神道フォーラム 第39号 平成23年5月15日刊行

お見舞いの言葉 (中国・杭州市)

化悲痛爲力量(悲しさを力に代えよう)
浙江工商大学東アジア文化研究院 副院長 陳 小 法

   このたびの東日本大震災において、被害を受けられた日本の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。また亡くなられた方々に深い哀悼の意を表します。  
 2011年3月11日、私は午後2時頃、杭州の病院で手術を受けて退院した姉を実家の寧波余姚に送るためマイカーで走行中に、ラジオの速報ニュースで日本で地震のあったことを知りました。でも、地震多発の日本だから、当時は気にしませんでした。夜、テレビをつけて、はじめて日本の東北地方がマグニチュード8・8(13日M9に変更)の大震災と大津波に襲撃されたことを知り、驚くばかりでした。
 自分が被災地の現場には駆けつけることはできませんが、その後、東日本の救援活動はもはや自分の生活の一部となり、あらゆる情報を知りたくてなりません。毎晩仕事を終えると、テレビをはじめ各媒介の救援報道の捜査に没頭し、涙ぐんだり、救われた人と共に喜んだりして過ごしました。
 東日本大震災の発生後間もなく、杭州でも色々な支援活動がおこりました。誰もがボランティアに行けるわけではありません。個人で物資を送るのも混乱につながりやすいので、ならばいろんな人が参加できる有効な支援の方法として、その思いと志をお金に託そうと、わたしの所属である浙江工商大学の多くの教員及び一部の部署が募金活動に参加しました。また、本学の学生達と日本からの留学生と共同で支援活動を行いました。
 活動は大きな反響を呼んで、中国中央テレビ(CCTV)までが大きく報道しました。集められた寄付金は在上海日本国総領事館を通じて、被災地に届けられたそうです。被災地の復旧には本当に微力ですが、中日の若者がこれまでのしこりを水に流してお互いに助け合う精神を養うきっかけとなったことは何よりと思っております。
   今回の大震災はまさに災いの重なるもので、地震・津波によって数万の尊い命が奪われてしまったばかりでなく、放射能の漏洩は人々の生活及び生命に新たな脅威を齎しています。とても心配なのはその事態収拾のメドがいまだに立っていないようです。
   わたしは歴史を研究しているものなので、二言めには自分の商売の話になって恐縮ですが、自然災害は、人と文明に大きな変化を促すきっかけになれますから、東日本大震災の惨状をしみじみ目撃した世界の人々は、現在まさに大きな岐路にたっており、それは原子力に大きく頼るままの今の電力文明にしがみついて生きていくか、それとも、別の文明のかたちを追求していくか、深く考えさせられる問題です。
   最後になりますが、中国の激励の言葉「化悲痛爲力量」(悲しさを力に代えよう)をお贈りして、日本の皆様が一刻も早く困難を乗り越えて、故郷の再建に邁進されるよう心からお祈りします。

神道フォーラムをお読みの皆様
 東日本大震災及びそれが原因で津波が起こり、多大の被害を出した事、また原子力発電所の事故により、日本の国民が不安の日々を過ごしておられる事をテレビのニュースで知りました。南開大学日本研究院の教職員及び学生全員は、この度の災害の恐ろしさに驚き、心を痛めております。早く余震と原発の事故が落ち着いてくれる事を願うばかりです。  
 日本の国民の皆様、とりわけ被災者の皆様が、早く災害から立ち直られる事と、被災地の早急のご復興を切に祈っております。
南開大学日本研究院所長李卓および教職員学生一同

お見舞いの言葉 (ロシア)

 神道国際学会ロシア事務所は、ロシアの日本研究者を代表して、何万人もの犠牲者を出した東北地方太平洋沖地震・津波に関し、日本国民に深い同情とお悔やみの意を表します。日本国民が体験している未曽有の災害に連帯し、亡くなられた方がたのご家族に心から哀悼の意を表します。日本国民がこの危機を超え、元気で安全に生きられるように、被害を受けた地域の生活が一日も早く安定するように希望し、被災者の幸運をお祈りいたします。
神道国際学会ロシア事務所 
モロジャコワ・E、ウオテシェク・E、ヂアコノヴァ・E、エルマコワ・L、 メステリャコフ・A、マズリック・V、シモノワ-グゼンコ・E、ソスノフス、 カヤ・E、スピリドノフ・G、フェヂアニナ・V

