神道フォーラム 第38号 平成23年3月15日刊行

平成23年度第1回理事会・社員総会

予・決算、事業計画などを討議
今年度第一回理事会を開催

   本会の平成23年度第1回理事会が2月26日に開かれた。翌日に開催の23年度社員総会へ回付される22年度の事業報告と決算報告、24年度の事業計画案と予算案について討議した。また、今年度実施予定の諸事業についても確認・議論した。
   議長は定款に則り大崎直忠理事長が務めた。開会冒頭の挨拶で薗田稔会長は、昨秋に逝去された梅田善美・前理事長の本会への功績に改めて触れ、続いて全員で黙祷を捧げた。
   今年度に行なう事業のうち、とくに7月に和歌山・熊野で開催を予定する国際シンポジウム「神仏の森林文化」については、講師や協賛団体の選定・依頼を早急に進めることを確認した。またシンポの折に開く第2回理事会についても議論した。
   ほかに、本会のロシア連邦事務所の活動状況や、資金提供を行なっている中国・南開大学日本研究院からの要請などについても話し合った。
   今理事会ではまた、オブザーバーとしてカリフォルニア大学サンタバーバラ校のファビオ・ランベッリ教授を招き、本会が支援する同大学の神道学講座の現況について話を聞いた。
   閉会にあたってジョン・ブリーン副会長は、故・梅田前理事長の培った遺産を生かして新たな将来を作ろうと呼びかけた。

今年度社員総会を開催
理事会から回付の全議案を承認

   本会の平成23年度社員総会が「神道セミナー」に合わせて2月27日、神奈川県鎌倉市で開かれ、平成22年度事業報告・決算報告・監査報告、平成24年度事業計画案・予算案などを審議し、全議案は満場一致で承認された。
   開会にあたり司会の梅田節子事務局長から、出席と委任状の合計数により本総会は成立すると報告があり、また薗田稔会長が「逝去された梅田善美・前理事長の功績を汚さぬよう努めていくので、会員の皆様のご協力を賜りたい」と挨拶した。
   議長には当局一任の声で茂木栄常任理事が選任され、続いて議事に入った。各議案は大崎直忠理事長が中身を補足説明し、それぞれ全会一致で承認された。同理事長は特に、国連・国際森林年に連動して行なう本年の目玉「熊野・国際シンポジウム」の予告をし、参加を呼びかけた。また玉川千里監査役は各報告・各案は適正に処理されていると報告した。
   閉会にあたりジョン・ブリーン副会長は「本学会は新しい時代を迎えたといっても過言ではない。亡くなられた前理事長、梅田氏の遺産をどう引き継いで新しい時代を作るか。一層の努力をするしかない」と、新執行部の決意を披露した。

連載・神道DNA「アメリカの食糧安保について」 三宅善信師

   アラブ世界で相次いだ「政変」の原因は、過去30年間にわたって続いたイスラム原理主義への回帰運動などではなく、ごく一部の固定的支配層への富の偏在に対する国民の憤りが「民主化」というキーワードによって発現されたものである。もちろん、多くの識者が指摘するように、フェイスブックやユーチューブといったネットツールの普及によって、万人が全世界へ向けて情報を発信することができるようになったからということは言うまでもない。
 だが一方で、新興国の躍進とグローバル市場の一体化によって、先進国の超金融緩和政策がもたらせた大量の余剰資金が、投機マネーとして食糧や資源マーケットに流れ込み、途上国にまで食料価格の高騰をもたらし、貧困層の生活を直撃したことも見逃せない原因のひとつである。私は、今から七年前に『アメリカが日本に捕鯨をさせない本当の理由』という小論をネットで発表した。その要旨は以下のとおりである。
 世界の食糧貿易の問題は、長年アメリカがとってきた「食糧安全保障」という政策と大きく関連している。米ソの冷戦がアメリカ側の勝利によって終結したのは、核抑止力による軍事的安全保障のバランス崩壊によってではなく、アメリカの食糧安保政策にソ連がまんまと絡めとられたからであるとも言える。
 1970年代に入ってからのアメリカは、仮想敵国であるソ連に対し、食糧援助をすることによって、豊かな西側市民生活の象徴である大量の牛肉食の習慣を植えつけるという意外な戦略をとった。近代的な畜産業は、一日も早く牛を商品化するために、放牧ではなく「牛舎の中で飼料を与えて育てる」という方法を採る。そして、その牛を育てるための飼料穀物を米国は大量に輸出したのである。
 いったん贅沢な暮らしを知った人間を元の質素な生活に戻すことは難しいという性質を利用して、「ロシア人が豊かな食生活を維持していくためには、アメリカから穀物飼料を輸入し続けなければならない」という、19世紀に大英帝国が清国に対してとった「阿片浸け政策」と同じような方法を展開し、事実、そのことがソ連邦崩壊の一要因となった。

