神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
神道展示館訪問 : 神田神社  神田明神資料館

江戸っ子の血が騒ぐ――
   天下の神田祭と江戸の庶民文化が見えてくる


 “神田明神”の名で親しまれる神田神社は“江戸総鎮守”と言われる。社伝の創建は太古に遡るが、江戸時代に入ると江戸の守護神となり、歴代の徳川将軍家はじめ城下・江戸っ子の篤い尊崇を集めた。
 時移り、明治・大正そして昭和から平成へ。氏子地域の神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内は我が国を代表する企業群と、江戸の伝統を演出する老舗等が同居する一大オフィス街・商業地へと変貌した。
 初夏五月、かつては城内参入で将軍が上覧した天下の神田祭が近づくと、町の姿は変わっても、江戸っ子の血はいやが上にも騒ぐのである。
 神田明神資料館は江戸の華≠ニも謳われるこの神田祭の全貌と、江戸東京の庶民文化を概観できる心踊る博物館だ。

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 まず目に入るのは、江戸時代と現代の神田祭の様子が手にとるように分かる二つの大きなジオラマ(立体模型)。山車・神輿行列の景観が生き生きと表現されている。
 「神田御祭禮番附(かんだごさいれいばんづけ)」という山車の図録ともいうべき錦絵もあり、祭りに臨んだ神田っ子の意気込みが伝わってくる。同神社権禰宜で資料館担当の岸川雅範さんは「毎回違った練り物が登場するのを庶民も楽しみにしていたのではないかと調査研究でも言われています」と説明する。
 山車や神輿などとともに、こうした「附け祭」が見物人を喜ばせた。今年の祭りでは幻の大鯰(おおなまず)と要石(かなめいし)が復活。創意工夫は今も健在だ。
 後世の模型「一本柱万度型山車」「江戸型山車」。こちらもなかなか華麗だが、岸川さんは「江戸末期に附け祭の華美さが権力から睨まれ、山車の創意に注目されるようになったのでは」。それにしても往時から今に至るまで、祭りの華やかさと庶民の熱狂ぶりがうかがえる。

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 同神社の御祭神の一柱、平将門公に関する資料も多い。歴史的な評価が複雑に変遷した将門公だが、現在は大己貴命(一の宮)、少彦名命(二の宮)についで三の宮として祀られている。
 「将門公の大鎧」と称する一品はNHK大河ドラマで主人公・将門を演じた加藤剛さんが実際に着用したもの。また“明神下の平次親分”こと銭形平次の「十手」(もちろん伝承)も陳列され、来館者を楽しませている。

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 「神田御祭禮番附」もそうだが、神田祭のほか江戸名所や東都歳時記などを題材とした錦絵を多数収蔵する。同神社に能舞台があった頃を思わせる「能絵巻」も貴重で、「祭りの中心にもともと神事能の性格があったかもしれない」(岸川さん)と言われる。これら諸資料をもとに平成15年、江戸開府400年を記念して約280年ぶりに薪能が復活している。
 「梅花鮫皮鞍・鐙」「神田明神祭礼絵巻」をはじめ文化財と膨大な資料の整理が進んでおり、江戸文化研究者への便宜が図られる日も近い。


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