神道フォーラム 第32号 平成22年3月15日刊行


平成22年度第1回理事会・社員総会

研究発表会や国際ワークショップなどの実施について討議
今年度第一回理事会を開催

    本会の平成22年度第1回理事会が2月27日に開かれ、国内外の理事らが出席して、今年度および来年度の事業内容について討議した。議長は定款に則り梅田善美理事長が務めた。冒頭、薗田稔会長は、昨年の15周年記念シンポを盛会裡に開くことができたことに謝意を表するとともに、「本日の討議でも忌憚のない意見を」と挨拶した。
   討議されたのは今年の「神道エッセイコンペティション」の課題、今秋予定の第3回「研究発表会」、来年2月予定の「神道セミナー」、ハワイで来年開催予定の「国際ワークショップ」――などについて。
うち「研究発表会」は、国際的な神道理解に向けての神道研究に関して会内外の学者が発表することとした。「神道セミナー」については、外国人の目に映った神仏の祭りに関して研究を披露する方針を決めた。また「国際ワークショップ」については、海を越えた日本の宗教を主テーマに実施する方向で検討を重ねることとした。
   このほか、翌日に開催される平成22年度社員総会に提出する平成21年度の事業報告と決算報告、平成23年度の事業計画案と予算案についても討議した。

今年度社員総会を開催
   平成22年度社員(会員)総会が「神道セミナー」に合わせて2月28日、茨城県鹿嶋市内で開かれ、平成21年度事業報告・決算報告・監査報告の件、平成23年度事業計画案・予算案の件、平成23年度からの役員選任の件など、全議案を承認した。
   出席と委任状の合計数により総会成立を確認したあと、梅田善美理事長が「当地は鹿島立ち≠フ謂れ、ご神意のあるところ。こうした場所で総会を開催できるのはありがたい」と挨拶。続いて議長に選任された大崎直忠常任理事が「昨日、理事会を開き、活発な意見交換を行なったので、議案の審議をお願いする」と要請した。引き続き議事に入り、各議案が説明されるとともに、それぞれが全会一致で承認された。閉会にあたって三宅善信常任理事が「今後とも社員の皆様には事務局を通じて忌憚なくご要望をおっしゃっていただければありがたい」と挨拶した。

日々雑感: 「国際連合とNGO」梅田善美理事長

   昨年10月に設立記念のシンポジウムを開催したように、神道国際学会は平成6(1994)年10月に、民間の任意団体として東京で発足したのだが、その2年後の平成8(1996)年6月には、アメリカ合衆国ニューヨーク州で法人登記をし、神道文化の国際的啓蒙活動を開始した。
   同時に、ニューヨークに本部をもつ国際連合の活動にも参画するために、国連NGOとしても登録をすることにした。
   ご存知のように国連は、国家の連合体として1945年6月にサンフランシスコで発足したのだが、翌年には、非政府組織であるNGOの役割を認め、国連活動の広報や計画実施のパートナーとして、それぞれの分野での専門性を活かした諮問を受け付けはじめた。
    神道国際学会は、まず広報局(DPI)に申請して、1997年12月に認可された。その時の英語名が、インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)であり、5年前の組織改正にあたって、神道国際学会とは別組織となったのだが、成立から考えて神道国際学会とISFは姉妹団体といえるし、今もときには協力して活動している。
    ISFは、認可の翌年から広報局の情報提供をうけて活動をはじめた。毎年9月の国連総会の直前に開催される広報局主催の世界NGO会議には必ず参加し、国連の提唱するさまざまな国際年(たとえば、スポーツ年、米年、砂漠年など)にあわせた分科会を開いてきた。
   そうした実績をつんだうえに、より専門性が求められる経済社会理事会(経社理・ECOSOC)の「特殊諮問資格を有するNGO」として申請し、厳しい審査の末、2001年7月に認可された。
   こうして現在ISFは、国連の広報局と経社理の両面でNGO活動に加わっているのだが、そのステイタスは一度認可されたら、ずっと保たれるわけではない。4年ごとには活動報告書を提出して、NGO委員会の審査をうけなければならないし、提出した報告書の内容が国連活動に貢献していないと判断されれば、NGOの地位の停止あるいは撤回がもとめられるという、かなりきついもので、審査時期になると関係者は息苦しい時をすごす。
   幸いなことに、ISFは国連NGOとしてこれまでに、広報局には3回、経社理には2回、4年ごとの活動報告書を提出して審査を通過することができた。先般、コペンハーゲンでCOP が開かれた際、NGOという語が派手に新聞紙面で踊っていたが、国連につながるNGOの活動とは、地を這うように根気よく続けていかなくてはならない地道なものなのである。

