神道フォーラム 第42号 平成23年11月15日刊行

ミニ神道セミナー「お宮トーク」始めます

全国各地の神社を会場に
 神道国際学会は創設以来17年、多彩な事業を展開しているが、うち、一般の人々を対象とする公開講座には、年一回開く「神道セミナー」、随時開催の国際シンポジウムなどがある。
 これらの講座に加えてこのたび、新たなシリーズ・セミナーを企画・開始する。
  名付けて「お宮トーク」。全国各地の、おもに神社を会場に、気軽に参加してもらえるミニ「神道セミナー」として位置づける。地元住民はもちろん、地域外の人々にも集まってもらえるようにし、和気あいあいとした座談型の講座を目指す。
   講師は、会場となる神社の神職の方々や地元の研究者、本会役員の学者などに担当してもらう。
   毎回、日常に密接した身近なテーマ、多くの人が関心を寄せている日本文化や神道・仏教などに関するテーマを設ける。
   また、講師陣の講話・講演に終始するのではなく、質疑応答の時間もたっぷり設ける。その際には、参加者からの意見や感想も多数寄せてもらえるよう、時間等にも配慮する方針だ。

第一回は「お宮トークin千葉・長南町」を計画・調整中

 この新シリーズの第一回は、「お宮トークin〈千葉・長南町〉」として現在、企画・立案中で、講師には、元NHKアナウンサーで、同町の神社の宮司を務める宮田修氏、同じく同町の名刹、長福寿寺の住職である今井長新氏――この両人をお招きする方向で折衝を続けている。
   会場は、宮田氏が宮司を務める同町佐坪の佐坪八幡宮とすることで話を持ちかけている。
   今回の内容としては「お宮・お寺を核とした〈地域コミュニティー〉の盛り上げ方〜日本の心や、氏神さま・仏さまとともにある生き方を次世代にどう伝えるか〜」。以上のようなテーマを設定する予定。
   日程は今月下旬(11月26日もしくは同27日を予定)を中心に調整中だ。
   詳細内容は10月中旬現在、企画をつめているところだが、確定次第、予告チラシやホームページで広報する。

 シリーズ「お宮トーク」の会場として今後、ご協力いただける神社様、もしくはご関心のある神社様は、本会事務局にご一報くだされば幸いです。

行雲流水:「今後もガラパゴスを通すのか?」

  日本の常識は世界の非常識、いわれて始めてもう半世紀以上になる。二十一世紀の最初の10年が終わってしまった今でも、日本だけにしか通用しないシステム、科学技術、産業、報道通信、教育制度などが幅広く存在し、それを日本の国民がほとんど知らない、というのは喜劇なのか悲劇なのか。
   例えばアップル社のスティーヴ・ジョブス氏が亡くなって、日本でも脚光を浴びた通信端末の世界でも、1997年にカナダのリサーチ・インーモーション社が売り出したブラックベリーというスマートフォンの草分けの機種は、当時香港やシンガポールのようなアジア市場でも品切れが続いたが、日本ではまったく話題にならなかった。これまで少なく見積もっても世界の175カ国以上で一億一千万台が売れ、五千万人が使っているというのに、日本で遠慮がちに売り出されたのは、ほんの数年前。
   同様のことは無線通信のWi‐FiやWi‐Maxでも起こっていて、世界中が沸き立った10年前の発売当初、日本では音なし。ようやく最近になって売りだされているが、めまぐるしく進歩する通信の世界で、この遅れは顕著である。
  外国から日本に携帯電話を持ちこんでも使えない、逆に日本の携帯は海外で使えないというような事態も最近になってようやく改善されたが、この非常識さの「錦の御旗」は国内産業の保護、ということらしい。海外の強力な通信機器メーカーや通信会社が、新しい技術で日本に乗り込むと国内産業が壊滅する、という事態を避けるために、バリケードを張り巡らして殻に閉じこもり、その間に国内体制を整備しよう、というのでは黒船襲来におののいた幕末政府と大差ない。
   南米エクアドルの赤道直下にあるガラパゴス諸島は、地理的、気象学的条件のお陰で、外来種の侵入を最小化し、固有の動植物の生命と環境を維持し続けている、世界でも数少ない場所だが、このような孤立状態のことを、転じてガラパゴス現象という。希少動植物の保護にはうってつけだが、近代国家の発展には役立たない。
   シャープという電機メーカーは、一年ばかり前に売り出した多機能端末を、なんとガラパゴスと命名し、新聞、雑誌などのコンテンツを三万点搭載できるようにして百万台の売り上げを目指すと公言した。これが予定通り売れていれば、同社のユーモアのセンスの大勝利だったのだが、iPadの急速な拡大に押されて、今年の9月に自社販売を中止、イーアクセス向けの販売のみに縮小してしまったのは残念だった。
   日本のガラパゴス現象は、実は通信の世界にとどまらない。日本の電力価格も、主食であるコメの価格も国際価格に比べて突出して高いのも、同様のガラパゴス的国内産業過保護の産物である。そしてこれは政府や産業のみならず、マスコミの不勉強からくる無知も後押しをしているようだ。
   こういうマスコミの国際感覚の欠如と無知はあらゆるところに散見され、本来なら当然報道されるべき事象が見逃され、読者である国民は偏った情報に振り回される、という悲劇になる。ガラパゴス現象がいつまでも続くと、日本の将来は決して明るくない、と心配するのは筆者のみか。  春 秋 子

