第17号 9月15日刊行 神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
日々雑感 :梅田善美理事長


共同体における宗教文化の役割

 上記にあるように、神道国際学会会員の皆様には、去る2月25日に東京で開催した第11回神道セミナーの実演と講話を紹介したDVDをお送りしたので、ごらんいただいたと思うが、共同体における宗教文化の役割が如何に大切かと言うことが今回のセミナーのキイポイントであった。早池峰岳神楽の実演にも、鯨舟神事の映像にも、そして三人の講師のお話にも共通していたのは、神事芸能には遊び(体現)と祭り(祈り)の要素が不可欠であるということである。それに関連して最近つづけて視聴し感動したテレビ番組がある。
 ひとつは、8月16日にテレビで生放映された京都の五山の送り火。大文字、妙法、舟形、左大文字、そして鳥居のそれぞれの火を用意し、実行しているのは、300年以上にわたって各自の山を担当している京都の町衆(共同体)である。危険を伴う松明の運び役をしっかりと果たすために身体を鍛える人々、大役に緊張する高校生たち。祈りに没頭する僧侶の姿。この日のために海外勤務から休暇をとって里帰りし、担当する山の送り火のリーダー役に参加する青年もいた。京都の町の明かりが一斉に消えて、五山の送り火が一つ、また一つと、煌々と浮かび上がっていく。鴨川べりに沿って、あるいは五山を近くに遠くに望みながら、数十万人の人たちがその火に託して先祖に想いをはせる。真夏の夜に燃える20分あまりの五山の送り火。そこには、過去から現在につながる確かな時間が流れていた。
 もうひとつは、8月18日に録画放映された、愛知県の豊川進雄(すさのお)神社の例大祭(7月20日)で行われた手筒煙火(花火)の奉納行事の模様である。氏子集団(共同体)の若者たちが東と西にわかれ、つぎつぎと煙火を打ち上げる。花火の筒をしっかりと両手で抱え、火の粉が身体いっぱいに降り注ぐ数十秒を耐えに耐えて、親玉花火をスサノオの神霊に捧げるのだ。この日のために何ヶ月もかかって、竹筒を用意し、縄をまき、煙火を仕込み、神社社頭での打ち上げ練習を重ねる18歳から30歳までの青年たち。その勇気と献身に感動して、おもわずテレビに向かって拍手をした。手筒煙火を奉納する年代を卒えた壮年たちは、仕掛け花火で祭礼を盛り上げる。まさに、この町あげての行事なのである。
 神社仏閣を中心にした共同体の絆をもととする行事が、全国津々浦々で綿々と繰り広げられる。こうした行事が世代をこえて受け継がれているのが、一神教の世界とは異質の、日本の宗教文化の特徴だといえよう。 



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