モスクワ・三月の影クラブは「日本における地震」
大災害に思いを寄せて

 3月11日午後、現在「東日本大震災」と呼ばれる大災害が日本を襲った。神道国際学会ロシア事務所では3月22日(火)にロシア国立東洋諸国美術館で定例の「影」クラブの講義を行ったが、講演のテーマを急きょ変更し、ロシア科学アカデミー極東研究所のクジミンコフ・ヴィクトル博士が自身の経験をもとに、「日本における地震」について講義をおこなった。
   クジミンコフ博士は3月11日に開催される予定だった国際シンポジウム「日本とロシア=互いのイメージの変遷と未来」に参加するために東京に行き、あの地震を経験した。クジミンコフ氏は世界の歴史の中でも屈指の大地震、それに続く大津波を経験した日本人の精神の強さ、結束、自制力、行動に規律があることに言及し、聴衆の注意を喚起した。
   クジミンコフ博士はさらに、19世紀の安政江戸地震(1855年)、明治三陸地震(1896年)、二十世紀におこった関東大震災(1923年)、17年前の阪神・淡路大震災(1995年)などの大地震についても言及し、火山の噴火、台風、津波、地震など自然災害の多い日本の自然、気候風土は、日本人にねばり強さと災いを乗り越える能力を与えたと述べた。
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お見舞いの言葉 (アメリカ)

手作り絵馬に託した願い、日本へ届け
―ワシントンDCさくら祭りで―

   4月9日、アメリカの首都ワシントンDCで、日米協会主催のさくら祭りが例年どおり開催され、ISFも参加した。
   さくら祭りは有名なポトマック河畔の桜の開花にあわせて毎年、日本の食べ物や物産の販売、文化や伝統を紹介するブースなどが、ワシントン中心部を通るペンシルベニア大通りにひしめくように立ち並び、多くの見物人たちであふれかえる春の風物詩だ。
   ISFも例年、ブース内に神籬や神饌をお供えした祭壇、鈴を設けて、神前参拝を体験して貰ったり、ワシントン日米協会所有のお神輿を展示したり、御守やおみくじの頒布や、また神道に関するパンフレットをくばったり、本の販売、更には浦安の舞や笙の奉奏などを通じて神道文化を紹介するブースを出展している。
   ただ、今年のさくら祭りが例年と違うところは、3月11日に東北地方太平洋沖を中心に東日本一帯を襲った未曾有の大震災から一カ月後という事もあり、義援金など日本の被災地への支援を呼びかけるブースが目立ったことだ。
   ISFも被災地の為に何かできることはないかと、例年どおりの神道の紹介に加えて、NYセンター職員が手作りした「Pray for Japan」と書かれた絵馬をブースに置くことにした。参加した人々に、この絵馬に日本を応援するメッセージを書いてもらおうというもの。書いてくれた人には、それぞれブースの一角に設けた注連縄に祈りを込めて結んで貰った。また絵馬の頒布料や賽銭として来場者より頂いた浄財は、大震災の義援金とすると説明したところ、多くの人が寄付してくれた。
   他のブースでも被災地の写真などを展示しており、人々は足を止めて写真に見入っていた。私たちに家族の安否を聞いて来た人もおり、日本をおそった大災害に心を痛めている人達がいかに多いかが感じられた。
 アメリカ人が日本の惨状に胸をいため、復興をともに祈ってくれることを紹介し、この事がさくら祭りの原点である日米友好の絆を改めて確かめあう機会となればと心から願う。報告=ISF・NYセンター中西正史
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行雲流水:「天災は予見できるのか 」