神道国際学会便り

本会常任理事会を開催
2月の東北での神道セミナー、その他を協議

    神道国際学会の平成23年・第2回常任理事会が9月27日、都内で開かれ、来年2月に開催する第16回「神道セミナー」の件をはじめ本会事業に関する諸案件を協議した。会長以下、副会長・理事長・常任理事らが出席した。
 議題のうち第16回「神道セミナー」については、来年2月25、26両日、大震災で津波被害を被った岩手県大船渡市で、「災害と宗教文化」をテーマに、国際シンポジウムとして開催することを最終決定するとともに、現在、現地との折衝にあたっている茂木栄常任理事が、地元関係者との協議状況について報告した。今回は全体のテーマを「災害と郷土芸能」とし、大船渡を含む気仙地域の市民大学「ケセンきらめき大学」との共催で、初日に東北の伝統芸能の公演、二日目にシンポジウムを催すこととした。また、セミナー終了翌日に周辺被災地の社寺を参拝・視察するツアーを組むことも決めた。
  このほか、カリフォルニア大学サンタバーバラ校との共催によりアメリカで来秋に開催予定のシンポジウムの件、新たなセミナー企画「お宮トーク」の件、英語による「神道エッセイコンペティション(2011)」の審査結果の件、今年7月に和歌山・熊野で開いた国際シンポジウムの会計報告の件なども討議した。

2011年英語による神道エッセイ・コンペティション結果発表

  2011年の英語による神道エッセイ・コンペティションは、7人からの応募があり、神道国際学会の8人の理事による審査の結果、以下の4人が受賞した。応募6カ国の内訳は、到着順に、米国、チェコ、カナダ、オランダ、スロバキア、インド(2名)。 審査員が一致して優秀と認めたエッセイから、審査に値しないと言われたものまで、論文の質はさまざまで、インターネットからのコピーが相変わらず多いとの苦言も呈された。受賞作品集は例年どおり、2年分をまとめて神道国際学会から刊行される。
 来年も同様に開催するが、エッセイ・コンペティションを始めて15回目にあたるため、15回記念として特別賞を用意することになった。テーマと賞品は理事会で決定しだい、神道フォーラムとホームページで発表する。
2011年度 結果詳細はこちらを参照。

連載・神道DNA「アリとキリギリス:欧州金融危機を憂う」 三宅善信師

  ギリシャの財政破綻に端を発する欧州の金融危機が世界経済の上に大きくのしかかっている。国別GDP比較で世界第32位程度の経済小国 (註=日本の約十九分の一)に過ぎないギリシャの財政破綻が、何故これほど深刻な問題になるのか? 今から10年ほど前にギリシャと同程度の経済規模の南米アルゼンチンがデフォルト(債務不履行)に陥ったことがあったが、そのことによって、世界経済はそれほどダメージを受けなかった。前回のアルゼンチン危機と今回のギリシャ危機のどこが違うのか? 答えは簡単である。ギリシャはEU(欧州連合)の加盟国で、統一通貨ユーロを導入しているという点である。
 通常、ある国が非常に放漫な財政政策をとり続けて国家財政が破綻しそうになると、その国の通貨の価値が下落しインフレが発生することによって、当該国の政府は国債の返済が容易になる。また、為替レートも下落することから、輸出競争力が急激に回復して景気が上向き、税収もアップして、国家財政が立ち直るほうへのモーメントが強まる。これがマクロ経済学の基本中の基本原則である。民主主義国家の政治家は、選挙民の機嫌を取るために税収より多くの歳出予算を立てる傾向(これを「ばらまき」という)があるので、放漫な財政政策をとる場合が多い。
 世界史上の大いなる実験と言える欧州連合の発展プロセスにおいて、主権国家の権能のひとつである「通貨発行権」をそれぞれの加盟国政府が返上して、統一通貨ユーロを導入することによって、比較的国土の小さい国が密集している欧州域内における経済活動が飛躍的にしやすくなったことは言うまでもない。しかし、このシステムが巧く機能するためには、各国政府の厳格な財政規律の遵守が求められる。なぜなら、一国のみの財政であれば、景気後退期に、前段のような金融政策を採ることによって、インフレと自国通貨安を誘導し、もって景気回復や国家の借金の縮小を図ることができるが、ユーロのような統一通貨システム下では、ひとつの放漫財政国家の破綻が他の加盟国の経済にも大きな影響を及ぼすからである。そこで、ユーロ導入国においては、各国政府が単年度に発行できる赤字国債はGDPの3%未満、さらに累積債務残高が60%未満でなければならないという縛りがかけられた。現在、統一通貨ユーロの導入国は17カ国であるが、その経済規模の格差はGDP3兆6千億ドルのドイツから190億ドルのエストニアまで150倍以上の開きがあるが、いずれの国もこのルールを遵守するであろうという相互信頼で成り立っている。自国通貨が国際的な決裁権能を有しない弱小国家ほど、統一通貨ユーロ導入のメリットは大きい。
 ギリシャもまた経済小国である。したがって、統一通貨導入のメリットは絶大である。それだけに3%ルールの遵守は当然の義務である。しかし、同時に、ギリシャは歴史を通じて典型的な放漫財政国家であった。労働者の三割が公務員というまるで社会主義≠フような国家である。そこで、ギリシャの指導者は考えた。他のEU諸国には3%ルールを守っているふりをして、その実、赤字国債をどんどん出そうと…。そのことが明るみに出たのが、今回のギリシャ危機に端を発するEUの金融不安である。私は、本『神道DNA』シリーズで、リーマンショックの起こる1年2カ月も前の2007年7月号で『低金利が日本を駄目にした』という一文を上梓した。以下、その一説を引用する。
 「イソップ寓話」の『アリとキリギリス』の話を知らない人はいないであろう。暑い夏、懸命に働くアリをばかにして遊び惚けたキリギリスが、冬にアリの元へ糧を乞いにくるという説話である。イソップ(アイソーポス)は、2600年以上も昔のギリシャの奴隷作家である。元々は『アリとセミ』という譬え話であったが、英訳される際に、寒冷な英国にはセミが馴染みないので、キリギリスに換えられたのである。この話がポルトガルから日本に伝わったのは400年以上も前のことであり、『伊曾保物語』として何度も版を重ね、江戸時代初期にはかなり多くの日本人がその内容を知っていたのである。当然、そこでは『アリとセミ』であった。因みに、「イソップ寓話」がラテン語からフランス語や英語に翻訳されたのは、日本語版より時代が遅れるというから驚きである。超低金利政策とは、分かりやすく言えば、真面目に働いたアリがばかを見て、遊び惚けたキリギリスが得をするという政策である。このような政策をとる国が乱れない道理はない。
 ヘレニズム文明は奴隷労働の上に成り立っていた。ポリスの市民は高尚な哲学や政治を論じ、スポーツや音楽に興じ、卑しい労働≠ヘ支配した異民族にさせる…。また、ユダヤ・キリスト教では、労働はアダムが楽園を追放される際の罰として神から与えられた苦役であった。翻って日本では、最高神たるアマテラスも御自ら機を織られ、いかにアマテラスの弟君であっても、農耕妨害をしたスサノヲは高天原を追放された。また、天皇陛下も御自ら田植えや稲刈りをされる。ただし、その立派な日本の伝統が今日まで継承されているかと言えば、あまり胸を張って答えることはできない。ギリシャ人は、二千数百年前にイソップが提起した問題を未だ解決していない。われわれが古代文明から学ぶべき問題は、まだまだたくさんあるように思える。