▼次のターゲットは中国

  21世紀の中頃には世界最大の経済大国になると言われている中国を今のうちに叩くために、米国は同様の政策を展開中である。その経済的大発展によって、中国人の生活が豊かにになり、国民一人当たりの牛肉の消費量が、その軍事費の伸び率以上に年々飛躍的に拡大しているのである。その中国人に豊かな欧米風の牛肉食の習慣を巧妙に刷り込んでいったのがアメリカである。今や、中国の大都市では、欧米や日本でもお馴染みの外食産業の看板で溢れている。巧みなテレビCMなどを用い、核家族で欧米風の食事を摂ることを「中産階級のお洒落なライフスタイルだ」と中国人に洗脳しているのである。
   しかも、急激に消費の伸びた中国産の肉牛の飼料は、中国産の穀類では十分賄うことができず、結果的には、アメリカから大量に飼料穀物を輸入することになる。そして、気が付いた時には、中国人は、アメリカからの穀物輸入抜きでは豊かな生活維持ができなくなっているという構図なのである。アメリカは、ソ連で成功した方法の再現を中国でも狙っているのである。
   この戦略の原型は日本にあった。戦後、食糧危機に陥った日本に対して、占領国であるアメリカは、「学校給食」という制度を積極的に導入し、パンとミルク(脱脂粉乳)を中心としたアメリカ風の食生活を日本の少年少女に与えたのである。はたして、アメリカの狙いはまんまと的中し、大人になっても「毎朝パンで済ます」という日本人が大量に発生したのである。しかも、その人たちの多くは「パン食のほうが格好良い」と思っているから始末に負えない。子供の頃からの生活習慣とは恐ろしいものである。
   しかし日本の国は、神代の昔から「豊葦原の瑞穂の国」と言われたように、特に米作については、台風等の風水害の起こらない限り、日本人の食生活を充分賄えるだけの量は収穫できたのである。それが、近代に入って、化学肥料や農薬の出現によってさらに単位面積あたりの収穫量が飛躍的に増大したのであるから、米が余って当然である。ただし、日本人一人当たりの米の消費量は年々減少の一途を辿り、慢性的なコメ余りという現象が生じたのである。

▼捕鯨禁止の本当の理由

   さらに、アメリカの「食糧安保」の巧妙な罠は、「捕鯨」に対しても向けられた。過去30年間、IWC(国際捕鯨委員会)を通じて行なわれてきた日本対アメリカの捕鯨禁止に関する論争は、科学的根拠に基づく話でもなんでもない。これも、アメリカの食糧安保戦略なのである。もし、日本人が世界中の公海から自由にクジラを獲ってこれを食せば、日本の食肉の自給率は飛躍的に向上する。事実、戦後の食糧難の時代には、日本の遠洋捕鯨船団は「七つの海」を股にかけてクジラを獲りまくり、貴重な動物性蛋白質を日本人に供給していたのである。これに言いがかりをつけ、全面的に禁止することによって、日本人の蛋白源をアメリカ産の牛肉に依存しなければならないように無理やりに持って行くための外堀を埋める作業が、「捕鯨禁止」運動なのである。
   しかも、世界中の海を自由に泳ぎ廻っているクジラたちは、一年間に全人類が世界中の海から獲っている総漁獲量の約六倍もの魚資源を補食しているというデータさえある。したがって、いかなる形の捕鯨をも妨害して、クジラの数を増やすということは、すなわち日本の漁民が獲る魚の総数も減らすということで一挙両得なのである。
   はたして日本政府は、以上のようなことまで考慮に入れて、食糧安保政策を考えているであろうか? TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)なんてお題目を唱えている場合ではない。しかし、実際には、南氷洋での調査捕鯨をシーシェパードごときNGOに妨害されたくらいで中止にするようでは、「日本は無理押しすれば引き下がる国」という誤ったメッセージを尖閣諸島中国漁船衝突事件同様、国際社会に発信することになるではないか。

