神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
神道展示館訪問 : 彌彦神社宝物殿

越後文化・産業の始祖  ――神恩への奉謝、現代まで
奉納宝物にみる人々の真心

  日本海の季節風を遮って広大な越後平野を護るがごとく、き然とそびえ立つ霊峰・弥彦山。その頂を御神廟として仰ぎ、山麓に鎮まるのが彌彦神社である。
御祭神・天香山命の、越後産業の始祖神としての活躍と、その御神徳から、「越後文化発祥の源」ともいわれ、古く万葉集にも詠まれるなど、越後一宮おやひこさま≠ヘ時代を超えて親しまれてきた。昔から参拝講や神楽講、初穂講などが結成され、お弥彦参りが今も盛んに行なわれているという。
当然、その神恩に対して奉謝の念を込めた奉納が現代に至るまで多くあり、神社の宝物にも人々の真心を窺うことができる。「霊峰・弥彦山に鎮まる大神様が、時同じくする人々と絆を深めつつ、温かく護り包み込んでいてくれることを強く感じずにはおられません」と宝物殿ではいう。
 重文「大鉄鉢」は奥山庄中条(現・北蒲原郡中条町)の豪族・相次郎孝基の奉納。また、重文「志田大太刀」は現在の三島郡寺泊町の豪族・志田三郎定重が遙か備前国の刀匠に打たせたもの。
 口径59センチの鉄鉢といい、刃渡り220センチの長刀といい、鎌倉・室町期の一地方の一豪族が、これだけのものを形にして奉納する財力や技術を持っていたことに、「産業の源」としての当地の卓抜さを窺い知るのである。
 ほかにも徳川家康の一子で越後国高田城主の松平忠輝が奉納した逸品「青磁高炉」(重要美術品)はじめ数々の工芸品や、貴重な文書類を所蔵する。加えて、末社の十柱神社も桃山建築の様式を残す茅葺屋根の築造で重文に指定されている。
 そして、忘れてならないのは、美術界で活躍した、或いは活躍を続ける新潟県出身の近現代の画家や工芸家の作品が常設展示されていることだろう。宝物殿のいう「時代の移ろいとともに、心捧げた多くの人々の交わりを垣間見る」ような気がするのである。


▼ 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦28 87-2 彌彦神社境内
▼ 電話0256(94)2001
▼ 開館は9時から16時を原則として年中無休
▼ 拝観料は大人300円、高大生200円、 小中生100円


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