ISF ニューヨーク便り

神道特別講座 「神道と武道」を開講
  8月18日、天心一流道場宗主でISFワシントンDC地区連絡事務所の新宅メラニーさんのご主人でもある新宅四郎氏を講師にお招きし、英語による神道入門講座「神道と武道」を開催した。参加者はおよそ20名。
  レクチャーは講話形式で進められ、神道の概念は武道の精神と密接に繋がっており、武道の目的は戦うのではなく平和をもたらす事だと説明。引き続きの武道の模範演技では、自然のエネルギーにより力を入れずに弟子を倒したり、振りかかる木刀を簡単に避けたりするパフォーマンスをみた参加者からは、「こんなに迫力ある演技を見たのは初めて」と感動する声が聞かれた。

国連広報局のNGO総会に参加
   第64回国連DPI(広報局)NGO総会が「持続可能な社会、責任ある市民」をテーマとして、9月3日から5日まで、ドイツ国ボン市の「マリティムホテル」で開かれ、世界65か国から1300名を超えるNGO代表が参加した。ISFからはニューヨークセンターの中西オフィサーが参加した。
   開会式で司会をつとめた赤阪清隆国連広報担当事務次長は、アフリカのソマリ半島だけで1240万人にも及ぶ人々が援助を必要としていることや30万以上の子供が栄養失調など死の危機に瀕していると述べ、持続可能な社会の為に各国政府や市民社会が手を取り合って問題の解決に取り組むべきだと訴えた。また潘基文国連事務総長はビデオメッセージで、ボランティア等のソーシャルネットワークこそ、持続可能な社会を保証するものだと述べた。
   会期中には、4つの円卓会議とNGOが主催する30もの分科会が開かれ、環境や貧困などの社会問題に取り組むNGOや国連の取り組みが紹介された。
   またボン市長主催の晩餐会に出席した中西オフィサーは、赤阪清隆国連事務次長から、ISFの国連での活動に対して激励の言葉を頂いた。赤阪氏は外務省出身で国連日本代表部大使などを務めた後、2007年より国連における日本人スタッフ最高位の事務次長として国連広報を統括されている。

国際平和の日の式典に参列、スピーチ
   国連でさだめられた国際平和の日の9月21日、ISFが役員を務める宗教者NGO委員会主催の式典が国連チャーチセンターで行われ、中西オフィサーが出席した。
 式典は各宗教の代表者が平和への祈りをする形で進められ、中西オフィサーは、今年発生した東日本の大震災に際し各国の方が日本の為に祈ってくれたことに謝意を表し、こうした祈りが平和への道であること、また日本は自然災害の多い国柄なので、民族宗教である神道では常に自然を崇め災害が起きない様に祈ってきたと紹介した。
 式典当日は会場に隣接した国連総会議場にて各国首脳による一般討論が行われており、参加者もそれぞれ割り当てられた国旗を手に持ち、世界の平和を祈っていた

