神道国際学会会報:神道フォーラム掲載

書評と紹介
 

 『宗教――相克と平和
〈国際宗教学宗教史会議東京大会(IAHR2005)の討議〉』


  本書名となった「宗教――相克と平和」をテーマに開かれた当該年のIAHR東京大会をまとめたもの。
  「はじめに」が解説することだが、近代宗教学には成立当初から、ある緊張関係がはらまれていたという。宗団や宗教的伝統に深くコミットし、親近感を感じ、宗教の存在意義を再確認する形で進める『解釈学的』宗教研究と、宗教そのものに批判的な立場や科学的価値中立を奉じる立場から行われる『客観的』宗教研究の系譜――その緊張関係である。
  その論争は未だに消えていないとはいえ、「今大会では方法論をめぐる緊張関係が、現代宗教研究の主要問題だという理解は、明らかに周辺的なものになっていた」(「はじめに」より)
 前回のダーバン大会(南アフリカ)と今大会の間に、「9.11アメリカ同時多発テロ」があった。
  宗教の「相互理解と和解への現実的な道筋」に宗教学はどう関わっていくのか。宗教学は「実践的な諸問題に取り組み、批判的な眼差しによって対立点を浮き彫りにしつつ、相互理解に貢献する新たな公共知の重要な担い手となりつつある」(同)という認識の根拠は何か。討議された「相克と平和」を覗けば、現代の宗教学者らの考える宗教学・宗教研究のあるべき姿が分かるはずだ。
  なお神道国際学会は当大会に、パネルセッション「神道史研究の時代区分と国際的・学際的アプローチ」を掲げて参加し、薗田稔会長はじめ国内外の理事が討議に加わった。

▽島薗進、ヘリー・テル=ハール、鶴岡賀雄 編 
▽四六判、416頁、2625円 
▽秋山書店=0422(53)2283



『古事記の「こころ」―伊勢神道の視点から―』

  著者は神職として憂える。今日の我が国の人々が、祖先とともに生きているという信仰を、そして「永遠のいのち」とのつながりの中に生かされているという人間の本質を、すっかり亡失してしまったことを。
  20年に1度の神宮「式年遷宮」。この御遷宮のテーマも「永遠のいのち」なのではないか、という。天武天皇の宿願を奉じて始まった御遷宮。「天武天皇は『永遠のいのち』と一つになっておられたのであろうと思う」
  天武天皇が意図したのが『古事記』の編纂である。著者は「永遠のいのち」を体認するものとして伊勢神道を捉え、『古事記』にやどる「こころ」の再発見と解釈を試みていく。

▽小野善一郎 著
▽四六判、224頁、2940円 
▽ぺりかん社=03(3814)8515



『四天王寺聖霊会の舞楽』

   聖霊会とは聖徳太子の御霊を慰める法要であり、その法要における舞楽は「極楽の舞」と呼ばれ、その太子が理想とした仏の世界を舞楽という表現にて現世に再現し、その御仏前に捧げられるものと定義されている。
  本編では四天王寺聖霊会の次第にはじまり、聖霊会法要の進行上必要となる舞、四箇法要の中で舞われる舞、入調の舞、そして現在は奉奏されていないものを合わせて36曲の由来やその意義について詳細を解説している。また各演目で使われるお面、装束や雅楽器も写真入りで紹介されており、聖霊会舞楽の鑑賞の手引きのみならず舞楽を知りたい方が基礎知識を養われる本としても相応しい。
  巻末では四天王寺に於ける1400年もの雅楽・舞楽の歴史や天王寺楽家の系譜についても触れられており、聖霊会だけでなく四天王寺舞楽全般について詳しく知りたい方は必読である。

▽南谷美保著 
▽145頁、本体価格2800円(税別)
▽東方出版=06(6779)9571



「神社新報バックナンバー検索」(プレリリース版)
神社新報創刊六十周年記念出版
「検証神社本庁六十年 先人の足跡―『神社新報』の紙面から―」


   神社新報バックナンバー検索」は、神社新報創刊60年記念事業として、創刊号(昭和21年7月8日号)より平成17年までの全紙面をテキストデ―タ―化したもので、同版において60年分の紙面の閲覧、並びに検索が可能である。また同じく記念事業の一環として出版された「検証神社本庁60年 先人の足跡―『神社新報』の紙面から―」は平成18年1月より9月まで計30回の連載で同紙面に掲載されたシリーズをこの度書籍化したもの。本書では『神社新報』創刊より現在に至るまでの神社本庁を中心とした神道人達が60余年に亘って同紙に展開した社説や論説、主張等をまとめ、いくつかの新たな解説や略年表等も加えて編集されている。本書からは戦後60年の神社本庁を中心とした神社界の言論や思潮が俯瞰できる。

▽神社新報社編
▽251頁、1800円
▽神社新報社=03(3379)8212
(プレリリース版は非売品)



『キリスト教をめぐる近代日本の諸相――響鳴と反撥』

  「信仰の目をもってする近代日本精神史の諸相の検討」――。これは、東京のオリエンス宗教研究所(ムケンゲシャイ・マタタ所長)が2002年から5年間、年5、6回のペースで、同研究所に関わる研究者らを巻き込んで進めてきた研究テーマである。本書はこの共同研究「オリエンス・セミナー」の研究成果・発表をまとめた「論集」ということになる。
  「信仰の目をもって」というのがポイントであり、また、研究に参会した研究者の大部分がカトリック信者であるというところもキーの一つであろう。参会者の共通の願い、あるいは研究趣旨は、あくまで「キリスト教信仰が日本の精神的土壌に根づくため」(「序」より)なのである。
  日本におけるキリスト教の受容という論点で研究あるいは議論を行なうとき、往々にして「『宣教の成功と失敗』という観点から眺める『宣教論』の観点には制約があり、時としてそれは受洗者数を数えるだけに終わったり、あるいは、土着化という名目で日本の習俗に迎合するだけに終わることもある」(「序」より)という事態になりかねないという反省と留意が表明される。
  そこで、当研究および本書に盛り込まれた論述は、「日本の精神的・霊的土壌をあるがままに見つめ」る作業をじっくりと検討することから始めていく。
  霊的伝統を見つめるとき、空海や最澄、さらにはその源泉まで遡ることが必要であり、近代におけるキリスト教との接触を論ずる場合でも、庶民や民衆レベルでの考察も外せないとするが、さしあたり本書が焦点としたのは明治以降の近代に生きた「知的エリート」たちである。
  当初に取り上げられた新渡戸稲造の『武士道』にしろそうだが、「知的エリート」たちが心に秘め、思い描いていたのは、日本的精神性・霊性に閉じこもるということではなく、何らかの「日本と西洋との橋渡し」(「あとがき」より)であったろうし、「両文化から新しい文明が誕生する機会」(同)を展開しようとする意欲であったことは間違いない。
  日本的アイデンティティとキリスト教。近代日本がこの両域をどのように思想し、動いたか。互いの文化に投げかけあった波紋とは何か。揺れ動く国家と社会にあって、バランス感覚を持つことの難しさを実感しながらも、自らを真剣に思索し続けるための、参考とすべき一書である。

▽加藤信朗 監修
▽A5判、283頁、2100円
▽オリエンス宗教研究所=03(3322)7601

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