 将来が見通せる予知能力を持つ、と自称する霊能者、占い師の類は日本にも海外にも数え切れないほどいるが、今回の東日本大震災、大津波の日時、場所を正確に予見したという話は聞こえてこない。後になってから、実はそろそろ起こりそうだと云っていたのに、などという科学者もいるくらいだから、預言者の先生方の中にもその種の発言をしている人がいてもおかしくない。また、当たるも八卦、当たらぬも八卦とばかりに、天災の近いことを触れまわっていた人もいたかもしれない。
しかし、その功罪は別として、全く別の次元でこの10年ばかりの間、世界中で囁かれてきている「2012年世界終末説」というのがあり、2009年には「2012年」という、そのものズバリの映画まで製作され、日本でも同年11月に封切られているから、ご覧になった方もあるかもしれない。また、同年11月15日のTBS「世界ふしぎ発見」でも取り上げられている。 
  この世界終末説には大きく分けて二種類あり、一つはマヤ文明の長期歴によると、2012年の12月21日から23日ころに世界は一つの区切りを迎える、というもの。もう一つはオーストラリアの南クイーンズランド大学のブラッド・カーター博士の説で、オリオン座のペテルギウスという星が爆発して第二の太陽となる、というもの。ただカーター博士はぺテルギウスが爆発しても、640光年離れているので二週間ばかり太陽が沈まないことはあっても、地球に降り注ぐエネルギーの99パーセントは無害であろう、としている。これが25光年より近いと、地球上の事象はすべて焼きつくされるらしいが。
  いずれにせよ決して有難いことではないが、そう言われてみれば昨今の異常気象、天変地異は何だろう、という疑問も出てこない訳でもない。日本でいえば去年の夏の記録的な猛暑、この冬関東で記録された、気象台始まって以来の異常乾燥と、裏日本での豪雪、ヨーロッパでも飛行機が何便も欠航したほどの大雪と、早すぎた春の到来、そしてニュージーランドの地震に続いて東日本大震災、大津波、さらにタイ国では普通3月から4月にかけて、35度を上回る一年で最も暑い時期になるはずが、今年はせいぜい日本の4月下旬並みの、20度そこそこという「低温」で現地の人々は寒い寒いと騒いでいたという。
  これは2012年世界終末説へのプレリュードなのか、はたまた一年早く世界文明の区切りを迎えようとしているのか、世の中の予言者、科学者たちはどう解説してくれるのだろうか。
 2012年といえばあと僅か半年余りであり、ロンドンオリンピックの年に当たるから、スポーツ関係者にとっては縁起でもない話だが、われわれ庶民にとっても些か気になるところでもある。春 秋 子