連載・神道DNA「ファラオと石油王」 三宅善信師

   群像社ライブラリーから刊行された『プロコフィエフ短編集』を読んだ。二十世紀の前半に活躍したセルゲイ・プロコフィエフというロシア人音楽家が、ボルシェビキ革命の翌年、第一次世界大戦の勃発で混乱するロシアからアメリカへ逃れるために、そのまま大西洋を渡らずに、何故かペトログラード→モスクワ→ウラジオストクとシベリア鉄道で大陸を東回りに横断し、日本に2カ月間も滞在した後、海路サンフランシスコ→ニューヨークへと大旅行した道中で――その間、作曲できなかった彼の創作意欲の捌け口として――書かれたいくつかの幻想的な短編小説が収録されている。
    毒キノコに誘われた少女がエメラルドに満たされた地下王国を冒険する話や、聖書の伝説さえ否定しかねないアッシリア学者の大発見に触発されたエッフェル塔がバビロンの塔に合おうと自ら走り出しヨーロッパを大混乱に陥れる話等々、一見奇天烈な話が小気味よいテンポで並んでいるが、中でも私が気に入ったのは、『気まぐれな紫外線』という短編である。ある時、カントの娘である「時間」という名の紫外線の女神と、「空間」という名の赤外線の女神が、天上界でサボタージュをすることから物語は始まる。
    場面はいきなり、現代(二十世紀初頭)ニューヨークの摩天楼の31階で、マッキントッシュという資本家が石油鉱床の権利を取得する場面に転換する。ところが、この資本家がふとバルコニーの外に目を遣ると、そこに見えた景色は超高層ビル群ではなく、なんとケオプス(クフ)王のピラミッドであった。しかも、「ペトラ・ウ(いったいどういうことだ)?」大声で怒鳴りながらこちらへ向かって来るファラオと目が合ってしまう。ファラオは急に家来が居なくなったので不機嫌であったが、自由と民主主義と共和制の国アメリカの市民であるマッキントッシュは、ファラオには低頭しなかった。
    ファラオは、資本家の服装を見て彼が「異邦人」であることに気づき、アッシリア語で話しかけてきたが、資本家にはエジプト語同様意味不明であった。苦し紛れに資本家が、何十年も前にオクスフォードで棒暗記したギリシャ語の「良き神々よ、なんと良き日与えたもうたことか!」というオデュッセウスの冒険譚の一節を口走ったことが、尊大であったファラオの態度を変えた。微笑んだファラオは、ギリシャ語で「私はエジプトの君主にして統治者プサメティク一世である。お前は、何者か? 皇帝か、神官か、奴隷か?」と尋ねてきた。もちろん、二十世紀のアメリカにはそのような「身分」などないが、資本家は咄嗟に、「私は石油王(ペトロル)である」と応えた。ファラオは、相手が外国の王だと知り上機嫌になったが、「ペトロル」という国名を知らなかったのでその意味を尋ねた。もちろん、資本家がファラオに返答するには彼の語学力は不十分であり、彼は知っている限りのギリシャ語の単語を並べて「石油とは、光だ! 太陽だ!」と叫んだ。
    すると、ファラオは、会釈して「われらも偉大なる太陽を崇めている。そして、われらも暗愚な民の間に光を広めようと務めている」と語った。共通の価値観を持っていると思った資本家は、「これまでに12の大学に奨学金を制定し、絶滅寸前のインディアン(先住民)の学校に助成した」と自慢した。ファラオは負けじと、「アッシリアを攻めた時、12の町を住民もろとも焼き払ったのは、彼らが偉大な太陽神を崇めなかったからだ」と言った。頓珍漢な「対話」であったが、両者に共通しているのは、自らの力の及ぶ限り、自らの信じる価値観=文明を広げてきたことである。
    この後も、奇妙な「物語」が進展するが、ロシア人である作者がアメリカという国をどう見ていたかが判る。最初に述べたように、社会主義革命で混乱するロシアを逃れ、「脱亜入欧」のプロセスを驀進していた大正時代の日本を経由し、地球を一周して資本主義文明の象徴であるニューヨークに到着したプロコフィエフが見たアメリカ人の尊大さ。すなわち、「神に祝福された自分たちこそ人類文明の最先端におり、自分たちは『未開』の哀れな諸国民を『文明』へと引き上げてやる使命を神から与えられた『選民』である」と自己認識しているアメリカ人への強烈な風刺が、古代エジプトのファラオと現代アメリカの石油王という二人の男の対話を通じて表現されている珠玉の作品であり、皆さんもご一読されることをお奨めする。
    最後に、この短編集を翻訳したサブリナ・エレオノーラ氏は、モスクワの医者一家に生まれたが、学生時代に「外の世界を見てみたい」と、1970年の大阪万博(日本万国博覧会)のソ連館のコンパニオンとして来日。以来、すっかり日本ファンになり、その後、モスクワ大学で歴史学博士号を取得。現在、日本の複数の大学で教鞭を執っている。

