神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
連載: 神道DNA 『ユーラシアの背骨は九蓮宝燈』
三宅 善信 師


 中国の歴代王朝の歴史は、「辺境の蛮族(もちろん中華思想側から見て)との攻防史だった」と言っても過言ではない。というよりは、秦以後の統一王朝で、「漢民族による王朝」と呼べるのは、せいぜい、漢・宋・明ぐらいのものだ。それ以外の晋・隋・唐・遼・金・元・清などの王朝は皆、周辺の「蛮族」による征服王朝である。であるからして、20世紀に成立した中華民国や中華人民共和国を漢民族による王朝だとすると、これらは中国二千数百年の歴史からすると、むしろ、少数派に属すると考えて良い。もちろん、豪華絢爛な北京オリンピックの開会セレモニーで明るみに出た偽物の「56少数民族の子ども」によるパフォーマンスは記憶に新しい。
 私は何も多民族国家を貶しているわけではない。というよりは、ある程度の規模の人口集積がある国家は皆、程度の差はあれ「多民族」国家であり、ヒト・モノ・カネの移動が地球規模でますます大きくなってゆく現在、「単一民族」国家であり続けることのほうが、現実的ではない。
 現在、中華人民共和国の西端には「新疆ウイグル自治区」と呼ばれる「少数民族(中国側から見て)」が暮らす地域がある。中国からの「独立」を指向する「東トルキスタン」勢力の活動がようやく日本でも知られるようになった。日本人からすると、同じ仏教徒が暮らす「チベット自治区」の独立運動のほうが関心を集めがちであるが、世界史的視座から言うと、こちらの「新疆ウイグル自治区」のほうがはるかに影響が大きい。「新疆」とは中国語で「新しい土地」という意味であり、18世紀の清朝時代に中華帝国の版図に組み込まれたが、もとよりこの地は、イスラム教徒の遊牧民ウイグル(回疆)族が暮らす土地であった。
 ここで、もう少し視野を広げて、ユーラシア大陸全体を見渡して欲しい。西方には、キリスト教文明圏のヨーロッパ、南方にはヒンズー教文明圏のインド、東方には儒教文明圏の中国、欧州とインドの中間の中東(欧州側から見た呼称)にはイスラム教文明のアラブ諸国、インドと中国の中間には仏教文明圏の東南アジアといった「亜大陸」が広がっている。しかし、ここで抜け落ちているのが、それらの文明圏の中間に位置し、長い歴史の中で、「世界帝国」をめざす諸勢力の通り道になってきた「中央アジア」のステップ地域という文明圏があった。
 これらの諸民族の中で、20世紀になって真っ先に「独立国」となったのが、パキスタンとアフガニスタンである。「スタン(stan)」とは、トルコ語で「国家(state)」の意味である。長らくこの状態が続いたが、1991年のソ連邦の解体により、これらの「スタン姉妹(国名は女性名詞)」は一挙に増えた。つまり、旧ソ連邦を構成していた15共和国の内、カザフ共和国がカザフスタンに、以下、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンと次々に「スタン姉妹」の仲間入りをした。
 しかし、話はここで終わらなかった。最初に述べたように、新疆ウイグル自治区は、中国側から言えば「新疆」であるが、ウイグル人たちから言えば、先祖代々の「ウイグルスタン」である。遙か東方の豚肉を食らう漢民族よりも、すぐ西隣にいる同じイスラム教徒の遊牧民たちにシンパシーを感じて当然であろう。しかも、遙か西方のソ連という社会主義帝国に抑圧されていた彼らが見事独立(実際には、不戦勝みたいなものであったが…)を果たせたのだから、同様のことがウイグルで起こっても不思議ではない。中国への牽制や同地域の地下資源の権益を狙って武器や資金を援助する勢力が現れてもおかしくない。これが現在の状況である。
 では、何故、彼らは「ウイグルスタン」と言わずに「東トルキスタン(東突厥)」と自らを呼ぶのか? 答えは簡単である。彼らの西に居並ぶスタン諸国と連携するためである。「トルキスタン(Turkistan)」とは「トルコ人の国」という意味である。ヨーロッパと接しているトルコ共和国は、「トルコ系」諸民族のごく一部に過ぎない。旧ソ連のトルクメニスタン(Turkmeni-stan)も「トルコ人の国」である。トルコ系諸民族は、まさにユーラシア大陸を東西に貫く背骨のような位置に居るのである。
 もうひとつ「スタン姉妹」を忘れていた。現在のトルコとイラクとイランの間の山岳地帯に広く分布する民族クルド人である。クルド人たちが独立を果たして「クルディスタン(Kurdistan)」となった時、まさに、9つのスタン姉妹がユーラシア大陸にずらっと居並ぶことになるのであるが、これらが実現する日がいつになるかは誰も知らない。


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