神道展示館訪問 : 鎌倉宮宝物殿

中世に苦闘の生涯を生きた
護良親王を偲ぶ

   大塔宮護良親王を奉斎する鎌倉宮。親王の御遺徳に想いを馳せられた明治天皇の勅命により、明治二年に創建された。
   護良親王は後醍醐天皇の皇子として御誕生。長じて比叡山延暦寺の天台座主に就かれたが、親政復興を目指す後醍醐天皇に呼応して還俗され、建武中興に功を立てられた。しかし、再びの武家政権を目指す勢力により捕らえられて鎌倉に送られ、やがて暗殺によって生涯を閉じられた。
   明治天皇が親王を永久に奉る御社造営を望まれたのは、明治維新の大業が成ったのは親王の御遺徳によるものと思われたからだという。
   御祭神・護良親王や鎌倉宮ゆかりの奉納品、下賜品を拝観できるのが、宝物殿。拝観料を納めて、本殿の奥の土牢(親王が幽閉されていた牢)、御構廟(親王首級の置かれたとされる場所)などを拝しつつ辿っていくと、宝物殿に着く。ここはかつて明治天皇行幸の際の行在所であった。
   護良親王馬上像、御宸筆の明治天皇御下賜額、御事蹟を場面で辿る奉納図などが並ぶ。拝観後、親王が兜の中に忍ばせて自身の無事を祈ったという故事に由来する「獅子頭守」のお守りを求める人も多い。

▼年中無休
▼9時半から16時半(12月と1月は9時半から16時。いずれも入場は閉門30分前まで)
▼拝観料300円(小学生は150円)
▼神奈川県鎌倉市二階堂一五四の鎌倉宮境内
▼電話0467(22)0318

理事短信:岩沢知子理事、マーク・テーウェン理事

台湾の国際シンポに参加 岩澤知子理事

   昨年12月2、3両日、台湾の台北市で開かれた国際シンポジウム「日本研究フォーラム・台日相互理解の思索と実践」(主催=台湾大学・日本語文学研究所)に、日本からの発表者の一人として本会の岩澤知子理事(麗澤大学准教授)が招聘され、「日本研究を通して考える異文化理解の困難と可能性―『菊と刀』と『アメリカの鏡・日本』の比較分析―」と題して講演した。
   岩澤理事は、アメリカで刊行された対照的な二つの日本文化論を考察し、それに対してアメリカと日本の社会がどう反応したかの分析を通して異文化理解のあり方を提示した。
   このフォーラムは台湾における日本研究の深化を目指して企画されたもの。台・中・日・韓などの学者が参加し、多分野に関する日本研究の現状と課題、方向性などを探った。

東北大院『日本思想史研究』に日本語訳載る
マーク・テーウェン理事


   東北大学大学院文学研究科日本思想史学研究室が刊行する紀要『日本思想史研究』の第42号(平成22年)に、本会のマーク・テーウェン理事(オスロ大学教授)の英語本『神道(ジンドウ)と神道(しんとう)の成立についての比較考察』の一部抜粋が日本語訳で掲載されている。ニネッテ・幸子・ペーチェ氏、森新之介氏の共訳。
   示唆に富むテーウェン理事の「神道(ジンドウ)」論が日本思想史研究、神道史研究に一石を投ずるよう、期待を込めて訳されたものだ。

伝統をささえる

境の習俗「辻切り」行事が伝わる
千葉県市川市の国府台地区

 昔、村落のはずれにある「境(さかい)」は特別な意味を持つ場所だった。住民にとってそこは、日常と異界を別ける境界域であり、図らずも異形を垣間見てしまう地点であり、そして死者を懇ろに他界へと見送る場でもあった。「境」において人々は、一種独特の畏怖と畏敬の念をもよおしたのである。
 各地の「境」では、様々な習俗が行なわれていた。だが、住宅街が膨張して各町内が接した今となっては「境」の在りかは不分明となった。治安第一で街灯が煌々としていては、街はずれの闇夜にも畏怖すらおぼえない。当然、「境」の習俗の多くが消えた。
   住民が結束して、素朴な「境」の信仰を守り続けているところもある。
 千葉県市川市国府台に残る「辻切り」行事もその一つ。邪悪や悪疫が集落に侵入するのを防ぐため、地区の四隅の辻を藁で作った蛇に封じてもらうという民間習俗だ。
 正月17日、国府台天満宮に住民が集って四体の藁蛇を作り、東西南北の辻に運んで樹木に据え付ける。霊力をたたえたこの藁蛇が一年間、雨の日も風の日も、炎天の真夏も、辻の「境」で悪霊に睨みを利かせるのである。
ここの「辻切り」は地区の保存会によって継承され、市の無形民俗文化財にもなっている。

 今年も「辻切り」が粛々と行なわれた。朝9時、天満宮境内で藁蛇作りが始まる。パーツごとの分担作業だ。
 拝殿前で男三人が頭と下顎と舌を作る。藁を揃えては手際よく編んでいく。側らでは女性が目玉を作っている。焼き藁の灰を半紙に丸く包み込み、麻で縛って墨筆で黒目を入れる。この灰は、前々年にお役を果たした藁蛇を焼いたものだという。
 社殿の脇では男女数人での胴体作りが進む。木に紐が吊るされ、そこに藁束を締め付けながら編み上げていく。
 頭部に目玉とビワの葉の耳を付け、胴体もつながって、アッという間に体長1メートル余、四体の藁蛇が完成した。御神酒を含んで魂の入った蛇は早速、四つ辻に運ばれていった。

