神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
読者からのお便り

お諏訪さま
(千葉県流山市駒木 諏訪神社)


    ここ数年欠かさず一日参りをしています。場所は我が産土・諏訪神社。〈駒木のお諏訪さま〉の名で親しまれている1200年の歴史を持つ古社です。
    第一鳥居をくぐりゆっくりと。きれいに掃き清められた参道を進むにつれて緑は濃く神域にふさわしい気が漂います。一歩ごとに生まれ変わる、そんな感覚でしょうか。
    神社の参道はよく母体の産道に例えられますが、訪れる度に懐かしく感じるのは魂がこの社から来てやがて帰る再生の場所だからかもしれません。
 諏訪神社は社伝によれば大同2年(807)年、高市皇子の後裔が大和より下向。駒木の地を永住の地と定め守護神を信州諏訪大社より勧請したのが始まりです。
    社格は旧村社で御祭神は健御名方命。ご神徳も厚く妃神の八坂刀売命とともに奉られ地域の人々に崇敬されています。流山に今も残る名都借(借りに都と名づけた)や三輪などの地名は大和との繋がりを示しこの地域が古くから開けていたことをうかがわせます。
   実際に境内からは数々の縄文・弥生の貴重な石器が出土され学術的にも諏訪遺跡として有名です。
   社殿は小さく派手さはありませんが文化財指定で江戸時代建築の典型的なものです。
 境内のあちらこちらには歌碑や石碑が多く長崎の平和記念像の作者である北村西望作の狛犬や源義家と愛馬のブロンズ像は一見の価値があります。この地域は良馬の産地であったことと源義家が戦勝祈願で立ち寄った史実にちなむ題材です。
 その他諏訪の森には天神・稲荷・恵比寿・大鳥・雷社が点在し本殿参拝後にそれぞれ拝します。ご神水も湧き出ており気学の祐気取り・方位取りの参拝客も多く訪れます。
    いつだったかこの諏訪神社を訪れた友人が長野の諏訪大社〈上宮・下宮〉と同じ気を感じると言っていました。眼に見えないエネルギーなので真偽の程はわかりませんが、凡人の私でも社の森には神の息吹と神気を感じることが出来ます。何より参拝した日の夜は寝つきが良く疲れが取れるのです。
    近年のスピリチュアルブームで神社を訪れる人が増えましたが、そのような方々はもちろん体の不調を抱えている方にもぜひお勧めのパワースポットです。都内からも近いのでフォーラムをご覧の皆様もぜひお出かけになってみてはいかがでしょうか。神燈のともる夕暮れ時は特に神秘的で現世と幽界の行き来を体験することが出来ます。昔から坂道・納戸・辻・厠は黄泉の入り口とされそれぞれの神が奉られましたが大神のおわす神社もそのひとつなのでしょう。参道をゆっくり進み諏訪の気をいっぱい吸収して下さい。呼吸をすれば実に清清しく細胞のひとつひとつまで酸素が行き渡ります。また、広大な敷地にはたくさんの鳥や生き物が住み夏にはコノハズクも飛来して眼と耳を楽しませてくれます。
    諏訪神社は東武野田線豊四季駅から徒歩約五分、つくばエクスプレスおおたかの森駅から徒歩約15分です。  (千葉県・甘利祐子)



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聖牛 ナンディ

   日本では、天満宮に必ず控えている牛の坐像。インドでも、牛はシヴァの乗り物として、必ずシヴァの像に向かい合う形で坐っています。シヴァには破壊神や智慧の神という面もあるので、シヴァの乗り物と同じように、天満宮にも牛の坐像があるという話も聞いたことがあります。天満宮の牛同様、シヴァの乗り物ナンディも、信仰の対象となっています。
    この写真の牛、ナンディは、バンガロール近郊のナンディ・ヒルのものです。写真ではわかりにくいのですが、かなり大きな像です。坐像ですが、大人の身長より高く、2メートル強といったところでしょうか。
    一見、このナンディの正面にシヴァの姿は認められません。ここの地名もナンディ・ヒルで、シヴァの名前が入っていません。実は、このナンディ像のある丘がナンディ・ヒルであるように、この丘自体がナンディを表しているのです。つまり、この丘に対峙している丘こそが、シヴァの象徴。壮大なスケールでできた自然のお寺といえると思います。
    ナンディ像の表面がなめらかでないのは、南インドの習慣で、黒い石でできた像にバターを塗るからです。バターでベタベタしたナンディの身体に、参拝者はお賽銭としてコインをくっつけたりもします。毎日、水で清められ、また新たにバターが塗られます。この写真に写っている白いものは、お供えされたご飯です。
(インド、バンガロール 吉岡信子)

 神道国際学会会員の吉岡信子さんは、四天王寺国際仏教大学文学部仏教学科卒、関西大学文学部国文学科卒、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校アジア学科修士課程卒。仏教系私立女子中学・高校の仏教科教師を経て、日米で国語・社会を中心に日本の子供たちの教育に携わる。日本書芸院一科会員書家。
 現在は、インドのバンガロールで、インド最大財閥のひとつタタ・グループのIT関係企業タタ・エレクシー本社で、プロジェクト・コーディネーターとして、日印の架け橋となる仕事に従事されています。会社勤めの傍ら、南インド研究を続けられ、また、国語科・書道の指導にも当たっておられます。バンガロールからの次の報告を期待しましょう。  (編集者)
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