神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
神道国際学会理事の「ホットな近況から」
王  勇 理事

時空を駆け巡る東ア文化に思いを馳せて
     交流の中で呑み込み吐き出し成長した文化


「国家摩擦――互いに実像を肌で感じ、距離を縮め始めた証拠です」

    「文化は生き物のように時空を駆け巡り、成長していくものですよ」。悠久の歴史が目の前にパッと広がるかのような言葉だ。
    専門は日本古代文化史・日中文化交流史。だが中国における日本史研究の第一人者の目に、「生き物」として映る「文化」は狭い空間に黙して鎮まってしまうものでは決してないらしい。
     「『呑吐(どんと)』という言葉があります。文化は呑み込まないと吐き出せない。異文化を吸収し吐き出してこそ、より高い文化の創造に貢献できるのです」
    日本の古代人もそうやって異国の「先進文化」を移入し、交流することに情熱を燃やした。「ですから中国文化とか、日本歴史とか言っても、古代の人々が時間や空間を――時には喜びや悲しみを共有したことに思いを馳せねば意味がない」
    もう一つ強調するのは、長年の研究で見えてきたものとして、少なくとも「東アジア文化圏」という広い視座を据えないと日中研究の新たな展開はないということだ。大きく見渡してこそ文化の本質や動きが見えてくる。「文化の広がりとはそういうものです。現代の国境や、西洋の国家概念で文化圏を切断してしまうのは文化遺産への冒涜です。不遜ですよ」。穏やかな笑いに包んでみせるが、ある意味、厳しい指摘である。
     こう指弾するのは、グローバル化や国際協調が謳われてなお、異文化の衝突が後を絶たない世界情勢が念頭にあるからだろう。
     「時々の国家や政治は国益にこだわることがあるにしても、歴史学者は大きな心で文化的なプレートに立つ。そこに学者としての能力が問われる」。研究者として過去と未来を展望する役割を担う覚悟も、さり気なく添えてみせる。

   ◇   ◇

 今、日中間の摩擦が懸念されているが、「政治情勢が全てではないでしょう。悲観はしていないですよ」とアッサリ。「確かに利害関係はあるでしょうし、相手の欠点が見えて摩擦が起これば当然、戸惑いもある。でも、まったく摩擦がないのは永遠の他人でしかない。等身大の実像を肌で感じるのは互いに距離を縮め始めている証拠ではないですか」
 時空を共有し文化の「呑吐」を繰り返してきた人々。「そうした過去の国際人に学ぶことは、なにも赤の他人を学んでいることではない。摩擦の時こそ我々の資質が問われるのですから」
 自然な発露から始まる文化交流がますます大事であることを訴えている。

   ◇   ◇

 日中両国にある膨大な関係史料の研究を踏まえた『中国の歴史』シリーズの刊行や、『中国史のなかの日本像』『唐から見た遣唐使』が版を重ねている。
 大学の講義と研究、講演のための来日――。日々多忙だが、お茶の本場・浙江省出身らしく「お茶一杯が気持ちをホッとさせてくれる。私には紹興酒よりありがたい」という。

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