 目玉作りをしていたのは保存会会長の奥さん。この日は会長さんに代わり、見学の地元の小学生に、「ギョロリと大きな目を入れて、怖い蛇を作ります」「なぜか蛇にお耳があるんですよ」などと説明にあたっていた。
 そして、「皆さんの住んでいるところは、むかし国府という役所があった立派な場所なんですよ」
 ここ国府台は律令制の時代、下総国の国府の所在地なのだった。

「梅田善美先生を偲ぶ会」開催

国内外、各界から多くの参列者
前理事長・梅田氏の遺績と人柄を懐かしみ

 昨年11月29日に逝去された梅田善美・神道国際学会理事長の足跡を偲ぶ「梅田善美先生を偲ぶ会」が1月30日、東京・神田の学士会館で催された。
   国内外の学術界、財界、神社界などから約150人が参列し、美しい花ばなに囲まれ穏やかな微笑みを浮かべた遺影の前に、一人ひとり献花をして御魂の冥福を祈った。
 偲ぶ会は本会常任理事・三宅善信氏(金光教泉尾教会総長)の司会で進行し、本会会長・薗田稔氏(京大名誉教授、秩父神社宮司)の挨拶などに続いて、本会特別顧問・深見東州氏(ワールドメイトリーダー)の発声で献杯。今世での故人の思い出に花を咲かせた。また、梅田氏夫人で本会事務局長の梅田節子氏にが、映像を使って梅田氏の生涯を紹介した。さらに、国内外から多くの人が偲びの挨拶に立ち、今後、故人の多大な業績を生かそうと誓った。会の最後には梅田氏の後を継いだ新理事長の大崎直忠氏(国際ジャーナリスト)が挨拶した。
 冒頭挨拶で薗田氏は故人の来歴と足跡を紹介し、大本本部での国際活動を皮切りに、専門学校講師、世界エスペラント協会副会長、本会理事長など、語学の才とビジネスや日本文化への知識を駆使した活躍、実績を強調した。そして、「穏やかで紳士的、しかし交渉力に長けている。本会において、企画したことを国際的に展開する陣頭に立っていただいた」とたたえた。
 献杯の発声にあたり深見氏は、会の発足当時に故人と話しあった神道思想発信に際しての理念について振り返るとともに、「あの世に行っても、どこまでも、人のやらなかったようなチャレンジを続けていただきたい」と話し、能の附祝言を朗々と詠唱して天界へ送り出した。
 参会者の挨拶では、米コロンビア大学中世日本研究所所長のバーバラ・ルーシュ氏が「梅田さんを失って桶の底が抜けたような気持ち。雅楽は神々とのコミュニケーション音楽だということでコロンビア大学に雅楽講座を設けるときにもお骨折りいただいた」と振り返った。
   また、拓殖大学客員教授でロシア科学アカデミー東洋学研究所員のワシーリー・モロジャコフ氏(本会ロシア事務所所長のエリゲーナ・モロジャコーワ氏の子息)も「ロシアにおける神道研究を考えると二つの時期に分けられる。梅田先生が来る前と、来た後だ。梅田先生が来てから、バラバラにいた神道研究者が統一され、システムができた。個人的にも梅田夫妻は両親のようなもので、私の人生の大事な一部になっている。先生の精神は私たちの心に今でも生きている」と偲んだ。
   さらに、中国・南開大学日本文化研究院の喬林生氏は「素晴らしい講演や特別講義をしてくださった梅田先生の在りし日の姿が目に浮かぶ。当院の日本思想文化講座開設に援助をいただき、これは学術研究、人材育成、国内外交流に対して大きな効果を収めている」と謝意と追悼を表した。
   梅田氏がかつて講師を務めた学校法人川口学園の川口晃玉理事長は「物事はやはり"人"だなと思う。外交交渉で成果を上げられる稀有の人だった」と語り、他にも、本会ニューヨークセンターにオフィサーとしてかつて赴任した賀茂別雷神社権禰宜の乾光孝氏は「当神社は京都なので、海外から多くの方がお越しになる。神社のことを英語でどう表現しようか考えながら過ごしたニューヨークでの経験が生きている。今、道を開いてくださった梅田先生の力添えを思っている」と話した。
 本会の中からは副会長のジョン・ブリーン氏(国際日本文化研究センター准教授)が、自身がかつて所長を務めたロンドン大学日本宗教研究センターの現所長からのお悔やみメッセージを読み上げるとともに、「私が腹蔵なくどんな意見を述べても耳を傾けてくれた梅田先生。私の家族も大好きだった梅田先生。思いやりに溢れた高潔な方、そして柔和な方だった。 "柔和な人たちは幸いである。その人たちは知恵を受け継ぐからだ"と新約聖書にはある。そして私はそう信じている」と追懐した。
 閉会挨拶で新理事長の大崎氏は「本学会の拡大に心骨を捧げられた梅田氏にここで再び感謝申し上げたい。その御遺志を継いで、少なくとも裏方として、コミュニケーションの点で、皆さまのお役に立てればと考えている」と活動継承を誓った。
 偲ぶ会の途中には、薗田真木子さん(ソプラノ)と谷有希子さん(ピアノ)による偲び歌、黒川清子さん(カトリック教会)の賛美歌、西浦興一氏(龍笛奏者)らによる雅楽奉奏などがあり、弔電として大本の出口紅教主、石清水八幡宮の田中恆清宮司(神社本庁総長)の弔意が伝えられた。

