神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
神社界あれこれ

「全国一の宮会」の新会長に就任
真清田神社宮司 飯田清春氏に聞く

一の宮参拝の興隆と伝統文化への啓蒙に尽力

 全国の「一の宮」と呼ばれる神社で構成する「全国一の宮会」の新会長に、真清田神社(尾張国一の宮、愛知県一宮市)の飯田清春宮司が就任した。昨年の総会で改選があり、選任されたもの。
 飯田宮司に抱負などを聞いた。
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 一の宮はもともと各地におけるシンボルだった。地域の精神的な拠り所であり、文化の中心だった。
今の日本は、古い文化や伝統をいとも簡単に捨てて、新しくさえすればいいという風潮がある。
そこで、当会の全国七つのブロックごと、一の宮を巡拝するモデルコースを整備し、神社側の受け入れ体制も整えて一の宮参拝を興隆させ、文化への認識も高めてもらえるようにしたい。
そのとき、一の宮の紹介はもちろん、各地の歴史や文化に触れられる場所や施設の紹介なども盛り込んだ旅行案内のようなものがあると便利で、そうしたものの整備も目指したい。
まずは起爆剤として、一の宮が鎮座する市町村も巻き込んだ「一の宮サミット」の開催を検討したい。地域おこしは、いっとき盛り上がっても、精神的な柱がないと下火になってしまう。その柱が一の宮であり、柱があってこそ地域の発展や誇りも生まれる。
今後は団塊の世代が退職してますます高齢化社会となる。そうした方々にも巡拝を呼びかけ、お宮への敬神の念を喚起していきたい。
当然、平成二十五年の神宮式年遷宮に向けた奉賛にも力を注ぎたい。文化の中心、精神的な柱という点でいっても、その中の、さらに中心が伊勢の神宮なのだから。

御師が活躍し、講が登拝する山  武蔵御嶽神社

今でも宿坊集落が山上に

 東京を西から抱く奥多摩の山々。とくに御岳山は古くから関東の、山岳信仰の一拠点として尊崇されてきた。
関東平野の周囲には幾つもの霊山があるが、講の人々に宿を提供しながら登拝を先導する、いわゆる御師のいる風景はめっきり減った。御師はいても、彼らが営む宿坊がまとまって存在する山は指折り数えるほどになってしまった。
 御岳山の武蔵御嶽神社には現在、御師である神職家が32あり、その多くが宿坊を営む。登拝道がいよいよ随神門にさしかかるあたり、山道に沿って、宿坊や食堂を中心とした集落が形成されている。

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  ここはかつて、御師、神主、僧侶が協同で運営し、蔵王権現を祀るなど、神仏一体の霊地だった。江戸期には、御嶽講の信者らを掌握する御師が活躍した。明治の神仏分離策以降、修験の性格は小さくなったが、講の人々を迎える体制は守り通している。

 神職・御師の一人、宿坊「駒鳥山荘」を営む馬場喜彦さんは「神社の責任役員でもある32人の考えをまとめるのは大変。しかし御嶽の信仰を守っていこうという主旨では一致している」

滝行体験など一般に向けた努力も続く
    
 時の流れの中で、古来の姿をとどめるのは至難の業だ。馬場さんによると、「山に親を残して勤めに出る若い御師もチラホラと。神様に奉仕し、本当に昔ながらの宿坊らしさをとどめる御師は20軒たらず」というのが現実。講活動に熱心な信者も世代を追って減っており、組織を維持するのも容易ではない。
 それでも馬場さんは「我々、宗教者が投げてしまったら、もう誰もやらない。それこそ日本が精神的に潰れてしまう」と心を奮い立たせている。山駆け・滝行の体験プランを組み、先達を務める。「神様に感謝し、自然と向き合い、己を見つめてもらう。需要はある。あとは我々の工夫次第」と言い切る。

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 稔りの秋。馬場さんら御師たちは、里の講の人たちの家々を訪ねて回る。収穫された初穂米の奉納をいただき、御札を配る。「今どき、お金でなく、本当にお米ですよ。これこそ講のしきたり。何か大切なことを思い出し、大切なことを感じさせるじゃないですか」
 そして年が替わり、春になると、講の人たちが春山≠ノ登ってくる。御岳山には、御師と講が主体となった信仰の往来が今でも残っている。


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