連載・神道DNA「善きサマリア人」 三宅善信師

  このたびの東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げると同時に、被害に遭われた方々の一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。
  マグニチュード9.0の超巨大地震による大津波という未曾有の事態によって、われわれの社会にさまざまな「非日常」がもたらされたが、その非日常とて、前提となる「日常」があってのことであり、その前提としての「日常」が異なれば、そこからもたらされる「非日常」も自ずから異なったものになるというのが道理であろう。逆を言うと、「非日常」すら「元の日常」に引きずられるということである。そのような観点から、被災地に限らず、日本の各地で起こった出来事の二、三について検証してみたい。
  震災のダメージがほとんどなかった首都圏を中心にスーパーやコンビニの店頭から特定の商品が品薄になったことを「一般市民による利己的な買いだめ行動」と批判した政治家やマスコミがあったが、私の観るところ、本件についての最大の要因は、政府・自治体や大企業による「買い占め」による品薄がもたらせたものである。メーカーも手間の掛かる小売店経由よりも、大ロットの顧客のほうが効率的であるので、そちらからの注文を優先して被災地へ届けた。
  では、何故、こういう事態が生じたのか? それは、避難所での食糧や衣類の配布方法に問題があるからである。16年前の阪神淡路大震災の際に経験したことでもあるが、多くの避難所には、震災発生数日後には、水や食糧品が十分あった。しかし、これを分配する時に問題が生じた。例えば、ある市のA避難所には600人が収容されており、B避難所には500人が収容されていたとしよう。そこへおにぎりが450個、パンが350個、カップ麺が300個届いたとする。私の常識では、収容者数の合計が1100人で、食糧の合計が1100個なのだから、全員、何かひとつは自分の口に入ると思われる。
 ところが、実際にはそうはならないのだ。同じ避難所内で暖かいカップ麺を食べている人と冷たいおにぎりを食べている人がいるのは不公平だからといって、あるひとつの商品が500個ないし600個揃わないかぎり、全員に配布できないのである。そのような訳で、この市の体育館には何カ月も籠城戦を持ちこたえることができるほどの食料品の段ボール箱が堆く積み上げられてゆくのである。だから、被災した各自治体は、個人から寄せられた小口の善意の救援物資――当然、一人でパンやカップ麺を1000個も送れるような人は普通はいないから――の受け取りを拒否し、分配しやすい大ロットの自治体や企業からの救援物資を有り難がるのである。
 ボランティアにしても然りである。個人のボランティアの受け入れを拒否している自治体がたくさんあると聞く。答えは簡単である。被災者である自治体が彼らの世話まで焼かねばならないと思っているからである。だから、勝手に一糸乱れぬ行動を取ってくれる米軍や自衛隊は言うまでもないが、「受け入れボランティアは団体のみ」という訳の解らない回答になってしまう。
  また、「少しでも被災者のお役に立ちたい」と思っている個人も個人である。真っ先に県庁や市役所へ行って、ボランティア登録をするという「優等生」的ボランティアが多い。しかし、これらの態度は、言葉を換えれば「指示待ち人間」ということである。誰かから指示を受けなければ活動できないようなボランティアは、本当のボランティアではない。
 ボランティア(英語では「Volunteering」)とは、制度化されたものではなく、個人が、自発性・無償性・公益性・先駆性に基づいて自己責任で活動することである。その淵源は、中世の十字軍のような「志願兵」に遡る。あくまで、個人の勝手気ままな行為――この場合、「人を助けたい」という発露――がその根本にあるので、ボランティアセンターなどへ行って行政機関の指示を受けるなんぞという行動は、ボランティアの風上にも置けない振る舞いである。医療従事者ならどこでも役に立つであろうが、他にも、理容師が散髪をしてあげたり、司法書士が各種届け出文書の作成を手伝ってあげたりと、人にはそれぞれ得意なスキルがある。僧侶が亡き人の菩提を弔ってあげるというのも大きなボランティアである。それを十把一絡げに行政が仕分けするなど筋違いも甚だしい。しかし、行政の言うことを真に受けて、マスコミも「押しかけボランティアは迷惑」と戒めている。
 未曾有の大災害という状況下にあっても、「助けを必要としている人」の個別のニーズよりも、行政やマスコミの判断を上位に置く価値観や日頃の秩序が優先される日本社会の有り様を垣間見た気がしたのは私だけであろうか? 新約聖書のルカ福音書に出てくる『善きサマリア人』の譬えをご存知であろうか? イエス・キリストは「道端で強盗に遭い、半死になっていた旅人を親身になって助けたのは、律法の禁止事項を杓子定規に解釈して、そのけが人を助けず観て見ぬふりをして通り過ぎた祭司やラビといった公職にある人ではなく、ユダヤ人から嫌悪されていたサマリア人であった」という譬え話でもってその隣人愛のなんたるかを説いた。さて、被災者にとってのサマリア人とは誰であったであろうか?

神道展示館訪問 : 熊野速玉大社 熊野神宝館

中世の古神宝類が
今に伝わる稀少な宝物館
皇室奉献品など国宝が多数

  神の調度品を含め、皇室や貴族、将軍家などから奉献された神宝や宝物を多数、目の当たりに拝観できる稀有の神宝館である。
  熊野三山に限らず、古神宝類の滅失は著しいが、同大社に献納された古神宝は幸いなことに、その多くが今日まで伝わっている。国宝に指定されたものに限っても670点(内容品や付属品も計上すると1200余点)に及ぶという。
  古代・中世の熊野御幸に象徴される皇族による熊野への御崇敬があり、また、時の権力者の篤信ぶりがある。それを如実に物語る貴重な遺宝に、「熊野信仰」の重厚さを再認識する。
  南北朝時代の蒔絵手箱や彩絵桧扇が良好な状態を保って幾つも残る。玉佩をはじめ神宝のほか、懐紙や紅帖紙など、朝廷の人々の身振りを彷彿とさせる遺品も並ぶ。
中世を中心とした往時の高い技巧をそのままに伝承している稀少さが高い価値を誇っている。

