神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
連載: 神道DNA(6) 「慰霊のあり方 日米比較」
三宅善信師


 「国連創設60周年記念総会開会礼拝」に招かれ、久しぶりにニューヨークを訪れた。世界を震撼させた2001年9月の「米国中枢同時多発テロ事件」から満4年が経過した9月11日、万人注視の前で約3000名のいのちと共に崩れ去ったアメリカの繁栄の象徴ニューヨークの世界貿易センター(WTC)ビル跡地(通称「グランド・ゼロ=爆心地」)には、早朝から、遺族だけでなく、全米のマスコミと世界各国から大勢の人々が詰めかけ、「第二のテロ」を警戒して、夥しい数の警備関係者が警戒する中、会場は異様な雰囲気でピリピリしていた。
 私は、「9・11」事件を受けて急遽、ニューヨークで開催された『文明間の対話による平和』をめざす国際シンポジウムと世界の宗教指導者による『追悼と和解の祈り』の式典に神道を代表して参列したことがあるが、あれから4年の歳月が経って、WTC周囲の超高層ビル群はすべて一新されたが、未だに約250m四方(約2万坪)のWTCビルの跡地だけは、地下20mぐらい掘り下げてビルの土台が剥き出したままの、まさに「爆心地」の状態のままで放置されているのである。
 もちろん、超高層ビルが林立する世界一のビジネス街マンハッタンに、2万坪もの土地をいつまでも「空き地」にしておくような余裕はなく、想像も付かないような方法で破壊された110階建て(のべ床面積100万u)の巨大なツインビルに代わって、新たな超巨大ビル「フリーダム・タワー(自由の塔)」の建設が計画されていると聞くが、一向にその鎚音が聞こえてこないのは、この「グランド・ゼロ」が「9・11」以後、アメリカが世界各地で展開してきた戦争(アフガン戦争やイラク戦争)を正当化するための装置だからである。
 すなわち、「自分たちこそが被害者であり、いかなる報復攻撃も正当である」という論理を目に見える形で演出するためである。同様の装置は、64年前に日本軍によって真珠湾で沈められた戦艦アリゾナを、引き上げようと思えば簡単に引き上げられるわずか十数メートルの水深であるにもかかわらず、しかも、千数百名の将兵の遺体があるにもかかわらず、これを無惨な姿で曝したままにすることによって、「リメンバー・パールハーバー」という対日戦争を正当化したように…。アメリカという国家にとっては、常にこういう演出が必要なのかと思ってしまった。
 グランド・ゼロにおいては、一機目の飛行機が北タワーに突っ込んだ時刻から二機目が南タワーに突っ込んだ時刻、さらには、南タワーが崩壊した時刻から北タワーが崩壊した時刻とメリハリをつけて、その都度、黙祷が行われる中、パタキ州知事やブルンバーグ市長をはじめ、数千名のテロ事件犠牲者遺族や、救出作業中に殉職した警察・消防関係者らが出席して2時間以上に及ぶ追悼慰霊式典が行われた。その間、遺族たちによって延々と読み上げられる犠牲者の名前に、ことさらに「被害者」を演出しなければならない国家的儀礼に心が痛んだ。
 一方、この日の夕方には、かつてWTCビルのそびえ立っていたスカイラインを望むハドソン川畔のピア(波止場)40において、浄土真宗の僧侶によって提唱され、広島の原爆犠牲者慰霊の灯籠流しを模して初められたという「9・11犠牲者追悼灯籠流し」が行われ、私はその儀式にも装束を着用して参列した。日本人の一民間人が始めたこの儀式であるが、ニューヨーク在住の各国仏教徒だけでなく、今では、地元のキリスト教やその他の宗教関係者も参列して、平和と和解の祈りが行われるようになった。私も、装束姿が珍しかったのか、地元マスコミから何度も取材を受けた。もちろん、ここで書いたように「慰霊というものに対する日米間のあり方の違い」についても述べた。
 「灯籠流し」という習慣のないNY港湾局の細かい規制を克服するために、カナディアンカヤック(カヌー)愛好家がボランティアで協力してくれることによって可能となった「灯籠流し」を通じて、なんの関係もなかった日系宗教家とカヌー愛好家と一般市民とを結びつける要因になっていることは、素晴らしいことである。慰霊行事に参加した市民がそれぞれのメッセージを記した数百の灯籠が摩天楼の明かりが映る川面に幽玄の世界を描き出して、遙か後方に見える一年に一度だけ、高度数千メートルに達しようかという強力なサーチライトによって、WTCビルの屹立していた場所を再現するイベントと好対照であった。
 最後に、これらの行事すべてに関係して、ISFからニューヨークに派遣されている上賀茂神社の神職乾光孝師が大いに活躍されているが、とかく発信力が弱いとされる日本文化が、なかんずく神道が、国際社会において理解されるために絶大なる貢献をされていることは頼もしいかぎりである。私も、装束を着けて行った国連開会式典や慰霊祭の儀式(祝詞も含む)やインタビューは、参集した現地の人々やメディアに直接訴えかけるため、すべて英語で行ったことは言うまでもない。


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