ISF ニューヨーク便り

大祓神事、神道講座に初詣
   ISFニューヨーク(NY)センターでは、12月31日、25名を超える参列者を得て、恒例の大祓神事を斎行した。
    神事に先立って、中西オフィサーが、英語によるレクチャー「神社の年越し風景」を行なった。オフィサーは、日本じゅうの神社の社頭でみられる正月準備の様子、大晦日から一夜あけて初詣客でごった返す元旦の風景などを、スライドや映像などを交えて紹介しつつ、いかに初詣が日本人にとって大切な国民行事となっているかを説明した。
    年末年始の神社では人手がとても足りず、地元の女子高生や女子大生を助勤の巫女として採用するため事前に神明奉仕の心構えを教えたりすることや、自分の父も神職であるため正月を家族そろって過ごした記憶が無いなどと話すと、アメリカ人のみならず参列した日本人も興味深そうに耳を傾けていた。
    レクチャー後には、大祓神事が行なわれ、参列者がそれぞれ人形に名前、年齢等を記入して身体をなで息を吹きかけて罪穢れを移し、全員で大祓詞をご神前に奏上した。中には、家族や友人の名前も記入している方も見受けられた。参列者の半分以上は普段からオフィスに足を運んでいて、「大祓神事に参列しないと新しい年を迎える気分になれない」と話していた。
   大祓神事に引き続き、タイムズスクェアの大晦日カウントダウンイベントとともに、センターは再び参拝者に開放され、これも恒例の初詣行事が行なわれた。悪天候や曜日の並びの関係で、今年の参拝者数は去年よりいくらか減少したもの、正月三が日で、のべ200名を超える人々がセンターを訪れ、ご神前でそれぞれ新しい年の幸せや隆昌を祈念した。
    昨年と同様、在留邦人の姿が目立ったが、せめて新年ぐらいは家族やご友人と御神前に初詣をし、お御籤を引いたりして、一年の計を立てたいというのが、どこにいようと日本人の偽らざる心情ではなかろうかと、中西オフィサーは感想を述べている。

「越天楽」「浦安の舞」を奉奏
   NY市ジャパン・ソサエティ(JS)の依頼をうけ、ISFの中西オフィサーと林原事務主任は昨年同様、ジャパン・ソサエティのお正月行事に参加した。
   1 月17日、まず祓詞の奏上、会場の修祓に続いて、浦安の舞の奉奏、最後にオフィサーが笙の独奏による「越天楽」を奉奏すると、会場は古えより伝わる悠久の調べに包まれた。
 ISFの後には、子供達による太鼓の演奏が行なわれた。アメリカ人を中心とする参加者は、神楽・雅楽という静の音楽と躍動的な太鼓の動の音楽という、日本の音楽を同時に味わっていた。

ECOSOC 4年に一度の審査会議通過
   ISFは国連のECOSOC(経済社会理事会)の特殊諮問資格を持つNGO、ならびにDPI(広報局)の認可をうけたNGOとして活動しているが、この度ECOSOCの理事会で4年毎の継続審査会議が開かれ、センターからは林原事務主任が出席した。
    審査会議とは、ECOSOCの理事を努める各国代表が年に1回、新規にNGOとしての参加を希望する団体を一件ずつ取上げて、活動状況や財務状態などを詳しく審査する会議であるが、新規NGO加盟の審査は特に厳しい。ISFのように、継続を希望するNGOについては、4年に1度提出するレポートの内容を精査し、ECOSOCのNGOとしてふさわしい活動をしているかが問われる。
    ISFのレポートは関係者が見守るなか、特に異議も出ず無事に通過した。ISFは今後とも国連ファミリーの一員として、国連との協力関係を維持し、活動を積極的に行なっていく。

