神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
思い出あれこれ(4) 櫻井勝之進氏

私の8月15日

   60年前の8月には補充兵役海軍二等兵曹として広島県西端の大竹海兵団で班長を務めていた。35才の一老兵であった。
   その6日、敵の上陸を想定して陸軍の兵士同様、演習場で敵の戦車の下に手榴弾を投げ込む訓練をやっていたところ、突然広島市の方向からピカッと強烈な光がさしてきたので、誰が号令するともなく一同はそのまま地上に「伏せ」の姿勢をとったのである。すると次の瞬間、モクモクと白い煙が立ち昇るのが見えたかと思う間もなく、ドーンと大地をゆるがすような音が聞こえてきた。火薬庫の爆発ならば黒煙が上がる筈なのに、あの白煙は何だろうと、皆がその正体をつかみかねたのであった。
   そして15日、われわれの分隊は近隣の村はずれの丘の仮兵舎に寝泊りして相変わらず訓練をしていたところ、直ちに帰団せよとの命令が突如下り、村を出発することとなった。後になって思うと、村の人々がわれらを見送ってくれる眼差が何か異様であったのは、彼らはすでにあの「玉音放送」で終戦を知っていたからであろう。
   兵舎に帰ってくると誰言うとなく、戦争は終わったそうだというささやきがあちこちで交わされていたのであるが、上官からは遂に何の告知もなかった。上官たちも亦等しく顛倒していたのか否か。
   翌日からは兵二人一組となって町内の警備を命じられ、31日にやっと除隊を許され、大きな布団袋一つを背負って無蓋の貨物列車に乗せられ一路多賀町へと向かったのであった。留守宅の母と妻は私の持ち帰った米袋を見て安堵のまな差しをしてくれたことは言うまでもあるまい。  (平成17年8月2日)



Copyright(C) 2005 ISF all rights reserved
当ウェブサイト内の文章および画像の無断使用・転載を禁止します。