神道国際学会会報:神道フォーラム掲載

神道にとって『遷宮』とは何か

 ――薗田稔・神道国際学会会長に聞く――


    神宮の「式年遷宮」は平成25年の遷御にむけて諸祭典と諸行事が着々と進行中である。この伊勢神宮の遷宮祭を筆頭に、全国の神社で大小さまざま執行される「遷宮」とは、そもそも何なのか。多くの解説がほどこされてはいるが、ここでは京都大学名誉教授、皇學館大学特任教授で宗教学者である薗田稔・本会会長に、「遷宮」にみられる特質、そこに込められた精神などを大略的に聞いてみた。

あらたな蘇りと本来への回帰で神話的時間を歩んだ日本人


変わらざるものを改める古式に則り忠実に
 
     日本を代表する宗教的な建造物であり、文化的・歴史的に、かつ観光的にも高い価値が置かれる社寺建築。
神社の社殿と、寺院の堂塔は一般に共通の認識をもって同じように見られがちだが、もちろんそこには理念上、根本的な相違が存在する。
    薗田会長はまず、「建物を残す」つまり保存するという部分における「発想の違い」について強調する。
「たとえば法隆寺の五重塔などは、ゆうに1300年の時を経て今に残っている。対照的に社殿は腐朽することを覚悟で建て直すことを原則としているわけです」
「おそらく法隆寺は資材においても、保存に適した最良の工夫をして、当時の最先端の技術を駆使して建造されたのでしょう」
    時代が移って、かりに新築・改築が行なわれるにしても、とにかく長年にわたりその建物を残していこうという建築学における一般的な発想がそこにはあるわけだ。
「しかしお宮、お社の場合、とくに神宮では、先端の、というのではなく、古代さながらの様式で、たとえば腐るのが当然の掘立柱を立てて造営する。20年に一度、徹底して同じ素材、変わらぬ工法で、古代の形式に忠実に則って新しくしていくわけです。それは、変わらざるものを改める≠ニでもいうのか、そういう考え方、発想なのです」
 
 繰り返す式年祭 式年と遷宮が一体に
 
    では、新しく建て替えるという発想の根底に流れる理念は何なのか。そこには日本人特有の宗教感覚、精神性が垣間見えそうだ。
「命あるものはすべて老い、衰える。こうしたは仏教でも教えるわけですが、日本的な、あるいは神道における考え方では、命をふたたび若返らせる∞蘇らせる≠ニいう心が息づいている気がします。繰り返す≠ニいう文化ですね。しかも形式的に忠実に、ということですね」
「ある人が、『日本建築で長らえさせようとしているのは、建物ではなくて、どうも祭りを長らえさせる、祭りを繰り返さす、ということではないか』と。私もまさに、この祭りの文化、儀礼の文化を繰り返す、そこに重心があると考えているわけです」
「そこにはまず『式年祭』があるのであり、その望ましい祭りを徹底するために建て替えるという『遷宮』がある。ここにおいて、『式年』と『遷宮』が一体化してくるわけです」
「もちろん徹底しているのは神宮です。敷石から何から何まで新しくする。毎年やれない要素はありますから、それが20年ほどで一度という部分が出てくる。もちろん、技術伝承のサイクルとして、20年が限界であるとか、やはり萱などは十年を超えると腐朽するとか、色々な説がありますが」
 
「命のシンボリズム」祭りにある再現の原理

    話は、「遷宮」の中に図らずも込められた日本の祭りの原理へと進んできた。
「古式さながらに新しくする。そこには、再現するという祭りの原理があります。あらためて、生き生きと新しいものにするという理想を込めているのです」
「私は『命のシンボリズム』と言っているのですが、世代的な受け継ぎのサイクルがあって、それを繰り返していく。神道的な表現をすれば子孫弥次々≠ニいう生命シンボリズムがある。それが祭りの原理に流れるものであり、式年遷宮の理念でもあると思うのです」
    繰り返すことで、新しい命の蘇りを表現する祭り。それはどうやら記念祭やカーニバルとはまったく別次元の時間感覚であるようだ。
「それは歴史的な時間観とは違うものなのですよ。歴史的な営み、過去は二度と戻らないという時間観ではなく、神話的な時間観なのです。『永遠に回帰する』とはエリアーデの言葉ですが、まさに物事を歴史変化的に捉えるのがリアルであるという思考ではなく、古い様式やソフトを使って神話的世界を再現し、本来の姿に回帰することで新しくなるのが祭りなのですから」
「クリスマスは、2000年前の歴史的な出来事であったキリストの生誕を祝う記念祭・誕生日です。神道の祭りはそうではなく、そのつど神話的な世界を再現して、古えさながらに神様をお迎えするのです」
 
律令期の維新と復古 大嘗祭と遷宮の制度化
 
    「遷宮」は太古の世界を新しくすること、蘇って若返らすこと、その目的を再現するために採る手段は、あくまで古式を守り、古式に帰ること。単純にいえばそういうことだろうか。
    では、式年遷宮が始まった頃の日本は、なぜそうした「遷宮」を採用する必要性を感じたのだろうか。
「当時は律令制という新しい体制で再出発した時期です。天皇の権威を再強化しつつ、革新的な変化を求めていく必要があった」
「しかしじつは、変革というのは復古なのですよ。維新復古。古今東西、体制を打ち壊すときには、『元に帰れ』ということがモチーフになるのです。新たな律令国家の権威をいかに高めるか。そのとき採った一つが大嘗祭であり、もう一つが遷宮だったのではないか」
「神の宮が改まるということは世の中が改まるということ。天皇が改まるということは、これも典型的な世の改まりです。そして『式年』『遷宮』を繰り返すことによって、新たな蘇り、改まりを目指したといえるのではないでしょうか。そこに日本人は、主観的なリアリティーとして、ありありとした実感をもち、神とともに神話的な時間を歩んできたのです」
お話をうかがって、やはりここで今一度、式年遷宮、遷宮祭に心を寄せて、われわれ日本人としての心性を再認識していく価値は充分にあると感じた。


Copyright(C) 2007 SKG all rights reserved
当ウェブサイト内の文章および画像の無断使用・転載を禁止します。