神道展示館訪問 : 乃木神社宝物殿

乃木将軍の忠誠心と格調高き精神を見る

    東京・赤坂の乃木神社は、明治時代の軍人で、"乃木将軍"の呼称で今に至り崇敬を集め続ける乃木希典陸軍大将を祀る。明治天皇の崩御に殉じ、将軍と共に自刃した静子夫人をも配祀する。乃木将軍を敬慕する人々は、神社を参拝し、境内に隣接する旧乃木邸(港区指定文化財)へと足を運ぶ。
   宝物殿は拝殿に向かって右手、儀式殿と同じ社殿の半地下部分にある。こぢんまりとしたスペースだが、乃木将軍の詩歌と墨蹟、ゆかりの品々が並び、高貴な格調と忠誠の精神を貫いた、同将軍の高徳に思いを馳せることができる。
    「将軍御殉死の刀」「静子夫人御殉死の短刀」、下賜の「銀杯」「重箱」、そして「初宮詣御使用の産着」など、貴重な遺品が陳列されている。
   宮中の明治天皇殯宮に参殿後、帰りがけ、寂しげに皇居のほうを眺める乃木将軍を写した写真がある。その姿に、他の品々とはまた違った、胸に迫るものを覚える拝観者も多いのではなかろうか。

▼東京都港区赤坂8-11-27
▼電話03(3478)3001
▼開館時間=9時から17時
▼入館料=無料

理事短信

「アフリカ・コンゴの鎮守の森」 國學院環境教育研究プログラムで話す
ムケンゲシャイ・マタタ理事

   2月20日、ムケンゲシャイ・マタタ理事は、國學院大學で開かれた同大學環境教育研究プロジェクト・社叢学会主催の「自然環境と祭り・芸能シリーズ」で、「アフリカ・コンゴの鎮守の森」と題して話した。茂木栄本会理事が司会をつとめ、社叢学会副理事長を務めている薗田稔本会会長も顔をみせた。
 マタタ理事は、故郷コンゴが世界でも有数な資源国家でありながらも経済的な厳しさを負う現状を語り、そうしたなかでも人々は深い親族意識でつながれ、目にみえない世界と目に見える世界が霊的につながれていると感じながら生活していること、親族という言葉のなかには「Living dead」として一族を見守る先祖から、これから生まれる未来のこどもまでが含まれることなどを説明した。さらに、アマゾンにつぐ熱帯雨林をもつコンゴで、聖なる場所である森の破壊が危惧されると語り、参加者の共感を呼んだ。

「A New History of SHINTO」を出版
ジョン・ブリーン理事、マーク・テーウェン理事

    本会理事の若手2人組が、神道史に新風を吹き込もうと著述した英文の本が出た。この本については、いずれ詳しい書評で紹介する予定。
   また、国際日本文化研究センター准教授として滞日中のジョン・ブリーン理事は、研究推進にともない、その成果として論文発表も精力的にこなしている。先ごろは、同センターの紀要『日文研 No.43』(2009年)に「本庁の行方」を、また京都大学人文科学研究所の紀要『人文学報・第九十八号』(2009年12月)に「近代山王祭りの原点―官幣大社日吉神社史の一齣―」を発表した。

宗教と権力の相互利用
栗本慎一郎理事

    栗本慎一郎理事は宗教専門誌に「宗教と権力」をテーマに論文を発表する予定で執筆を進めている。権力と宗教が相互にそれぞれを利用してきたという視点で世界史を見直すものという。

神社界あれこれ

明治神宮に「青森ねぶた」が出現
   今年12月の東北新幹線「八戸〜新青森」開業を前に、青森の魅力を東京の人たちに知ってもらおうというプレ・キャンペーン「とことん青森2010」が1月11日から24日まで、原宿および表参道一帯で開かれた。
うち20日から4日間には、JR原宿駅近く、明治神宮・南参道入口の広場に巨大な「ねぶた」と、かわいい「金魚ねぶた」多数が展示された。夜には「ねぶた」に灯りが灯され、神宮の森をライトアップが幻想的に彩った。
   この「青森ねぶた」は昨年の「青森ねぶた祭」で実際に曳かれたものの一つで、タイトルは「楠木正行・四条畷の合戦」。展示を前にした数日間は、製作の様子なども道行く人に披露された。

