神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
日々雑感 :梅田善美理事長

中西旭先生が亡くなられた―。
 激しい寒波に見舞われたニューヨークですっかり風邪をひいて帰ってきたのだが、帰国を待っていたかのように届いたのは、中西旭・神道国際学会前会長(特別顧問)ご逝去の知らせだった。
 昨年に白寿の御年を迎えられたのだから、普通なら、彼岸に逝かれるのはしかたのないご年齢なのだが、日ごろのお元気な先生を知るものには、驚愕としか言いようがない。
こじらせた風邪のため、通夜には列席できなかったが、告別式にはかろうじて参列した。温顔で笑う先生の写真の周囲には、生前の先生のご交際の広さを物語るかのように、さまざまな会や個人からの供花が並んでいた。
 私が先生に初めてお目にかかったのは、神道国際学会の設立準備委員会発足のときだったが、供花に付けられたさまざまなお名前を読むにつけ、私が存じ上げていたのは、広いご交友範囲を持つ先生のほんの一部だったことを実感した。
 神道国際学会設立時からおよそ十年半のおつきあいのあいだ、先生からはまれにはお褒めもいただいたが、ほとんどはご叱責を含めたご指導の連続だった。古稀の私など、先生からみれば洟垂れ小僧で、見かねたことも多かったに違いないが、それでも我慢して後輩を見守ってくださったのは、教育者としての鑑といえよう。
 神道国際学会が十年間に開いた理事会、会員総会、セミナー、シンポジウムを数えれば、かなりの回数になるが、そのほぼすべてに出席してくださったのは、中西先生だけだったことも特記すべきだろう。ロンドンで開いたシンポジウムにも、ニューヨークセンターの開設のときも、片道十三時間の飛行もいとわず、参加してくださった。
 会議には必ず開始時間より早くおいでになる先生なので、事務局などは、中西先生より早く着かなくては、とあせって出かける始末だった。行き帰りを心配して「どうぞ奥様とご一緒に」とか「お車を手配します」と申し上げても、「一人で参ります。ご心配なく」と固辞された。
 会議が終わって駅までお見送りしたとき、杖をつかれつつ雑踏の中に消えていかれた先生の姿は今も目に焼きついている。
 昨年末に設立十年を迎えたのを機に、先生は会長を辞任され、特別顧問に就任されたが、先生はきっと今日のこの日が来るのをわかって後進に道を譲られたに違いない。
このコラムにはふさわしくない内容の想い出話になってしまったが、中西先生ならきっと笑って許してくださるだろう。


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