▽開館時間=9時から16時まで。
▽拝観料=大人500円、高校生以下は無料。
▽和歌山県新宮市新宮一の熊野速玉大社境内
▽電話0735(22)2533

ISF ニューヨーク便り

  3月11日に東北地方や関東地方を襲った地震、津波による大災害、それに加えて福島第一原子力発電所の事故による放射能漏れは、ここニューヨークでも連日テレビや新聞で大きく取上げられている。未曾有の大震災を受けた日本に対し、日系団体や日本人、さらに多くのアメリカ人がチャリティイベントを行い、ISFもそれに協力して、様々な支援活動を行った。
  地震から一週間後の3月18日、国連のチャーチセンターで開かれた「東北・関東大震災犠牲者追悼式並びにキャンドル黙祷の集い」に中西オフィサーが参加した。会場には世界中からの様々な宗教者や国連関係者、日系団体の代表者など100人あまりが集い、日米合同教会、浄土真宗、日蓮宗、立正佼成会などの日本人聖職者が、それぞれの宗教による祈りを捧げた。中西オフィサーも震災犠牲者の慰霊と復興祈願の祝詞奏上を行なった。追悼式の後には、参加者全員が手に手にキャンドルを捧げ持って行進して祈りを捧げた。
 3月24日、NY国際センターで日本の被災者の為のチャリティ・コンサートが開催され、中西オフィサーもその一端をになって笙を演奏して弦楽器クーゴなどと合奏を行った。同センターは米国にくる外国人たちの英語教育を支援するために設立されたNPO法人で、普段から様々な国からの学生たちで賑わっているが、コンサートでは50名を超える参加者が一丸となって日本の被災者の為に寄付を募った。
  3月31日、ISFはNYセンターで「東北地方太平洋沖地震復興祈念および犠牲者慰霊祭」を行なった。当初は、英語による神道入門講座を行う予定であったが、このたびの日本での大震災を受け、急きょ犠牲者の慰霊と被災地の復興を祈念する祭典に変更したもの。
  当日は会員のほか、取材にきた地元のテレビ局や日系の新聞記者など20名ほどが参列した。震災当時日本に一時帰国していた林原事務主任が日本での様子や自身の体験を説明したのち、中西オフィサーが斎主となり、震災で亡くなられた方たちの慰霊と復興祈願の祝詞を奏上。その後、参列者一同が大祓詞を奏上し、林原事務主任が神楽「浦安の舞」の奉奏を行なった。
  この祭典で参列者より寄付された義援金160ドルは、日本国総領事館を通じて、被災地に寄付された。

From Abroad:オースルヴ・ランデ氏

スウェーデン国ルンド大学名誉教授
南山大学南山宗教文化研究所客員研究員

祭りや自然の中にある神道に関心を寄せ
「宗教間対話に仏教や神道も堂々と加わっていい」

  欧米における宗教対話が行き詰まるなか、日本宗教の役割は大きいと見ている。「宗教の対話を深めるためには、仏教や神道が入ってくる必要がある。その時、対立解消の新しい方向が見えてくると思う」
 同時に、他宗教への寛容性についても、「他の民族の信仰を見ることは、自己の信仰を深めることにもつながる。その意味で、日本の宗教伝統に出会うことも必要なのです」と語る。
 かつて欧米では、神道に関しては反感があり、一方、禅宗などを中心に仏教は隆盛をみた。しかし、日本人の生活に密接すぎる神道思想には、誤解というよりも、研究不足でよく理解されていなかったという事情があったと推論する。「国家神道という言葉だけで避けていた。避けるだけでは真の対話はできない。まずは知ることが大事です」
  最近は西欧文化を他民族に押し付ける現象は少なくなり、神道も含め日本の宗教や文化に習おうという風潮も出てきていることに歓迎を表している。

