神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
連載: 神道DNA(5) 「一言主の末路は・・・」
三宅善信師

   記・紀には、種々の神々が登場するが、その多くは「神代記」と呼ばれる古事記「上ツ巻」に集中している。しかし、中には、既に神々の時代から「人間」の時代に入ってしまったにもかかわらず、「遅れて登場してきた神々」も何人かいる。その一人として、今回、人皇第21代雄略天皇(五世紀中頃)の項に登場する「一言主神」という奇妙な名前の神について触れたい。
   712年に編纂された古事記においては、雄略天皇が、当時の政治の中心地であった河内国と大和国の境にある葛城山中で狩を行った時、自分たちとそっくりな出で立ちの一行に遭遇する。ちょうど、『水戸黄門』のドラマで、光圀主従が偽の黄門様一行に出くわすのと同じパターンである。この時、驚いた天皇がその一行の素性を問うと、その人物は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と述べる。何のことかサッパリ解らないのであるが、古事記においては、その一言を聞いた天皇は、畏れ入って自らの着物や持ち物をすべてその神に献上して、これを拝礼したことになっている。実に奇妙な話である。おそらく当時は、よほど一言主神の威力(註:この神を奉じる豪族の勢力)が強かったのだと思われる。
 ところが、720年に編纂された『日本書紀』においては、同様のエピソードが紹介されているが、少し内容が変わっている。葛城山中で、雄略天皇と一言主神が邂逅するまでは同じなのであるが、その後、天皇と一言主神は「二人連れ合って狩を楽しむ(対等な関係)」ということになっている。この8年の間に、ストーリーを変更しなければならなかった何が起こったのであろうか?
   さらに、平安時代初期の797年に編纂された『続日本紀』によると、このエピソードは「一言主神が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れ、土佐に流されてしまう」と書かれているのである。わずか80数年の間に一言主神の立場が劇的なまでに落ちぶれてしまっているのである。
   このことは、一言主神を祀っていた賀茂族の古代律令国家における地位の相対的低下と、それに反比例するように勢力を伸ばしていった藤原氏との関係(註:『日本書紀』の本当の発注者は、藤原不比等だと言われている)に対比されると言われている。これらの話はすべて、「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と颯爽と古代律令国家の表舞台に登場し、すべての事象を「 一言 」で断罪することができた一言主神という、いわば「流行り神」が、人々の絶賛を受けて登場したのであるが、しかし、この流行り神もいつの日か新鮮味を失い、人々から忘れ去られ、その賞味期限が切れて零落していったというお話である。
   さて、ここで話は21世紀の日本に移る。2001年春に、この国の政界では大きな異変が起きていた。議員内閣制を採る日本において、あろうことかその権力の源泉である(与党の)「自民党をぶっ潰す!」と言って、国民から絶賛を受けて自民党の総裁となり、位人臣を極めた男がいる。小泉純一郎その人である。小泉政権の最初の一年半くらいは、まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」とでも言うか、大げさな言い方をすれば、神話の時代以来、連綿と続いてきたこの国の「談合政治(註:『十七条の憲法』などその典型)」という伝統的政治手法の「破壊者」を宣言した小泉氏はこれらのすべてを「守旧派」という三文字に封印して、その力をスポイルしていった。
   小泉首相は、すべての物事を単純化して、あたかもクイズ番組のように「イエスかノーでお答えください」といった、テレビ的手法を日本の政治風土の世界に持ち込み、これまでの玄人好みの含蓄のある言葉を述べていた政治家を次々と与党から抹殺していった。しかし、このテレビという「国民総白痴化」ツールの浸透によって、物事を単純化する思考方法(というよりも「思考停止」状態)に馴らされてしまった日本の民衆は、小泉政治のポピュリズム的手法「ワンフレーズ政治」を絶賛した。今回の総選挙も、内外の重要な政治的諸課題を放ったらかしにして、「ただ『郵政民営化』に賛成か反対かのみを投票基準にする」と宣うのである。
   言霊が大いなる霊力を持つわが国において、その威力を存分に利用して権力の座に就いたにも関らず、自らの驕りからか、その言霊の力によって、その権力の座から零落しようとしている小泉首相の姿を見る時、私は『古事記』→『日本書紀』→『続日本紀』と、見事なまでにその立場が零落していった神、一言主のことを思い出さずにいられない。


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