JR東海が「熊野古道」ウォーキングを開催中
   JR東海によるさわやかウォーキング¥設コース「熊野古道」(全12コース)が3月31日まで毎日開催されている。
   好みのコースを選んで都合のいい日に出発し、コース最寄りの駅に到着したら各自、自由にウォーキングに出る。参加費無料で予約も不要。ただし列車・バスなどの交通費や、見学施設の入場料は各自で支払う。
   全12コースにおいてモデル・ルート(「日帰り」と「一泊」)が主催者(JR東海)の出すパンフレットに示されているが、案内係員もなく、歩き方も参加者の自由だ。
    伊勢路が9コース、中辺路が3コース。一般向けや健脚向けがある。熊野古道を取り巻く自然と点在する古社寺の魅力が味わえる。
    開催期間に合わせ、有効期間3日間の「南紀・熊野古道フリーきっぷ」(伊勢路コース用、中辺路コース用)も名古屋地区周辺の主な駅などで発売されている(ただし発売期間は3月29日まで)。

正月行事「おびしゃ」が各地で
千葉県流山市の雷神社でも「鰭ヶ崎おびしゃ」

   関東各地の神社には正月行事である「おびしゃ」神事が伝わる。「御歩射」などの字が当てられ、主として歩きながら弓を射て、一年の豊凶を占う。神事と直会だけになってしまったものや奉仕者がにらめっこ≠するものなど様々で、弓の的も各社に特有のものが伝わる。
    千葉県流山市鰭ヶ崎の雷神社でも1月20日、伝統の「おびしゃ」(同市指定無形民俗文化財)が行なわれ、近隣住民や祭事に関心のある人々が多数集まった。同社宮司や、同社の諸行事に奉仕する当番家、来賓の市長らが、参道に据えられた赤鬼と青鬼の的に向かって社頭から矢を放ち、今年の豊作を予祝した。
    これに先立ち拝殿では神事が斎行され、七福神に扮した七軒の当番家から次年の当番家への引継ぎ式である「トウ渡し」などが行なわれた。

宗際 学際 人際:三隅治雄氏(中野区立歴史民俗資料館名誉館長)

民俗芸能に見る
「日本人の心のかたむき」「魂の真髄」

    民俗芸能を専門に、祭事や年中行事の現場を歩き、調査を進めてきた。日本芸能史研究の第一人者である。
   儀礼、行事、祭り、そして芸能の世界。これらを大きく捉えるとすれば、どういうことになるか――。「一日一年、自転し公転する地球。人間は、その地球を取り巻く大気と自然を肌で感じ、親密に交信しながら生きてきました。そして、折あるごとに畏怖と感謝をささげ、自身もそこに生まれ消滅するものとして人生儀礼も営んできたわけです」
    「こうした感覚や営みは人類共通のものです。では、そのなかで、日本人としての特色はどういうものなのか……。日本人はとりわけ多くの年中行事や祭礼を営み、それを一年ごと繰り返し営んでいくなかで、それ自体を成熟させ、豊かな芸能も発達させていったのです」
    日本人としての共通認識にもとづく地域生活。その表現として伝承されてきた行事や祭り。それを丹念に見つめることで、「心の文化史と精神史」が見えてくるという。「日本人の心のかたむき、理想、幸福観が窺えるのではないか。日本人の魂の真髄に触れることができるのではないか。世界の人々と分かち合っている観念を知りつつ、私たち日本人が、日本人として持つ真髄を互いに認識することにつながるのではないかと思うのです」
刊行に十年が費やされた『祭・芸能・行事大辞典』
監修者の一人を務める

   このたび刊行された『祭・芸能・行事大辞典』(朝倉書店・創業80周年記念出版)では監修者の一人を務めた。上下巻組で総項目数5500、カラーを含む図版800。監修者6名・編集委員7名・執筆者560名。発刊までに10年の歳月を費やした稀有の日本文化史辞典≠ニなった。
   伝統的な民俗や祭や年中行事だけでなく、地域的な行事や現代的なイベントも盛り込んでいる。分類別の総論、付録の文化財一覧、文献目録などにも充実が図られた。
    同辞典は、先に語った「日本人の心のかたむき」「魂の真髄」に踏み込むものであるという。「行事は繰り返され、成熟しながら今の姿になった。表現として創り上げられていった文化史・精神史としての歴史がある。ですから編集事業には民俗・芸能・音楽・歴史・宗教・美術・文学・社会・考古など多くの分野の学者に参加してもらった。たとえば〈神楽〉にしても芸能であるとともに、宗教的、音楽的な特徴もあるわけですからね。総合的、学際的な視点を常に意識したわけです」