コロンビア大学の神道学講座で講演
  9月26日、中西オフィサーはコロンビア大学神道学講座「日本史における神道」で、「神社における神職の日常」との題で講演を行った。
   ISFが基金提供したこの神道学講座は、マイケル・コモ教授が主任教授となり、日本関係の大学院生を主な対象として、神道に関する様々な文献を読んで古代から現代にいたる神道を体系的に研究していくセミナーで、今学期は16名の生徒が受講している。
   今学期は天照大御神や式年遷宮に関する文献を読んでいるため、伊勢神宮や式年遷宮に関する講義をお願いしたいとのコモ教授の要望で、中西オフィサーは伊勢神宮の社殿や遷宮の諸祭事などをスライドを使いながら説明した。また神職として奉仕した神社の紹介や宗教法人としての組織のあり方、神職の職階などについても図を交えて説明した。

コロンビア大学で邦楽のクラス始まる
   コロンビア大学音楽学部では、2006年秋学期より学生を対象に日本の伝統音楽である雅楽の講座を開講しているが、今学期からはそれに加え、新しく邦楽のクラスが始まり、和琴と尺八が教えられる事になった。和琴の講師を担当するのは沢井琴アカデミーで和琴を教えている石榑雅代さん。尺八の講師はジェームス・如楽・シュレファーさん。
   今回の邦楽クラス開設にあたって、バーバラ・ルーシュ中世日本文化研究所所長は、学生にどんどん新しい楽器を体験してもらい、今後は幅広くアジアの音楽などのプログラムも開設していきたいと述べている。

熊野本宮への思い David Janes (ディビッド・ジェーンズ)

   今年の7月末、ニューヨークから日本に出張した機会に、和歌山県の熊野本宮大社に行きました。最近の台風のために、本宮大社や熊野周辺の建物、道路、それに歴史的な所が被害を受けたと聞いて、私は熊野の事を考えて、とても残念に思っています。
   私が熊野本宮に行った理由は四つあります。一つは熊野本宮大社と合気道との関係です。二つ目は、私が神道に深い関心があることです。三つ目は勤めている米日財団が去年、日本の宗教についてのドキュメンタリー映画製作を支援したことです。四つ目は2004年の熊野古道と熊野にある神聖な場所が世界遺産に登録されたので、最近有名になったからです。
   私は高校時代から今も、合気道をやっています。合気道が私に初めて日本の文化を紹介しました。ニュージャージー州の道場には、漢字でことわざが書いてある掛け軸があり、日本の写真もありました。それらを見て、どうにかして日本の文化をもっと勉強したいと思いました。
   また、同じ時期に、高校の英文学の先生が私に日本文学を紹介して下さいました。   それで日本に対する興味がますます大きくなりました。今でもニューヨーク州にあるウェストチェスターの道場で合気道を練習しています。
   今年の夏、日本に行く前に熊野本宮大社と合気道の関係を発見しました。しかし、具体的な関係を知りませんでしたので、もっと深くその関係を理解したかったです。
   私はハワイ大学の大学院で日本の宗教を研究しました。その中で、仏教の真言宗をとくに勉強しました。卒論は四国の八十八カ所についてでした。神道をあまり勉強しなかったので、もっと神道のことを理解したいと思っています。それと、合気道への興味から、熊野本宮大社に行きました。
   神道国際学会のお世話で大社の宮司さんとお会いできました。宮司さんはとても歓待してくださいました。神道の歴史も熊野本宮大社と合気道の関係も説明して下さいました。合気道の創始者、植芝盛平先生はよく熊野本宮大社に参ったそうです。それから熊野本宮合気道道場長、須川先生をお呼び下さいました。一日中、先生から合気道と熊野本宮大社のつながりについて習いました。大社の禰宜さんも神道についてたくさん教えて下さいました。例えば、神道の目的は世界平和で、神道には敵がありません。
   熊野本宮で、私は大斎原(写真)と言う所に強い印象を持ちました。ここは熊野古道の中心です。熊野本宮大社は1889年までここにありましたが、洪水に会い、現在のところに引っ越しました。しかし、大斎原はまだとても神秘的な場所だと思います。ここにはポジティブなエネルギーがあると私は感じました。
   熊野のシンボルの八咫烏(ヤタガラス)にも印象づけられました。神話では、八咫烏が神武天皇を案内しました。現在、八咫烏は日本サッカー協会のシンボルです。なでしこジャパンが最近ワールドカップで優勝したので、熊野本宮のみなさんは嬉しいそうです。
   熊野本宮と熊野周辺は日本の歴史と文化にとても重要な所です。また世界遺産になったから、世界にも大事な場所です。
   被災された熊野の皆さんのお気持ちを考えると辛いです。一日も早い復興をお祈りしています!
(米日財団助成金ディレクター兼理事長補佐)