故 梅田善美 前理事長を痛惜して   会長 薗田 稔

をしへおくその言の葉を見るたびに
又問ふことのなきぞかなしき

 平安末の勅撰集『千載和歌集』に載る藤原実定公のこの歌が、梅田理事長の訃報に接したとき真っ先に脳裏をかすめた歌でした。多分それも、今は未亡人となられた節子事務局長からの悲痛な、しかも私の例祭神事奉仕中をはばかって密葬を済ませた後という、神道人ならではの配慮をにじませての健気な知らせを受けたからかも知れません。
   それにしても卒然たる永別でした。昨年の夏に症状を自覚されて入院加療中も持ち前の気力を持して、さまざまに本学会の運営に心を砕きつつ最後まで復帰を期して闘病された由、その高い志操に頭が下がります。
   かえりみれば、平成6年の本学会設立以来16年の長いあいだ、文字通り生みの親とも育ての親ともいうべき献身的な働きをされ、抜群の交渉力を発揮されて私どもが目指した神道文化の国際的研究交流を推進し実現してくださった、その大いなる功績は今さら申し述べるまでもありません。
   遺された私ども会員一同は、せめてその偉大な功績を汚さぬよう本学会の着実な活動を維持することを誓って、故人の御魂安かれとご冥福をお祈りする次第です。

ISF ニューヨーク便り

オリックスUSA竣工式  テキサス州ダラスで
   2月2日、リース業を初めとする総合金融会社オリックスの米国法人であるオリックスUSAから、テキサス州のダラスにある本社改築にともなう竣工式を依頼され、中西オフィサーが奉仕した。アメリカ南部に位置するテキサス州も、15年ぶりの寒波が襲い、大雪のため交通機関が麻痺し、祭典当日も地域の学校が閉鎖されるほどだった。しかし道路事情が悪い中で、大嶋会長以下オリックスUSAの関係者は、祭典開始時間までには全員が集合して竣工式にのぞんだ。
 参列者は主にアメリカ人だったが、竣工を奉告する祝詞に引き続いての玉串奉奠では、みな神妙な顔つきで神前に頭を下げていた。祭典後の直会では、ニューヨークから悪天候のなか南部のテキサスまで出張してきた中西オフィサーに感謝の言葉がかけられ、日本と同様の祭典が斎行できたことに一同、安心し胸をなでおろしていたようだった。竣工式が終れば早速新しい本社への移転作業が進められるとのことである。

国連の異宗教  調和週間に参加
   2月の第一週は、国連が定める世界の異宗教が調和するための公式週間。2月3日にはこの公式週間を記念し、NY市内の世界救世軍ビルで宗教関係NGOが集まって朝食会が開かれ、ISFからは中西オフィサーが参加した。
   国連情報局の赤坂清隆局長が、世界の異宗教が調和するための週間の意義について説明し、異宗教間の対話こそ、平和の構築や人権の向上に貢献していくと述べた。続いてヨルダン王国の王族であるザイド・フセイン国連大使が壇上に立ち、自分達の伝統文化の枠組みを超えて神を愛し隣人を愛する事が、すべての諸問題の解決に繋がると訴えた。引き続いて立食形式で朝食会が行なわれ、百名を超える様々な国や宗教からの参加者が交流を深めた。

