く東アジア全体を視野に入れて道教の神を研究すれば面白い」と語りました。 「日本の神社仏閣に見られる道教の要素」 河野訓・皇學館大學文学部神道学科助教授    続いて、河野助教授は、道教の社寺に与えた影響について各側面から解説しました。「中国から流入した宗教思想すべてが道教のものではない。また仏教も中国である程度、道教化されていたはず」と指摘。そして、日本で見られる道教の要素として「お札」と妙見信仰に着目し、吉田神道・霊符印と太上玄霊北斗本命延生真経・宝章の極似性を示しました。 「神道と陰陽道―江戸時代から今日まで―」 林淳・愛知学院大学文学部宗教学科教授  陰陽道を講義した林教授は「陰陽道とは何かを問うこと自体難しい。メディアイメージと研究領域でギャップがある」と切り出し、「陰陽道は〝メイド・イン・ジャパン〟。陰陽道という言葉自体が中国には無く、中国の歴史に当てはめるのはかなり強引」と、陰陽道の日本での成立と展開を概説しました。 日本における外来宗教受容の特色」平川祐弘・東京大学名誉教授・大手前大学教授    最後に立った平川教授は、日本における外来文化や外来宗教の受容の特色について、日本人の受容の態度と説明し、また、文化の交流は対等ではなく一方的であったこと、他宗教との接触で自宗教の自覚や再定義が進んだこと、仏教と既存の神道が共存する道を選んだこと、などを付け加えました。 総括    コメンテーターのグラパール教授は、外来神が日本で性格を変えることは興味ある問題だとし、日本に道教が存在したというのは誤りで、日本の宗教に大きな影響を及ぼしたとまでは言えない、とまとめました。 最後に総括に立った薗田宮司は、「樹木の根を神道に当てはめ、幹や枝葉を外来宗教に喩えて日本の宗教文化を説明する人があるとおり、それぞれの宗教が全体を活かすものとしてずっと来ている。縄文、弥生の時代から大陸との交流があるわけだから、日本にしかないものを期待しないほうがいい」「要素主義で一つの宗教を切っても意味は無い。組み合わせで、日本の歴史風土の中で育て上げた日本的な形――そこにポイントがあるというくらいの緩やかでオープンな気持ちが大切だ」などと神道研究における態度の在りようを主張しました。 このページのトップへ

Top
Shinto Kokusai Gakkai