現地を歩き、暮らしを体験する……
民俗研究は旅≠ニいう鍛錬


    國學院大学で折口信夫の最後の弟子。歌舞伎など舞台芸術を専攻したが、芸能の根底にある宗教心性なしには真相に迫れないと悟り、やがて民俗行事や祭礼分野の研究へと進んだ。各職は定年退官したが、これまでの研究成果、とくに日本芸能史の取りまとめと執筆に意欲を見せている。
   「この種の研究も記録化が進み、現地を丹念に歩く学者も少なくなった。山路を踏みしだき、海を渡って地域に辿り着く。地域の人々の暮らしや苦しさを実体験する。山や畦道を、息を弾ませながら歩き、草の匂いを嗅ぎ、牛馬の戯れを見る。それなしには山の人生、海の人生は分からない。本当の民俗研究は旅≠ニいう一つの鍛錬であるはずなのですが……」
   国立文化財研究所芸能部長、実践女子大学教授などを歴任し、現職。

投稿・読者からのお便り

神社でみつける
「生命(いのち)の言葉(ことば)」

    朝早く近所の神社に参拝するのが私の日課だが、拝殿の前においてある「生命の言葉」という短冊形の印刷物をみつけるのを楽しみにしている。
    ご自由にお持ちくださいと添え書きがしてあるので、遠慮なく、ときには友人の分までもらってくることもある。これは東京都神社庁が配布しているもので、歴史上の人物や近現代の著名人士が残した格言や短歌や箴言などが月替わりで印刷されている。
    表にはその言葉と人物の名前、裏には言葉の意味と人物の紹介がしてあるのだが、それぞれに胸に響く言葉ばかりで、思わず、その通りだ、とうなづいたり、わが身に引き比べて感慨にふけったりすることもある。
    たとえば、平成22年2月は、『なるようになる 心配するな』という一休宗純の言葉で、裏には「いたずらに悩んでもしょうがない、死をもとめるよりも今を生きろ。死後、難題が持ち上がったら読めと残した遺言と伝えられる。」と解説され、一休さんの生没年や経歴、人物像が紹介されている。最近は自殺希望者が多いそうだが、この言葉を読んで考えなおしてほしいものだ。
    平成21年の「生命の言葉」も好きなものばかりだ。1月は「敷島の大和こころを人問はば朝日ににほふ山桜花」(本居宣長)、2月は「外その威儀正しければ内その徳正し」(山鹿素行)、3月「人の長短は見易くおのれの是非は知り難し」伊藤東涯、4月「わが気に入らぬことがわがためになるものなり」(鍋島直茂)、5月「遊びも度重なれば楽しからず珍膳も毎日食えばうまからず」(楠木正成)、6月「大事をなさんと欲せば小事をおこたらず勤むべし」(二宮尊徳)、7月「朝の来ない夜はない」(吉川英治)、8月「寝ていて人を起こすことなかれ」(石川理紀之助)、9月「改めて益なきことは改めぬをよしとするなり」(吉田兼好)、10月は「一日延ばしは時の盗人」(上田敏)、11月「親を思う心にまさる親心今日の音ずれなんと聞くらむ」(吉田松陰)、12月「交際の奥の手は至誠である」(渋澤榮一)とつづいている。それぞれの月言葉は人倫から社会生活の機微を示していて、9月の言葉など、まるで政治の世界や生産業者への指針となるものである。
    みなさまも都内の神社を参拝されたら、この「生命の言葉」を持ち帰り、家族の前でそれとなく引用してみたら、親父の株があがることうけあいである。 (月参り好きより)