梅田理事長の偲ぶ会に出席して  新宅メラニー(ISF・DC)
 神道国際学会とISFの理事長だった故・梅田善美先生を偲ぶ会が、1月30日に東京で行なわれ、梅田氏のもとで働いた私も出席した。会場となった学士会館には、理事長の人柄や功績を示すかのように、さまざまな分野から多くの方々が集まり、遺影に花を捧げ手をあわせていた。その様子を見ただけで私の胸は熱くなった。友人やかつての同僚たちの心のこもった挨拶に加え、事務局長として梅田理事長を支えた、妻である梅田節子さんが、映像をつかって彼の77年の生涯にわたる実に多彩な活動を紹介した。スクリーンにうつった在りし日の理事長の姿は、集った人々を感動させるに充分だった。
 私が思うに、梅田理事長は異文化間の架け橋として活躍し、人間として多くの部分を共有し、違いがあってもそれに感謝をすることを思い出させるという特異な能力の持ち主だった。また私達が可能性を信じて努力さえすれば、何が可能か、どうすれば世界をもう少し穏やかに、寛大に、カラフルにできるかを示し、自ら実践するお手本のような人であった。彼の残した功績を忘れず、異文化間、異教徒間の架け橋となるよう努力していくことが、私たちの理事長への感謝であり、敬意になると信じている。私たちに貴重な手本、手段、土台を残してくれたのだから。

宗際・学際・人際: 河辺修造さん

富士塚と富士講に興味を抱き

   製薬会社に勤務しながら、長らく富士信仰や富士塚に関心を寄せ、その現場を歩いてきた。
   静岡生まれ。「富士山の雄大な姿を眺めながら育った」という。大学・大学院では化学系を専攻したが、学生生活そして会社勤めで東京や埼玉に拠点を移すと、富士の山霊を信仰し登拝する富士講や、その記念碑ともいうべき富士塚が想像以上に多いことに驚いたようである。
   以来、時間を見つけてはその在りようを調べ、定年退職した今も、首都圏の富士塚を巡り歩いている。「富士塚といっても定義は人によって違いますが、実際に溶岩を敷いた、食行身禄系の、登れる富士塚が好きですね」
   昨年10月、十条富士塚(東京都北区中十条、富士神社)が移築される計画のあることを新聞で知り、区の博物館に問い合わせた。「都市計画のあおりだけれど、行政側も地元の十条富士講や、同神社の大祭に配慮しながら立案すると聞き、ひとまず安心しました」
   その折、同富士講の講元を紹介してもらい、1月23日には恒例の「拝み(オガミ)」の儀式を見学した。線香上げ、「お伝え」の唱誦、お焚き上げ……と進んでいく「拝み」には20数人の講員が熱心に参列していたという。
「目に見える富士塚も大切だが、背景には信仰があるはず。講による、こうした儀式が継承されていくことこそが大事だと思う」

信仰に支えられた儀式が
継承されてこそ意味がある

   江戸時代には八百八講≠ニいわれた富士講も減ったが、とくに定期的に「拝み」を執行している講はほんの僅かになったという。「講を支える地縁関係がなくなったことが大きい。講組織の世話人をやる人もいなくなってしまった」と残念がる。
   「"お山開き"に行なわれる十条富士神社の大祭(6月30日から7月1日)は、北区でもっとも華やかな祭りなんです。しかも十条富士塚は北区の有形民俗文化財。『拝み』の儀式自体にも人々の意識が届くといいと思うのですが……」
   在住の埼玉には、江戸後期に不二道(ふじどう)を開いた小谷三志という行者が生まれている。その足跡も更に調べたいと意欲をみせている。

投稿・読者からのお便り

想い出す子どものころ、村祭り、神楽、神主さん…
 神道国際学会様、お送りいただいたご本、とても興味深く、楽しく読みました。子どものころの村祭りのことが思い出されたからです。
 私がいた村では大字ごとに、白山、日吉、熊野、戸隠などのお宮があり、春と秋と夏にお祭りがありました。私の部落は毎年4月の17日、18日でした。ほかの部落とは重ならないようになっていて、旅の一座の芝居があったり、露天商の店も並び、その日は親戚があつまりにぎやかでした。私が村を離れた十五年ぐらい前には、旅の一座も露天商もこなくなっていました。祭りの衣装が傷んでも新調する余裕が村にはなくなっていました。祭りもいまでは土日にするので、毎年日にちが変わり、他の部落と重なったりしています。
 昔も今もお囃子をする人たちは、「トウモト」と呼ばれるその年の宿から行列をつくって、伊勢神楽とよばれるお囃子をしながらお宮まで行きます。私の子どものころには、神主さんの資格がある人がいて、普段は宿屋の主人だったような気がします。神主さんは白い装束で、他の人たちは鼠色と水色の混じったような色の裃をつけ、鶏のトサカのような冠を頭につけていました。舞子という小学生の男の子が、二人はバチで太鼓をたたき、一人はささらをこすって、笛、鼓、太鼓を鳴らしながら進みます。今は男の小学生が足りずに女の子が代わりをするということですが、その女の子もいなくなったらどうするのでしょう。
 お宮につくと、広場ではお獅子も加わり舞があります。お宮の舞台では、太神楽の影響か、小さな剣や扇でジャングリングのような舞もあります。からくり人形や悪魔祓いの舞があるお宮もありました。
 舞子の装束は韓国の民族衣装と似ていて、ソウルでオリンピックがあったとき、テレビで開会式を見ていたら、韓国の子どもたちが同じ衣装で演技をしていたのでびっくりしました。
 神楽は、ヒーヒャリココ、ヒャーリというぐあいに、口三味線のように伝えてきたので、今ではお伊勢さんのものとは全く似ていないものになっていることでしょう。数年前に、小学校の先生が楽譜におこして運動会で子どもたちにリコーダーで演奏させたり、テープやビデオを撮って伝承しようとしていました。
 私がいたころには、毎年、年の暮れにお寿司屋さんのような白い上着を来た男の人が、新しい伊勢神宮のお札を入れた木の箱を首から掛けて、各家を回っていました。各家では、それをお盆で受けて、だいたい千円位渡すのでした。送っていただいた本を読んで、そんなことが次々と懐かしくよみがえりました。(埼玉・TK)