神道展示館訪問 : 住吉大社 住吉文華館

歴史的に貴重な文化財が蓄積された古社 住吉さん
  古代、住之江津が開かれた住吉の地。そこには国内外を問わず多くの文物と人とが交流し、必然的に人々は渡海安全への願いを込めて海の神を祀った。住吉のそうした歴史を背景に、住吉大社には貴重な史料や社宝が集積されていった。
 住吉文華館は、同大社に古くから伝えられた文書や絵図など、歴史的に重要な文化財、社宝などを収蔵し、展示する。
 「住吉大社神代記・一巻」(国指定重要文化財)は津守宿禰嶋麿・津守宿禰客人の2名を選者として、天平3年(731)に神祇官へ上進されたもの。成立の過程には諸説があるが、同大社の鎮座に関すること、神宝や神領のことなど、所伝や地誌が豊富に語られており、「古事記」「日本書紀」のカバーしていない部分を補う史・資料との評価もある。
 鎮座伝承や神事・神饌・建造物・遷宮・神領などを詳述する「住吉松葉大記」(元禄時代)も重要文化財。
 永暦2年(1161)銘の残る〈綾切〉ほか複数の「舞楽面」(国指定重要文化財)も往古における住吉舞楽の隆盛を示しており貴重だ。面のほかにも貴徳裲襠など様々な「舞楽装束」が収められている。
 ほかにも、文書や短冊や絵図、そして狛犬や刀剣など神宝と美術品が多数あり、住吉信仰への認識を新たにすることができる。

▽開館=毎日曜日の10時から15時
▽拝観初穂料=大人300円、中学生以下150円
※以上が原則だが、臨時措置も多いため、拝観のときは社頭受付などへ問い合わせ
  のこと。
▽場所=大阪市住吉区住吉2-9-89(住吉大社境内)
▽電話=06(6672)0753

話題のこの他人

FM局でDJを務める 尼崎市・貴布禰神社宮司 江田政亮氏

  復活! 「8時だヨ!神さま仏さま」
 昨年4月から一年間、兵庫県尼崎市のコミュニティー局「エフエムあまがさき」で放送された「8時だヨ!神様さま仏さま」。神主と僧侶が肩の凝らないトークを繰り広げ、ネット配信が整ってからは全国的に話題となった。休止後、「えっ! 終わっちゃったの? 楽しみにしてたのに!」という陰ながらの多くのファンに押されて、この10月からリニューアル・スタートした(水曜20時〜21時)。

 「──神さま仏さま」で、同市・浄元寺住職の宏林晃信氏とDJコンビを組む。同氏とは青年会議所メンバーとして知り合った十年来の友人。「『こう言えば、向こうはこう言うだろうな』と思っていると、やっぱりかましてくるし(笑い)」。気の置けない同士の軽妙トークも復活だ。
   番組は「教えて、神さま仏さまのこと」「今週のありがたい一曲」「宮司と住職の悩み相談」などで進行する。
   「でも、堅苦しくなく、柔らかに……。一般の人がどういう期待で聴いているのか。その投げかけてくれる視点を大切にしてきたことが、放送復活につながったと思う」と謙虚に話す。同時に、「宗教ぶっていない」「人間味あふれる番組」との好反応を得て、シナリオも教義も入れない独自の番組づくりに自負も見せる。

   番組には様々なハガキが寄せられる。中にはトンチンカンな質問もあって、「ほんとうに宗教のこと、神社やお寺のことが知られていないんだな」と、宗教者として反省することもしばしばだ。
   それでも神社ファンは多い。「なにしろ興味があれば、それぞれの考え方に拠って、何らかの展開をしていけるのが神道の大らかさですから」
   そこからさらに奥へ誘導するのは日々の神主の仕事としても、「ラジオでは、まずは入り口に立ってほしいという気持ちが大きい」という。「神道でも仏教でも、他者に対する『ありがとう』の気持ちがあれば間違いない。その根本はどうしても伝えたい」

   大切にしていたものを「処分してくれ」と、神社へ持ち込む人がいる。「そして、『処分するなんて信仰がなくて申し訳ない』と謝っている。でも私は言うのです。『粗末にゴミに出すように扱えないというのは、それこそ立派な信仰じゃないですか』と」
   多くの人に、日本人の持つ心根に気付き、そして伝え続けていってもらいたいと考えている。
   「ある意味、ラジオに出させてもらっているというのは、チャンスです。『こんな神主です』と言えば分かってもらえ、聞いてもらいやすいわけですからね」
現在の立場を大いに活用するつもりだ。

関西学院大学卒。スポーツ新聞の記者を経て、社家として貴布禰神社の宮司に。現在もスポーツ観戦のルポ、地域情報紙のコラムなどを書く。

伝統をささえる

「鵜殿のヨシ原保存会」会長 内本隆譲氏 (大阪府高槻市鵜殿)

雅楽器「篳篥」の材料に最適な「鵜殿のヨシ」
 大阪府北部を貫流する淀川。高槻市鵜殿・上牧地区の河川敷に、広大なヨシ原が広がる。東京ドーム16個分、75ヘクタールという見渡す限りのヨシの群生だ。
   鵜殿のヨシは、雅楽器の一つ「篳篥(ひちりき)」と切っても切れない関係にある。いにしえより、篳篥の吹き口「舌」に使う原材料として好適かつ最高級との評価を得てきたのだ。
   「適度の厚さと硬さ、そして弾力性がある。『篳篥には鵜殿のヨシが限る』と言われます」と話すのは、十年来、「鵜殿のヨシ原保存会」会長を務めてきた内本隆譲氏(同市道鵜町・圓正寺住職)。「有名な楽所もそれをよく知っている。宮内庁楽部も分っていて、昔は厳選されたものを桐の箱に入れて御所に運んだそうです」