  ノルウェーに生まれ、スウェーデンのルンド大学で日本宗教を専攻。仏教や新宗教も含め、研究を重ねた。ここ30年来、北欧と日本を行き来し、日本の各大学で研究を繰り返し、徐々に神道への関心も深めてきた。
  神道の解釈については、二つの大きな視点を考えているという。「一つは天皇制との絡みで、政治的、かつ国家との関係も窺える部分。もう一つは、自然宗教としての見方で、もちろんそこには神≠ェ存在する。国家神道に懐疑的な西欧人の私としては、神≠ニ自然を感じる神道のほうに魅力があり、そこに希望も見出せる」と論ずる。
そして、「折口信夫は神という概念、山から下りてくる、あるいは、海の向こうからやってくるマレビトという概念を大事にした。そうした神道の宗教的な観念に私は関心を寄せてきたのです」と、神道研究の自らの立場を語る。
  「祭りの中に、自然のふところの中にある神道です。そうした普遍的な側面を、日本人は国際的に強く打ち出してもいいと思う。その開放性においてこそ、国際社会が持つ課題へのインスピレーション的な解決策と、そして関心を育てることができるでしょう」
  滞日期間が累積するにつれ、日本の知人も増えた。皇學館大学との関わりも深い。政治性の匂う神道思想には辛口だが、つねに対話と交流を重視してきた。日本からの世界貢献に期待を寄せる学者の一人だ。

投稿・読者からのお便り

寺院における檀家との絆について
―ある寺の御霊膳より―
諏訪神社(新潟県魚沼市)    宮司 田中 正博

   “千の風にのって、あの大きな空をふきわたっています”という歌詞の「千の風になって」という、死者が生者に語りかける歌が大ヒットしたが、これは死者の弔いを軽しめているように思われてならない。
   また、貴紙・5月15日号の奈良泰秀氏の論のように遺骨の扱い方について、一定の規定がないこともあって、近年は葬式の在り方が変わってきている。
   このような世相の中で、昔ながらに檀家の各位牌に、正月は餅を、春秋の彼岸や盂蘭盆会には膳を供することを護持している寺院を紹介し、葬祭を奉仕し祖霊殿、墓地を営む関係諸氏の参考となれば幸甚である。
   東北の菊まつり≠ナ 有名となった福島県二本松市は、戊辰戦争の激戦地の一つであり、殉死した二本松少年隊の墓がある処でもある。
 その市内のある寺院では、位牌檀堂に安置された二百余りの位牌に、正月は餅を彼岸の入り、中日、明けの三日間と旧盆の迎え盆と送り盆の日には霊膳上げと称して膳を調え供している。
 その準備は、仏飯、茶と菜の三品を調え、檀徒の参詣前に供しなければならないことから、早朝の作業であり夕刻には撤する。
 旧盆の仏飯は麺類を用いることもあり、菜は煮物や新香の時期の心づくしである。
 この霊膳上げは、檀家と寺を結ぶ貴重なものであり、位牌檀堂に上がり、膳の上がっているご先祖様をお参りし、祖父、祖母が膳を見ながら孫たちにこの習慣を教えている光景は暖かく美しい。
 今日まで、年数回にもおよぶこの膳を調えてこられた寺族の方々の仏心に只々敬服するのみである。

地震の影響、こんなところにも
   3月11日の大災害から数日後、まだ余震が続く茨城県の街中を歩いていてぶつかった光景です。思わず写真をとりました。
   石の鳥居は笠木がとれて無残な姿。落ちていた額によると「幸福稲荷」とありました。とても幸福な姿には見えませんでしたが、崩れた鳥居や垣でケガした人がいるとは聞かないので、それは幸せなことでしょう。本殿前に行こうにもガレキの山で歩けず、元の姿に戻るのはいつのことかと思いながら、道路から拝礼しました。
 お寺でも墓石がずいぶん倒れたと聞きます。鳥居や燈篭など、くずれやすいものが多い神社も、きっと影響をたくさん受けたことと思います。こうした施設は人々の暮らしが落ち着いてきてから、再建にとりかかるのでしょうから、私は当分、この鳥居を横目に見ながら、通勤することになりそうです。 (茨城・HS)