私の好きな神社
調(つき)神社(さいたま市浦和区)

  1月4日、さいたま市浦和区の調神社(つきじんじゃ、地元では「つきのみやじんじゃ」)にお参りしてきました。
   今年はうさぎ年、調神社の神使は「うさぎ」ということで今年は特に初詣の参拝者が多かったようです。
   式内社の武藏國四十四座のうちの一社。社伝によれば、第十代崇神天皇の勅命により創建、『租・庸・調』の調で、伊勢神宮へ納める貢(調)物の初穂を納めた倉庫群の中に鎮座していたとのこと。調は「つき」と読み、江戸時代には月読社とも呼ばれ、月神の使いとされる「うさぎ」が狛犬の代わりに境内入口両側に居ます。その他にも「うさぎ」に関係する物が色々あります。
 また、調を納めるのに邪魔だということでしょうか、鳥居が無い神社としても有名です。
 御利益は、運否天賦の「ツキはツキを呼ぶ」との謂れから、幸運を授かると信仰されています。今年はなんとか様々なツキを呼び込み、皆な一緒に幸せになりたいと思います。 (埼玉・SK)

鶴岡八幡宮の蛍放生祭におもう
斉明皓(中国・太原科技大学日本語科担当)

   私は現在、中国の太原科技大学で日本語科の担当をしている。大学に入学してはじめて日本語を専攻する学生を相手に、日本語を教えるかたわら、日本文学や文化などについて研究活動を行っている。
 去年、交換研究員としてして訪日し、身をもって日本文化と社会に触れることができた。講座やゼミに出て日本の学者や大学生と交流したり、週末に各地の風土を見学したりして、充実した毎日を送ったが、なかでも忘れられぬことは、神道国際学会の理事長梅田先生と夫人に招かれて鶴岡八幡宮の蛍の放生祭を見学させていただいたことである。
 それが私と日本の祭り、文化、そして神道との出会いのきっかけになった。現場でみた祭の神秘さがしみじみと自分に伝わってきた。音楽に合わせて動く巫女の一挙手一投足が、何ともいえない無常さを静かに語っていて、恍惚の境地に置かれるような気がした。祭の後、蛍が暗闇で放され、緑の光を微かに輝かせて池の表を飛び交った。木や建物や橋など周りのすべてがその小さな光に見え隠れして、揺れ動く蛍の光で人も浮いているように感じられた。自然のなかで、永遠と生と死が一緒になるのではないかと思われた。この素晴らしいシーンが頭の中に固着して、今でも思い浮かべると人間愛に満ちた暖かさが心の底から湧いてくる。
 院生時代に、世阿弥の能楽論についてすこし調べたことがある。彼は『風姿花伝』で「心・技・体」三者融合のことを感じたり述べたりした。千利休は茶道を通して「天・地・人」の考えを一生実践したのである。即ち、この両者には内の自然と外の自然との合一を求める姿勢が窺われる。況してや、自然そのものに根を下ろして生命の諦観を見せてくれる神道は、日本文化の核を成すのではあるまいか。鉄筋作りの都市に閉じ込められた現代人は、冷たいコンクリートに厭きて自然復帰を唱えても、人間臭い自然即ち人間の足跡だらけに満ちた偽りの自然というものの中で自ら欺く夢を見ているにすぎないだろう。われわれは、人類が抱えた問題に立ち向かう時、神道の教えから何か悟らなければならないのではないだろうか。