   雅楽の長い歴史に寄り添ってきた鵜殿のヨシ原だが、近年は淀川本川の改修に伴う群生地盤の隆起化や植生変化によるヨシの減退に気をもむようになった。 「かつては洪水による冠水、今は乾燥に強いセイタカアワダチソウやオギの進出が悩みの種。それでも、刈る権利を昔から持っている集落71軒で保存会を作り、外部の協力も得て、なんとか維持が図られているところです」
   平成10年頃からは国土交通省がヨシの回復も念頭に、地盤を下げたりポンプ整備に動くようになり、「ヨシ原に水を引くなど八割方は成功」との状態という。

   「保存会」では年に数回、研修会や役員会を開き、ヨシ原の現状と展望を分析する。市民や生徒らをヨシ観察やヨシ刈りの現場体験≠ノ招く。
   何よりも大きなイベントは、毎年2月に挙行される「ヨシ原焼き」だ。他の保全協力団体とも力を合わせ、約50ヘクタールを野焼きする。最近では雅楽関係者などの参加も増えたという。焼くことで害草や害虫が駆除され、肥料になる。この野焼きは、今でこそ「淀川に春を呼ぶ風物詩」とも言われるが、降灰への苦情で時に中止になることもあった。野焼き継続も気苦労を要するらしい。

   ヨシ原保全の意義を積極的に見出すために考えねばならないのは、「販路が限定されるヨシの活用、用途の拡大」だと内本氏は言う。「儲かる仕事じゃないし、刈る労力も大きい。71軒のうち、実際に採っているのは5軒程度、うち昔ながらに葦簀(よしず)を作っているのは1軒になってしまった」
   葦簀はもちろん、かつては日除けに、寒天を敷く簀に―と需要は多かったが、近年は安価な中国産に押されている。また、ヨシの葉はチマキを巻く皮にも使われているが、やはり販路は激減だ。
   しかし、篳篥の原材料であるということに関していえば光明もあるという。日本の雅楽が一昨年、ユネスコ世界文化遺産に登録され、一種の雅楽ブームが見られるらしい。「雅楽にとって、鵜殿のヨシ原が消滅したら大変。誇りをもって継承に頑張りたい」と、内本さんは各方面との調整に意を注いでいる。

マイ・ブック・レビュー

Tama in Japanese Myth
- A Hermeneutical Study of Ancient Japanese Divinity -
日本神話における「タマ」−古代日本の神概念を探る
岩澤 知子(神道国際学会理事)

   本書は、西洋において未だ十分に紹介されたことのない日本神話(特に『古事記』)をテキストとして取り上げ、これを西洋哲学の方法論である現象学的解釈学の視点から新たに分析することを通して、日本の原初的な宗教意識のあり方を明らかにするとともに、その原初的意識のさらに根底に横たわる、人類にとってのより普遍的な価値を探ろうとしたものである。
   日本人の宗教意識を分析する際、これまでの西欧の研究が中心に取り上げてきたのは「神」の概念である。しかしながら、この「神」の概念はしばしば西欧的Godの概念と混同して議論されるがゆえに、誤解を招くことが多かった。西欧の超越的一神教の立場からすれば、超越神でも、唯一の創造主でもなく、人間と同じように生まれては死んでいく日本の神々は、非論理的で野蛮な思考の産物としかみなされない。こうした西欧の誤解に対し、本書は「たま・たましひ」の概念を分析することによって、日本人の宗教意識をより正確に叙述することができると主張する。
   本書は前半の歴史的考察(第1部)と後半の解釈学的考察(第2部)から成る。第1部では、「たま・たましひ」が日本的宗教体験に占める意味を日本思想史上初めて学問的に考察しようとした江戸の国学運動に焦点をあて、「たま・たましひ」の概念が歴史上どのように解釈されてきたかを明らかにする。第1部の歴史的考察を踏まえ、第2部では、偏狭なナショナリズムに陥ることなく、それぞれの文化に固有な宗教意識を掘り起こすことの意義と方策を、20世紀の現象学的解釈学がもたらした新たな神話理論に基づく日本神話解釈を通して論じる。具体的な日本神話解釈にあたっては、現象学的解釈学の主要業績のひとつである、ポール・リクールの『悪の象徴論』が提示した「西欧神話に現れるユダヤ・キリスト教的『悪』の意識の発展段階説」と対比しながら、日本的宗教意識の特徴を分析する方法をとっている。
   リクールによると、西洋における「悪」の意識は「身体性」と強く結びついている。人間に悪をもたらすのは「身体」であって、この反秩序的・反理性的「身体」をいかに乗り越え「精神」が自律を獲得していくかが、長い西洋の歴史を通して理性的人間に求められてきた葛藤であったことを、彼は西欧神話の解釈を通して明らかにしていく。こうした身体蔑視の西欧的世界観・人間観に対し、日本神話は身体に秘められた力が人間の不断の世界観構築に及ぼす根源的かつ有機的な意義を強調する。日本神話に独特な、この精神と身体が分かちがたく結びついた状況を象徴するのが、「たま・たましひ」という概念である。本書は、日本神話や祭儀に現れる「たま・たましひ」の諸相を分析し、日本的「精神と身体との円環的弁証法」を再考することを通して、西欧的心身二元論の立場を相対化するとともに、この二元論を越えていく道を拓くことを目的としている。