私の好きな神社

聖(ひじり)神社(埼玉県秩父市黒谷)
   昨年10月、神道国際学会の設立15年を記念するシンポジウムが秩父神社で開かれた際、以前から気になっていた神社、聖神社を訪ねてみた。
   この神社の歴史は古い。西暦708年、武蔵国秩父郡から自然銅が発見された。この大ニュースはただちに大和の朝廷にもたらされ、喜んだ朝廷は年号を和銅と改元した。このことは、歴史の教科書に記載されて、誰もがよく知るところだ。
    時の元明天皇は、勅使を遣わして祝典をあげ、銅製のムカデを下賜された。このムカデは、現在、和銅元年に創建された聖神社の御神宝となっているのだが、ムカデだけに足がたくさんあり、オアシに困らないというところから、聖神社の神さまは「銭神さま」と呼ばれ、いつのまにか「お金もうけの神さま」として敬われることになったという。
    なんともダジャレそのものだが、この銭神様、けっこう人気があるようで、御利益をいただいた人から送られた報告書なるものが、神社の周りにズラリと貼られている。車も滅多にとおらぬひっそりした神社だが、だからこそ誰に気兼ねすることなくお金もうけのお願いができるのだろう。
 神社から20分ほど山道を歩くと、和銅採掘露天掘跡を中心とする埼玉県指定旧跡の和銅遺跡がある。和銅を朝廷に奉献して1300年というから、歴史の重みを感じに行くのもよし、宝くじ当選をお願いするのもよし、秩父の山あいの古社・聖神社に祀られた金山彦尊を、一度ご参拝ください。 (東京・UU)

秩父神社のシンポジウムで感じたこと
    昨年10月に秩父神社でのシンポジウム『神道の立場から世界の環境を問う』に参加させて戴き、厚く御礼を申し上げます。
    私は、学生時代を東京で過ごし、関西に赴任して最初のお正月に伏見大社に参拝しました。丁度、半世紀前です。その頃の参拝者は100%が日本人だったと思います。今も時折、伏見大社にお参りしますが、肌と目と毛の色と言葉の異なる観光客が少なくとも1割はいて、別に韓国、中国などの国々からの参拝客のなんと多いことか。「世界に一つの神の国」という国家神道の洗礼を受けた身には仰天すべきことです。今回のシンポでは中国人の神道に関する論文の冊子(『中国における神道研究』編者注)をいただき、貴学会の真摯なるご活動に深甚の敬意を表します。
    私は環境保全の活動に参加しており、出来うる範囲で周辺の自然環境の復元に務めて行きたいと思っている者です。神戸市で阪神淡路大震災という未曾有の災難に遭遇し、活動に参加しましたが、社叢学会で薗田稔先生の謦咳にふれ、今は日本自然保護協会の観察指導員の活動と、兵庫県の『ひょうご森の倶楽部』の活動に参加していますし、『ひょうご森のインストラクター会』の活動を通じて県民の森林を介する自然環境教育にも従事してきました。里山保全活動だけでなく自然植生の常緑樹の日本の鎮守の森の復元の必要を痛切に感じています。
    今回のシンポで特に深く心を打たれたのは、締めくくりで薗田先生が、武甲山の破壊は、日本の高度成経済長のためにある面では止むを得なかったかも知れないが、環境の世紀に新たな創造のため地域起こしがここから出発することが必要、と訴えられたことです。今まで学会の世界とは無縁でしたが、アジア太平洋戦争の反省を含め、神道を通じて国際間の融合を務められる貴会の活動に心から賛意を表し、ご隆盛を切に祈念しております。(社叢学会会員・川村道哉)

マイ・ブック・レビュー

『遠野郷上宮守 屋敷神様と御神木』 著者・芦田一夫
    私は神職・神社関係者でもなく、民間信仰、『遠野物語』等の民俗学研究者でもなければ、プロカメラマンでもありません(仕事上から農家・農村風景、登山趣味で山岳写真に多少凝ったことのある程度)。50歳を迎える頃、生きて、生かされてきた≠ニ感じていました。農業・農村関係の仕事や登山により農山村・山里・自然とそこに暮らす人々、神仏の現存・遺跡等に接し、生きること・命、死生観、宗教等に関心を持ち始めたせいだと思います。同時に、定年退職後も農業・農山村のお役に立てることはないかとも考え、結論が、農山村・集落 ― 四季のお祭り・祭祀 ― 司る神社・神職でした。平成14年(51歳)、國學院大學神道文化学部へ社会人入学しました。
    平成15年晩夏に勤務で出張した現・遠野市宮守町上宮守集落(約150戸)で、村役の家で屋敷神様・不動尊と御神木・トチノキを発見。その後、上宮守の屋敷神様と御神木をテーマに卒論にしようと、独力で取材・調査し、64のお社・小祠等を確認(30数回以上訪問)。祀る神様は稲荷、地の神、山の神、八幡、熊野など様々です。氏・マキ神も存在します。小誌では長老の方々六氏、遠野郷八幡宮宮司の多田頼申氏に寄稿を頂き、更には貴重な熊野山神社勧請棟札、京都・吉田家許可状や諸別当氏から殿内等の写真公開も許可を頂きました。
    明治維新政府による「神仏分離・神社統合」に始まり、昭和30年代頃からの離農・離村等によるお社・小祠放置¥態等を乗り越えながらも、伝統文化遺産、お祭りの継承・復活≠ェ如何に大変か、改めて考えさせられました。高慢ながら小誌はお社・小祠の記録・記憶≠ノしたくない、させてはならないと考えています。最後に、本欄掲載に深謝を申し上げます。