ベトナムだより・その2
たった一人で神道研究
ウィーン・ヴォー・キュー・チンさん
報告・池 田 福 男

   4月15日は、僕がベトナムに来てから今まで、通訳として、またベトナム語・英語の先生として、 僕の慣れないベトナム生活を助けてくれたチンさんの大学院での5年間におよぶ「日本文化と神道」の研究を集約した卒業論文発表会でした。
 チンさんは、ウィーン・ボォー・キュー・チン(NGUYEN VO KIEU TRINH)さんといって、ベトナムで唯一の国立大学であるベトナム国家ホーチミン市人文社会科学大学(ホーチミン市、ハノイ)の東洋学部日本科の大学院生です。
 チンさんは、JICA(ジャイカ)でベトナム語の通訳をした時に神道を知り、興味を持ちました。そして、日本文化は神道を抜きにしては語れない、神道は日本人の心の背景だということを知り、教える人も教材もないなか、ひとりでコツコツと研究しはじめたのです。
 彼女の卒業論文の内容は、1)神道の歴史の説明=八百万の神々、神話(古事記、日本書紀)の時代から現代まで。2)神社、大社、神宮の説明=拝殿の説明、参拝方法、伊勢神宮、「新嘗祭」「神嘗祭」など。3)神社建築、古典的な神社建築の種類。4)実例をあげて日本文化と神道との関係について説明=「祭り」「神前結婚式」「能楽」「相撲と塩」「武士道」「日本人の年中行事/初詣、七五三、お宮参り」「歌舞伎」「注連縄と紙垂」「祭りのカラクリ人形と現代の日本製品」「地鎮祭と棟上げ式」「正月の行事」「大掃除」「初詣」「米、塩、日本酒」「おせち料理」等々、と実に多岐にわたっています。
   神道を卒業論文に選んで苦労をしたことを聞くと、「神道の専門用語を理解するのに苦労しました。またそれをベトナムの言葉にするのが大変でした。神道の資料を読み、文中の漢字を調べて、そしてその漢字の意味を理解するのに苦労しました」とのことでした。また、神道の研究前と後で感じた日本イメージの違いについてたずねると、研究前は日本や日本人を理解しずらかったが、研究するにつれ、日本人の行動を理解できるようになった。例えば年中行事、生活様式などは神道に根ざしていると考えると、理解できるようになったとのこと。
   神道を研究していることについて、仲間からなんと言われたかとの質問には、「神道を研究しても、自分のスキルにも実益にもならないと言われました」とのことで、応援する人は少なかったようです。僕の経験でも、ベトナムでは実益主義というか現実主義というか、理想的な事よりもいかに現実的で実益をもたらすかが大事です。なにごとも口約束ではなく、必ず契約書が交わされます。
 僕はチンさんからベトナム語、英語以上に、「神道」を通して日本文化の色々な事を教えられたように思えます。友人達からは、生徒の僕の語学力には成長は見られないが、先生であるチンさんの日本語は上手になったという評判です。 今、僕がベトナムで言葉も解らずに生活できているのは、チンさんご家族の協力があったからだと感謝をしております。
 今日、チンさんの卒業論文発表会が無事におわり、教授の方々からの総合評価は100点満点で93点と高い評価でした。通常は75点レベルだそうです。あとは11月の卒業式を待つだけになりました。おめでとうございました。
 チンさんの笑顔は多くの人に好感を持たれます。しかし、笑顔とは逆に自分の信念を曲げない強い意志の女性です。一般的にベトナム女性は、世界で一番優しいが、一番感情が激しいと言われています。日本人の男性の様に「お〜い、お茶」なんて言えば「今忙しいので自分で入れて下さい」といわれます。
 チンさんの大学図書館へ神道の本を寄贈したいという、神道国際学会からの申し出を話しましたら、喜んでいました。チンさんも神道の事を調べるのに大変苦労をされたようですので、大学の図書館に神道の本があると、後輩の方々には喜ばれる事と思います。これからも神道を研究する学生さんの数が少しずつでも増えていくことを僕は願っています。