神社界あれこれ

好評の「天神みくじ」人形 名古屋市・上野天満宮
 名古屋市千種区の上野天満宮で引ける「天神みくじ」。おみくじの入った5センチほどの愛くるしい天神さま(道真公)の人形が「かわいい」と評判だ。
授与を始めたのはここ20年ほどだが、「おみくじというだけのことだけれど、期待以上の評価」(半田茂宮司)を得ているという。
   人形は赤・黄・緑など色違いのものがあり、おみくじの内容は50種類ほど。年ごとに少しずつ変化をつけ、年替わりの除夜の鐘が鳴り出す頃、新しいものに入れ替える。
境内のあちこちに、この「天神みくじ」人形がズラッと並んでいる(写真)。引いた後、おみくじを結ぶ行為よろしく、そのまま境内に残していく人も多いらしい。
   「『持ち帰ってくださいね』と言うのですが」と苦笑いの半田宮司。「家で人形を眺め、おみくじを読み返すことで、お参りした時のこと、おみくじを引いた時のことを思い出し、感謝の心にフィード・バックできる。本当は、その距離感が大事だと思う」と言い、いつも神さまを心に感じている、その薄れない気持が大事だと強調している。

児童らによる烏相撲神事 斎王代も陪覧で 京都市・上賀茂神社
 重陽の9月9日、京都市北区の上賀茂神社で烏相撲神事が斎行された。
  御祭神の祖父・賀茂建角身命が八咫烏となって神武東進で功績を立てた伝説、悪霊退治で相撲をとる信仰、宮中における相撲の節会……などが結びつき、烏相撲が行なわれるようになったという。
   当日は、斎王が烏相撲を陪覧した古事にのっとり、本年の葵祭の斎王代、金井志帆さんも出仕した。
   御手洗川で清め祓い後、まずは本殿で重陽神事があり、菊花を献じて無病息災を祈願した。引き続いて斎王代が細殿に移って着座後、立砂の前に作られた土俵で、祢宜方と祝方、10人ずつに分かれて相撲をとった。
   取り組みを前に、祢宜代と祝代の神職による地取り(勝つための呪い)があり、次に差符奏上(取り組みの読み上げ)、斎王代による差符披見、祢宜方・祝方の刀祢による烏を模した三々九躍など独特の所作が修められた。続いて、行司に引率された相撲取りが立砂を廻り、いよいよ相撲本番となった。
   相撲を取るのは地元スポーツチームの児童ら。子供たちの真剣な取り組みの連続に、集まった多くの参拝者から大きな声援が飛んでいた。

赤穂市・大避神社の『坂越の船祭 総合調査報告書』がまとまる
市教育委員会による全貌調査で 伝承・伝説の豊かな大避神社

 兵庫県赤穂市坂越に鎮座する大避神社(生浪島堯宮司)の秋祭り「坂越の船祭り」に関する総合調査書がこのほどまとまり、限定刊行された。発行は赤穂市教育委員会。
   「坂越の船祭り」は瀬戸内海三大船祭りの一つに数えられ、国の選択無形民俗文化財にも選ばれている。
   御祭神の大避大神は秦河勝のこと。海に面した丘陵中腹にある同神社からは瀬戸内に浮かぶ無人島、生島が至近距離で望まれるが、そこに河勝の墓所がある。
   船祭りの初日、宵宮では、この生島で墓前祭を執行する。本土の町内で奉納舞などを披露する一方、海上では歌船が船歌を奏でながら浦を巡る。2日目の本宮では、神社での御遷祭に続いて宮出しがあり、御神体を船に乗せて船行列を作り、生島との間を往復する。この船渡御における船歌などが伝承されつつ実際の船祭りで奏で、歌われている事実は貴重であり、船歌を含めた様々な芸能要素が民俗文化財として選択されている。
   大避神社は、渡来人である秦氏に関する伝承、その他の伝説、そして船祭りの民俗などに彩られ、学術的に興味深い遺産を今に残し、多くの文化人や芸術家、学者らが研究や参拝に訪れる。
   坂越の集落自体は過疎化と高齢化が進み、祭りの継承にも多大な労力を要するようだ。そうしたなかで今回、船祭りの全貌を網羅した『坂越の船祭総合調査報告書』がまとった。生浪島宮司は「この祭りの本来の姿をとどめるにも困難を極めているところだが、報告書の発刊は今後、氏子ともども総力を結集し、継承していくための大きな励みになります」と、実感を込めてしみじみと話している。

投稿・読者からのお便り

菅公を祀る教育神社
新潟県魚沼市 諏訪神社 田中正博
   愚輩が奉仕する諏訪神社の境内社に教育神社≠ェある。   
 この由縁について、地元の『青島村誌』には
明治36年8月青島字大澤入りに小出町尋常小学校学校林を設置し、此の地内一段の優地の古松の下に石祠を建設し、当時の校長宮孝雄氏揮毫す。
教育神社と称し菅公を祀る。爾来、秋季一回宛毎年役場 吏員、学校職員、学校委員、 大字青島区長、社掌、其他 有志の催しにて祭典を執 行する事又、就学児童の植 林思想養成の傍ら参拝し て神徳を崇む。

