神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
マイ・ブック・レビュー : 「伊勢の神宮」 南里空海

『 伊 勢 の 神 宮
  祈りの心・祭りの日々―日本人の原点回帰を求めて』


 「伊勢の神宮の取材をしたい」という思いから、 「伊勢の神宮の取材をしなければならない」という熱い思いに変わったのは、2001年9月11日、ニューヨークで起こった世界同時多発テロが大きな引き金であった。あの日、リアルタイムで入ってくるニュースに、宗教の、文明の対立と衝突を目の当たりにしていた。神の名の元で、正義という大儀の下で起こった悲惨劇は、さらに戦争へと突き進んでいこうとしていた。新しい世紀を迎えたばかりにも拘らず、そこには、夢も希望も未来も何も見えてこなかった。
 対立から生まれるものが戦いならば、調和、中道、共生という日本本来の思想の中に未来があるのではないかという漠然とした思いから、日本の原点、原郷である伊勢の神宮に日本≠求めて、取材を申し込んだ。
 足掛け2年、70回ほど足を運んだが、通うたびに多くの発見があり、その発見が喜びとなって私の背中を押し続けた。
 特に、全ての明かりが消えて、松明の明かりだけで行われる夜のお祭り――「大いなる夜」に強い精神性を感じ、また、神饌や神宝装束を通して日本の伝統文化に出会ったとき、日本人の豊かな感性を見た。
 長い間、海外の宗教を見てきたが、どの宗教も色鮮やかで、様々なものを飾るという「足し算の美学」の中で、その宗教性を演出しているが、日本の、伊勢の神宮のお祭りは、まったくその逆で、余分なものの一切を削ぐように取り除いて、禊いで、禊いでという「引き算の美学」に、研ぎ澄まされた日本人の魂の美意識を実感した。
 この日本の文化は、20年ごとに行われる、世界にその類を見ない「式年遷宮」によって守り受け継がれてきていることは、余り知られていない。遷宮によって、天地、建物、神宝装束など全てを新しく整えることで、伝統文化の継承が確実に行われてきた。また、遷宮は「壮大な無駄」といわれているが、無駄なものなど何一つなく、資源の再利用を行って、1300年まえから確実にいのち≠フ伝承を黙々と続けてきたのである。
 日本人が日本人であるということの確かな自信を取り戻し、その豊かな日本の文化を世界に発信するには、原点回帰から始めなければならないのではないかと、『伊勢の神宮』を上梓したのである。   〔2800円+税 世界文化社〕

南里空海(なんり・くみ)ジャーナリスト。編集者。新潟県生まれ。月刊誌『家庭画報』の編集者を経てフリーランスに。マザー・テレサ、アウン・サン・スー・チー、ミヒャエル・エンデ、オノ・ヨーコなどのインタビューやルポルタージュなど雑誌を中心に活躍。沖縄を巡る平和運動を探った『沖縄からはじまる』を編集、ほか多数。著書は日本の和歌を受け継ぐ冷泉家の一年間の年中行事を聞き書きした『京の雅・冷泉家の年中行事』、大聖年の扉が開き新時代を迎えたヴァチカンを特別取材した『ヴァチカン』など。



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