▽B5版横変形・左綴じ、96頁(カラー写真=お社・小詞34社・86点と上宮守の風景、勧請棟札、旧街道図等の資料数点を掲載)、定価1300円+送料、自費出版 ▽注文先=著者=〒332-0031埼玉県川口市青木1-10-3-903、携帯電話080-6564-9503

芦田一夫(あしだ・かずお)
昭和25年(1950年)、兵庫県市島町(現・丹波市)生まれ。平成14年國學院大學神道文化学部神道文化学科(夜間主)入学、同18年卒業。昭和53年(1978年)〜現在、(社)全国農業共済協会勤務、平成21年4月同協会の関連会社に出向。NPO法人神道国際学会会員、NPO法人社叢学会会員。

新刊紹介

『社寺縁起伝説辞典』   志村有弘・奥山芳広 編
   神社・寺院の草創と沿革、神仏の霊験・利生譚を中心に、縁起や伝説を解説する大辞典。項目として登場する神社は416社、寺院は511寺。ほか神々、名僧、偉人、神仏習合事項も含めて計1142項目におよぶ。
   各項について、歴史的、宗教的な史料はもちろん、文学作品などからも縁起や伝説、歴史を具体的に紹介している。そこに語られたものがたりからは、社寺と神仏の奥深い歴史と、日本人の宗教心性が浮かび上がり、興味が尽きない。全国各地の珍しい縁起絵巻もカラー図版で収録している。
   対象に精通する各界の有識者159人が多彩な視点で書き起こした。
▽B5判、上製函入、639頁、税込定価15750円
▽戎光祥出版=電話03(5375)3361

『やまと言葉から宇宙(あま)へ(上)』   石崎正明 著
   神道国際学会の会員でもある著者が主催する「やまと言葉」を勉強する会をほぼ実況のまま収録したのが本書。したがって、著者の語りの間合いに受講者からの質問・疑問の声、それへの著者の受け答えが収まっている。
   日本の深い精神の世界を垣間見る手段として著者は「やまと言葉」に着目した。「ひ」には「ひ(火)」と「ひ(氷)」の両極端があり、その間に様々な「ひ」がある。そして「ひな」「ひね」のような反対語も生んでいる。
   『記紀万葉』だけでなく、『ほつまつたゑ』『カタカムナ』などを見ていくことが「やまと言葉」の解明につながり、太古の感性言語のありようと、日本の精神性の凄さを実感していくことにつながっていく。
   上巻では「あ」「か」ほか12文字を採り上げる。
▽288頁 
▽2100円
▽発行・美しい日本文化研究所=電話06(6910)8578

『 原始の神社をもとめて』 岡谷公二著
    なにもないということの、なんという豊かさ…。初めて沖縄の御嶽にふれた著者は、以来、森のなかの聖なる場所にひかれ、沖縄に通いつめる。そして人工的なものの無い森だけの聖地に神祀りの姿をもとめて、御嶽から対馬の天道山、九州西岸のヤボサ、薩摩のモイドン、奄美の神山とめぐり、そして御嶽と同じように社殿をもたず女性が祭祀の担い手である韓国・済州島の堂にたどりつく。
   半世紀にわたり、神社の原始の姿について思索を重ねた著者は、済州島の堂からさらに東アジア世界まで探求の目を注ぎ、日本文化の粋と思われている神社の、容易にはとけない起源を探る。
▽新書版、288頁、税込定価924円 
▽平凡社=電話03(3818)0874