と、記されている。
 これは当時の町長の
 「 これからの全ての人々は新しい社会に目覚め、世界観を持つには知識であり教育である」
 との理念によるものである。
 校舎の用材としての学校林には昭和四十年代頃まで中学生は春の行事として下草刈りに往くのが慣例であり、11月3日・文化の日には学校関係者と地元役員が祭典を執行してきたが、校舎の鉄筋コンクリート化によって木材の利用が減少したことや、山中での祭典は何かと支障を来すことから、仮宮として同地内の諏訪神社の相殿として遷祀して参拝者の利便を図った。
 平成5年に小出町を始めとして東京小出会といった地域関係者の各方面からの奉賛もあって諏訪神社の境内社として造営された。
 今年も、世情の反映もあり学校関係者の参列は見られないが、総代を始めとする役員、父母会、明春の進学者等の参列を得て祭典が行われる。            

山口市指定無形文化財『小郡岩戸神楽』を守ろう!
山口市小郡文化資料館 文化財専門員 福島順子

 山口県山口市小郡上郷に鎮座する熊野神社は、もと村社で祭神は伊弉諾尊・事解男神・速玉男神。旧称を椹野大権現と称し、東大寺の建立にあたり鐘楼の撞木として椹の大木を採取した伝承がある。
   小郡の岩戸神楽(山口市指定無形文化財)は、岩戸の舞保存会と地域の子供たちによる舞い方が中心で、岩戸の舞、チャンチキ舞と呼ばれ受け継がれてきた。神楽は十六座からなり、宮廷の御神楽九座(緑の舞・一番神楽・二番神楽・三番神楽・四本幣・花三重・弓の舞・薙刀の舞・四本剣)と民間の岩戸神楽七座(太玉命舞・素盞鳴尊舞・天児屋根命舞・思兼神舞・天鈿女命舞・天照大神舞・手力男神舞)で構成されている。
   天鈿女と天照大神は舞い手が少女でそれ以外の舞い手は少年を含む男性である。椎の木で模した岩に向かって走り飛びつく「岩戸さぐり」と言う激しい手力男舞は、時として神がかりもみられる「鬼の舞」と呼ばれて舞殿が荒れるため天照大神舞と振り替えて神楽舞の最後に舞うのがその特徴である。
 昨年度調査の際、観光化されてない素朴な神楽に魅了されるとともに、数十名程度と神楽観客が非常に少なく地元の関心が薄かったので、神楽を次世代へ継承し広報することを目的に当館で企画展を開くことを発案した。岩戸の舞保存会山根文男会長の入院や予算減に悩む小さな資料館で神楽写真パネルや神楽装束など三十六点展示の『小郡の岩戸神楽展―舞い集う日本の神々―』(9/17 〜10 /9、入館者数388名)やふるさとセミナー「神楽鑑賞のツボ」を開催し、熊野信仰や神楽史を解説、希望者を夜神楽鑑賞会へと案内した。
 その結果、地元の地域づくり協議会の協力もあり、今年の神楽の観客は初参加の方が多く百人を超え神社の境内に入りきれないほどの人で賑わった。また、市外からの神楽ファンや県外からの研究者の問い合わせや来訪もあり、地元の無形文化財保護のカンフル剤となったと思う。高齢化や少子化に悩む山口県では、衰退の危機に瀕する無形文化財が多く、親の介護で都会からやむなくUターンした私としては、地域の民俗芸能を通し神道文化啓蒙へ寄与できれば幸せである。私自身もシャーマニズム研究の一環として、中央の神道史から中国地方の神楽や神憑りをフィールドワークしながら専門領域を広められたら嬉しい限りである。 

伊勢の神宮 神嘗祭を奉拝して
   神嘗祭といえば伊勢神宮の最重要な儀式。地方の者には拝見する機会はなかなかありませんが、この度縁あって得難い経験をさせていただきました。
   10月15日には初穂曳があり、外宮に向かう陸曳(おかびき)を見学。お木曳車に乗せた初穂を木遣り歌とともに「エンヤ―」の掛け声で曳いていって奉納する行事ですが、あいにくの雨。雨具をまとわないのがいなせなのか、ずぶぬれの人が多く、かわいそうなほどでしたが、初穂の稲束や米俵を見てほっとさせられました。
   午後には内宮参道で御卜に向かう神官たちを拝見。御卜とは奉仕をするうえで神の御心にかなっているかどうかを占うもの。夜はいよいよ外宮で由貴夕大御饌の儀式。雨のため正宮の中重ではなく四丈殿で行われたために全貌を窺うことはできませんでしたが、二つのかがり火だけがともされた闇の中、雅楽の調べが聞こえてきて、厳かで荘重な雰囲気がありました。引き続き多賀宮で行われた際には間近で見ることができ、感激を新たにしました。
   翌々日は内宮参道で勅使を迎えての奉幣の儀を拝見した後、御垣内で参拝。内玉垣に懸税(稲穂の束・写真)が掛けられているのを見て、全国の稲作に携わる人の感謝の念を感じさせられました。
   神嘗祭を通して日本という国の成り立ちをある種の実感を持って深く考えさせられ、こうした文化が永続してほしいという思いを胸に伊勢の地を後にしました。 
(宮城県Y・W)