ベトナムで教えられた日本の神道
池田福男

 私は写真スタジオ会社の現地法人を設立するため、2005年にベトナムに調査に来ました。その時に日本企業の方から、JICA(ジャイカ)でアルバイトをした事のある、ベトナム国家大学ホーチミン市人文社会科学大学東洋学部日本科に通う、日本語の話せる大学生を通訳として紹介していただきました。
 話しているうちに、その学生さんが卒論のテーマにしているのが「神道」だと知りましたが、私は「神道」がなんだか、その言葉も知りませんでした。
 日本に一時帰国をする時に学生さんから「神道」に関する本の購入をたのまれたり、私も「神道」の本を読んだりしているうちに私は、日本での日常生活では「神道」の行事に自然に触れたり、慣習としてその中で生活しておりながら「神道」だということを認識していなかった事を反省しました。
 学生さんから質問されることに答えるとき、日本人として間違ってはいけないと私もわずかながら「神道」について調べましたら、この事もあの事も「神道」に関係をしていたのかと知らされる事が多く、日本人として恥ずかしく思いました。
 その事の一例ですが、私の好きな大相撲がなんで神社(伊勢神宮、明治神宮、熱田神宮など)で奉納の土俵入りをするのかも解釈が出来ました。
 また、私が高校時代に青春を捧げた柔道も「神道」の道に関係していた事を知りましたし、日本人は海外に出て、信じる宗教は何ですかと質問をされた時に「無宗教です…」と言ってしまいますが、ほんとうは生まれた時から「神道」の中で生活をしているのだという事を思い知らされました。
 日本人の私が感じ、思った「神道」を多くの人に知っていただく事は、ベトナム人に日本や日本人のあるべき姿を知っていただく事につながり、日本や日本人の素晴しさの基礎を作った「神道」を認識していただける様に思いました。
池田福男(いけだ・ふくお)
1948年(昭和23年)5月25日、東京墨田区生まれ。写真家荒木経惟に師事し、広告写真に42年間、従事し現在に至る。
2005年、現地法人写真スタジオ設立の為にベトナムに渡り、定年退職後も現地で生活を続け、現在にいたる。ベトナムの子供達の撮影をライフワークとする。

新刊紹介

『地域神社の宗教学』  櫻井 治男 著
 近代以降の地域神社は、当然のことだが日本の国策の、そして地域社会の変動に多いに影響を受けてきた。
 その関係性の中で、地域の住民は、共同体は、そして地域神社はどのような反応を示し、どのように対応をしてきたのか。
 地域の共同性、神信仰、神への観念……その実相に、持続と変容、あるいは受容という観点を当てながら肉迫していく。
 そのアプローチは、地域住民にとって、また社会にとって、神・カミとは何か―という神観念を解き明かすことにもつながっていくようである。
第一編・近代日本と地域神社への視覚、第二編・神社整理と地域の神社復祀、第三編・コミュニティーの「神」と聖所、第四編・近代神道と地域社会の受容

▽5250円 ▽弘文堂=電話03(3294)4801

『日本を元気にする 古事記の「こころ」』  小野善一郎 著
 政治、経済、社会……あらゆる分野で閉塞感にさいなまれている現代の日本人。ことに日本人の「こころ」の荒廃を、著者は大いに憂慮する。そして、この現下の問題に対処するための有効な"力"を秘めている書物こそが『古事記』であると、著者は確信しているのである。
 日本人は、先祖の神々の御霊と一緒に生きている。神社の社殿だけではなく、一人ひとりの心の中に、神々は鎮座されている。『古事記』はそうした日本人の本質を明確に教えてくれているという。
 本書は、その『古事記』の「こころ」を掴み取るために、一つひとつの話の意図するところ、あるいは真意を、丁寧に解説していく。
 国民精神研修財団での講義をもとに、より一層、分かりやすくとの思いを込めて、新たにまとめたもの。

▽1890円 ▽青林堂=電話03(5468)7769

『古代日本史 ―神武天皇・古代和字―』   岩邊晃三・富永浩嗣 著
 山鹿素行を顕彰するため、明治41年に創立された素行会。同会ではここ数年、国体論の共同研究を鋭意、進めている。その成果の一部として、二氏の研究論文を収めたのが本書である。
 「神武天皇実在論-神武東征と水田耕作-」は、神武東征、神武天皇による国家統治および稲作について論述する。
 「古代日本の歴史」「神代史と古代和字」は闕史八代について論及。古史古伝を正当に評価することで古代日本の歴史を明らかにする。古代和字についても研究成果を開陳している。
 素行会「皇紀二千六百七十年記念出版」。

▽1050円 ▽錦正社=電話03(5261)2891