神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
六 車 由 美 氏
(東北芸術工科大学助教授・東北文化研究センター研究員)

東北地方の伝承・伝説に見る生々しさ

「人柱伝承」など民俗の収集と究明

厳しい自然との対抗・共存――生活の証と、生命力と

    神に人間を捧げる――。祭りに要請される「生け贄」という「暴力」の根源に迫った『神、人を喰う――人身御供の民俗学』(サントリー学芸賞)から三年。そこで取り残された問題に取り組もうと、民俗の収集を続けている。フィールドワークの中心は勤務地のある東北地方だ。
    『神、人を―』では、衝撃性を昇華させかねない「毒抜き論」的な解釈に疑念を呈し、一元的には捉え得ない人間の生の情念に踏み込んだ。
    取り残した課題というのは「人柱」の問題。これまで、「供犠」「生贄」がテーマとなったとき、「人柱」と「人身御供」が混乱して論じられていたフシがあるという。「二つは明らかに違うもの。本来、伝説を伝えてきた人々にとっても、全く別物として扱われていたのではないか」
    「『人身御供』というのは人を食物として差し上げる意味合いが非常に強いわけです。それで神との一体感を得る、というような。では『人柱は?』というと、ほとんど説明しないまま終わってしまったので――」
    注目するのは東北各地で聞く人柱伝承のリアル性だ。有名な「長柄の人柱伝説」(大阪)などのように教訓的にパターン化されるのではなく、そこの「人柱」はじめ様々な伝承や伝説は今でも生々しく伝えられているという。
    「ある意味、史実として伝えているわけです。『人身御供』の場合、結局は『大昔の話で野蛮な出来事だったね』というふうに落ち着いてしまうのですが、『人柱』の場合は内容が近世のことが多いし、明確に何年に起こったと伝えていたりする」
    青森での事例――暴れ川に水田開拓のため堰を築いた話。藩の事業として始まったのだが一向にはかどらない。「だったら」と或る堰守が「自分が人柱になる。杭をこの腹に刺せ」と言って川に仰向けになるが、皆、尻込みしている。そこで壮絶にも自ら自分の腹に打ち始める。見かねた近所の男がとどめを刺す。以後、順調に完工し、一度も決壊することがない――。
    この堰守の名を冠した神社がちゃんと存在する。『菅江真澄遊覧記』(江戸後期)には、今は見当たらないが、当の杭頭も祀っていると記しているという。興味深いのは、命日の祭礼を堰守の子孫が代々継承し、とどめを刺した男の子孫も一緒に奉仕しているということ。「生々しいが、『人柱』への後ろめたさが希薄で英雄扱いになっている。似た性質の話が東北には幾つもあるのです」
    「共同体の中の選ばれた人を殺すところは『人身御供』と似ている。でも明らかに、その後の伝え方が異質だし、パターン化された人柱譚とも異なる。そのあたりを比較民俗の視点から、もう少しきちんと捉える必要がある」
    伝承・伝説の性質や伝え方について、一つ指摘するのは、やはり自然環境、風土性の観点だ。「日本、どこに行ったって自然は厳しいですけれど、東北の、特にこれだけ冬が厳しいというのは、やはり生きていくには自然との関わりを非常に意識しながら、どう付き合っていくかということを常に考えて、特異な文化を蓄積してきたと思うのです」
    知恵と工夫が生まれ、昔話や語り、そして当然、伝説にも伝えられていく。伝承のリアリティも自然への対抗と、自然との共存との、せめぎあいの反映。「人々の生きてきた一つの証(あかし)じゃないか。それによって自然との関係やバランス感覚を養っていたのだろうなと思う」

焼畑農業にも見えるバランス感覚

    現在のもう一つの研究テーマ、焼畑農業についても、「暴力的と言われるけど、物凄く自然を理解し、自然に負担をかけない工夫を凝らしながら伝えてきた農耕です。たんに保護すればいいというのだとバランスが保てない。接点を作らないと、人と自然との関係なんか、どんどん遠ざかってしまう」
    「結局、暴力性のようなものを持ち続けることで逆に自然を守っていく感覚を養ってきたというか――。『血生臭いものにはフタ』というのは逆にうさん臭いのではないか。暴力性の先に見える生命力を感じてきたのが人間です。だからこそ伝説も伝えてきたのだと思います」
『神、人を――』からの研究視点は変わらない。



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