新刊紹介

新刊『新・神社祭式行事作法教本』
祭式作法を懇切丁寧に教授
現任の神職も活用できる一冊

   祭式作法の実際や流れを学ぶ者にとって座右の書≠ニなる『新・神社祭式行事作法教本』がこのほど、刊行された。
   長らく國學院大学の神職養成で使われてきた『神社祭式行事作法教本』の改訂版だが、作法の諸原則や、礼の心得をしっかり捉え、姿かたちが一目瞭然の写真を豊富に取り込むなど、内容を一新している。用語解説も加え、懇切丁寧な伝授を眼目とし、神社本庁で近年行われた行事作法の改正点や、これまでの申合せ事項などもとり入れてあるので、これから神職を目指す者はもちろん、すでに奉仕に就いている神職にとっても活用できる一冊だ。
   編著者は、國学院大学教授として祭式作法を指導してきた沼部春友氏と、同大学の現任教授の茂木貞純氏。両氏とも祭式講義も担当し、神社本庁祭祀審議委員会の委員を務めている。

編著者の一人・沼部春友氏に聞く

   うち沼部氏は、旧・教本の編著の一人でもあるが、今回はとくに第二章として新たに書き下ろした「神社祭式行事作法の諸原則」に感慨を抱いているという。「祭式指導に半世紀ほど関わってきた経験のなかで、定年退官を前に、学習者に示しておきたいことがあった。それがこの『諸原則』なのです」
   それを目次から拾えば、「祭場の位次」「神社祭式行事作法執行の心得五ヵ条」「神社祭式行事作法執行の原則十二ヵ条」となるが、神社本庁の定める神社祭式関係規程との関連を念頭に、同氏は「規程の根底には原則や心得というものがある。なぜ、そういう規程になっているのか。根底を押さえず覚え込んでも意味がない」と言う。
   さらに同氏は「祭式作法というものは、単純かつ明瞭なもの。それは人間の自然体の最も美しい表現だからです。私は学生によく言うのです。『不自然はいけない、煩雑はいけない』と」と語り、かたちができあがる必然や必要性、そして意義を汲み取るべしと強調する。
   「そもそも神道は、日本の気候風土の中で、多くの祖先によって、自然に育まれてきたものであり、強制する教えが先にあるわけではない。そこにある作法も、敬神の心の表現でなければならない」(同氏)。
   かつては国民礼法があった。それを失った現在、正しい作法の美しさや意味をしっかり学んで、神職が参列者に感動を与える祭祀を奉仕してもらいたい。単なる教科書というだけでなく、教本にはそんな気持ちも込めたという。

『新・神社祭式行事作法教本』は戎光祥出版刊。
A5判、301頁、2940円(税込)。

『全国「一の宮」調元祖 信念の神道家 橘 三 喜』 郡順史著
   一の宮巡拝の元祖、江戸初期に生きた神道家である橘三喜を知る人は少ない。本書は、三喜が著した『一宮巡詣記』を資料に、その人物像に迫る伝記小説。多くの士道小説や歴史小説を手がける著者が、志高い言動をみせる三喜の姿を生き生きと描き出す。
  後半では、現存する「一宮巡詣記 抜粋 上・下巻」を易訳し、逐次に解説として〈寸釈余語〉を添えている。
   全国に会員を持つ団体「一の宮巡拝会」の会報に連載された初出を一冊に編集した。巻末には資料編として、「一宮巡詣記 抜粋 上・下巻」の原文複写も載せる。
宗教学者の山折哲雄氏や、尾張国一宮$^清田神社の宮司・真田清春氏(全国一の宮会会長)が刊行を祝して一稿を寄せている。
▽税込2500円(頒布価格)
▽一の宮巡拝会=本部事務局・電話072(791)5158
   東京事務局・電話03(5823)3901