神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
読者からのお便り

いろんなところにいろんな神社 
       
見上げてびっくり
屋根神さま

   名古屋の町を歩いていると、人家の屋根の上に神様が祀られているのを、時々目にすることがある。初めて見つけたときはびっくりした。屋根神さまだ。写真は、那古野地区で見つけたもの。二階建ての民家の二階部分に張り出して建てられている立派な屋根神さま、その下には日本語と英語で説明が書かれている。それによると、祀られているのは津島神社・秋葉神社・熱田神宮のご祭神で、疫病や火災などの恐怖から身を守るために庶民の祈りをこめて創られた、とある。屋根のうえに小さな社を祭るという形態は、名古屋独特のものだそうだ。全国の皆さん、屋根神さまをお参りに名古屋にいりゃあせ。(東京・SU)



災禍転福──明るくプラス思考で詣でる
貧乏神神社

   東京・亀戸。天神さま方面とは駅をはさんで反対側の通りを散歩していたら、中庭のある円型のショッピング・モールに出た。喫茶店でひと休み、と思い案内板を見ると、モール二階の一角に「貧乏神神社」と出ている。
   神社好きとしては「これは参拝≠ケねば」。のどの渇きも忘れて一目散、階段を上がりながら「それにしても貧乏神を祀るお社とは」と、へんな期待感が高まった。
中庭に面した通路を歩いてモールの端、バルコニーのようなところに、あった。貧乏神神社。小さな祠と、柵一面に無数の絵馬。だが想像した異様な雰囲気はない。
   銭神大明神も祀られ、「災禍転福」の幟がはためいている。なるほど、貧乏転じて金運に恵まれ、災い転じて福となすお社か。祠の扉は閉まり、中に(たぶん)鎮座する貧乏神のお姿は見えない。賽銭箱は、よく見ると「退散箱」。そばに大木の切株がある。
   貧乏神に手を合わせてよいものやら迷うところだが、「参拝の仕方」がちゃんと貼ってある。「三打・三蹴・一放」。要は《貧乏神、出て行け!と、ご神木を三回うつ》《貧乏神、出て行け!と、ご神木を三回ける》そして《貧乏神の逃げ込んだ袋を放り投げる》。木の切株はご神木だったのだ。
   せっかく切れた貧乏神とのご縁を結ばぬよう、「退散箱」に五円(ご縁)玉は入れないこと、と注意書きが。そして、《きっと良いことがある》としっかり祈れば「確実に貴方の貧乏神をお預かりいたします」
   ご利益を感得したら改めて銭神大明神に更なる幸運を念じよ、とある。さらに、たとえ外れた宝くじや馬券でも、一時の夢をくれたものとして供養せよ、とも。
明るく、プラス思考でご神前に向かうのが貧乏神神社の醍醐味らしい。そう考えると、頒布の「お札」や「貧乏酒(お神酒)」、限定グッズの「貧太郎・貧次郎」も、なんか楽しそうだ。ちなみにここは亀戸分社。ご本社は長野県飯田市に鎮座するという。(千葉・TK)




ネズミ男も町おこしにひと役  
   妖 怪 神 社

 この季節、めったに無い青空に誘われて、久しぶりに鬼太郎のブロンズ像に会いに境港市(鳥取県)に出かけた。鬼太郎とはおなじみの人気漫画「ゲゲゲの鬼太郎」のこと。作者の水木しげる氏が境港市出身の縁で、町おこしをかねて《妖怪》のブロンズ像をさびれた市のメインストリートに置くようになって十年ぐらいたっただろうか、年々ブロンズ像も増えるにつれ知名度も上がり、訪れる人もずいぶん増えたようだ。
 前置きはさておき、今年は子年、「もしかして握手をして廻るネズミ男に出会い、今年も何かいいことあるといいな」と出かけたのだが、当のネズミ男は今年はモテモテで、あちこちのイベントに引っ張りだこの様子。今日はいない!いならぶ妖怪のブロンズ像を見ながら歩くと駐車場から7、8分の所に「妖怪神社」なる幟が見える。鳥居もあるがその横木はなんと「いったん木綿」、鳥居横の手水鉢には直軽50センチくらいの「目玉親父」がクルクル廻っている。ご神体は3メートル以上もあろうか大きな石が注連縄をかけ鎮座しているが、周りにはなにやら怪しげな妖怪たちが見張っている様子。ご神体を安置した時に石の右上の一部がポロリと落ちたそうで「目玉親父」が飛び降りたのではと言うミステリー付き。
 鳥居横の小さな建物の中にはお札やおみくじ等があり、当日は無人だったが近くのお店で授与してくださるとの事。若いカップルや親子連れで賑わっているものの、手を合わせる人はあまりいなかったが、この神社、町おこしに一役買い、発展を願う住民達に力を与えているようではある。
 数え切れないほどのブロンズ像を見ながら、「妖怪はこわいもの、人を脅かすものでは決してなく、日常の生活の中での子供達への戒めや、躾をするための道具でもあり、親しみを持って接することができるもの」という水木しげるの言葉を思い出しつつ、帰路についた。「弁当忘れても傘忘れるな」という当地の諺とおり霙交じりの北風に「目玉親父」の街灯がほんのりとあかりをともしていた。
(平成20年1月、米子市・NM)



我が家の初天神は
 梅の小枝に餅のお供え

   都心への通勤距離範囲で東京都と川一つを隔てる市川市国分の山崎啓子氏宅では、屋敷内にある天神様の小さな祠で、1月25日の初天神の朝、御神縁深い梅の木に餅を25個付けてお供えして、昼には赤飯もお供えしているという。
 何代か前の人が新潟から嫁いでくる時に「天神像」を嫁入り道具の一つとして持ってきてお祀りしたのが始まりとのことである。
 戴いた写真からは、祠はよく手入れが行き届いており、お祀り続けている家族の皆様の篤い真心が伝わってくるようで、またお顔が見えるようでもある。
 こうした習慣は、このお宅だけでなく全国津々浦々で多く続けられていることとであろうし、この小さい神々の祭りが日本人の心のふる里ではないだろうか。
 山崎氏の話しによると、現在でも富山や金沢では、男児の誕生に母方の実家から天神像を御祝いとして贈る習慣があるという。(江東区・MT)


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