神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
神道最前線 : 瀧音能之氏 (駒沢大学教授)

古代地域史の研究
「風土記」を基本資料に

地域勢力の世界
地域間の交流

ダイナミズム欠いた個別研究
   古代日本史が専門で、とくに「風土記」を基本資料とした地域史の研究が最近のテーマである。とりわけ『出雲国風土記』を軸にフィールドワークを重ねた古代出雲の研究では定評を得ている。
   「研究の出発点が出雲だったので、ここにはこだわっていきたい」といい、古代出雲の謎解きの魅力は捨てがたいようだが、一方で、一史料に縛られてダイナミズムを欠いた単眼的な研究の多いことには批判的だ。
   「風土記研究にしても、これまでは、まとまって現存する五つの風土記のうち、一つに焦点を当てたり、他の諸史料を無視したような個別研究が多かったように思う」

大和中心史観からの脱却
「地域ごとに大神¢カ在したはず」

   「単眼的」とともに、「線的」に捉えてしまう見方もまだまだ横行しているという。こちらは古代の日本の姿をどう解釈するかという重要な論点に関わってくるので、事は重大だ。つまり「古代史ではいまだに、大和中心の史観が強いように感じられる。〈大和対出雲〉〈大和対越〉〈大和対吉備〉――という捉え方です」
最終的には大和勢力が各地を服属させて、統一政権を築いたが、日本列島の各地域の世界というものも大切だし、大和以外の地域同士の物質的、精神的な交流もあったはずだというわけだ。さらには権力者とは別の、民衆には民衆の世界や暮らしがあったことも強調している。

 ◇  ◇

   複眼的に見ていくと、古代の日本列島が生き生きとダイナミックに動き始める、というのが瀧音氏の主張するところである。
   「ちょっと強引かもしれないが、大和政権で奉斎された伊勢の天照大神があったように、勢力のある地域ごとに、大事にされた『大神』というものが存在したはずです。出雲では大穴持が奉祀されていたし、常陸周辺では経津主や武甕槌がそうだったかもしれない」
   とくに、いわゆる「記紀」に見られる出雲系神話と、『出雲風土記』の出雲神話が似て非なるものであることは周知の事実である。
   勢力間の交流・関係という観点では、『出雲風土記』における高志(越)の沼名河比売に関する神話から「出雲と越」の、また「記紀」の神話にも接点の見られる「出雲と宗像」の交渉に注目している。「出雲と朝鮮半島」の関係も無視できない。

風土記は使い道がある
   以上のように古代の日本列島を多元的な動きのある姿として捉え、地域像を描く場合、「風土記」というのは瀧音氏の言葉で言うと「いろいろと使い道がある」。
   その使い道の一端だが、瀧音氏は様々なテーマを設定して、それに関する五つの「風土記」の記載を比較検討する作業も試みている。「神祭りの形態」「信仰の対象物」をはじめ「各地の特産物」「古代人の宴会」等々。前述の、地域で奉祀する「大神」のこともここに入るかもしれない。
   古代出雲に関する著書や論文が多いので、島根県古代文化センターの客員研究員として招聘されたり、島根県での講演を依頼されたりすることが多い。
   だが、「出雲だけやって古代が分かるとはもちろん言えない」
   あくまで面的、複眼的に見る古代国家像の確立が重要だと訴えている。




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