神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
神道国際学会理事の「ホットな近況から」
 阿部 龍一 理事

密教儀礼と神祇信仰の相互影響を探る
協調し関係を築いた歴史のプロセスに魅力

「『まつり』『ほとけ』…明治以来の宗教機構に
      おさまらない豊かな響きを感じます」

 専攻は密教史。しかし――というより、だからこそかもしれないが――神道の領域に関わる事項も注視してきた。院政期の真言密教の改革者、覚鑁(興教大師)を扱った博士論文の頃から一貫して、宗教と言語の関係に関心を寄せている。「和歌陀羅尼説に代表される中世の歌論など仏教的な問題が中心ですが、そのなかの言霊の扱われ方などは神道の領域に深く関わる事項です」
   言語の問題とともに、『真言八祖像』など中世の真言密教の祖師像群にも視点を当てる。「これまでの研究は美術史の立場からのものがほとんど。それらの業績は踏まえつつも、仏教学、宗教学の立場から図像を読み直してみたい」。図像は明らかに灌頂、曼荼羅供など宗教儀礼において機能を果たしている。そこで、儀軌のテキストと図像の関連が解明できることに注意を払いたいという。
   神道との関連では、密教儀礼が神道灌頂など神祇信仰に影響し応用されている例を捉えつつ、逆に、「密教の師資相承の灌頂において、神にお供えする儀礼『神供』が重要視されるなど、密教の伝統の心臓部に、神祇の加護があってこそ正統な相承ができるという思想も読み取れる」といい、神仏の相互交流が無視できないことを強調する。
   仏教と神道の交流史というと、どちらを上位におくかというイデオロギー論に向かいがちだが、「神祇と仏菩薩の信仰という、本来は異質の信仰体系が協調しつつ共生的な関係を築いていった歴史のプロセスにこそ魅力を感じる」のだという。
   さらには、「文学、文化を含めた歴史の大きな流れのなかで果たした宗教者や、彼らの思想の重要な役割といったものを今一度、見直したい」といい、宗教史における根源の部分を読み込み、再構築しようと意欲をみせている。「最近は学術活動も極度に細分化、専門化しがち。しかしやはり、最終的には一般の人々の利益になる研究ができなければ、と思うわけです」
   「平安貴族の日記を読んでいると、老若男女が素朴に『かみ』を祀り『ほとけ』を敬いつつ送った暮らしのなかから、素晴らしい文化を作り上げていった姿が浮かんできます。『まつり』とか『ほとけ』という言葉には、明治以来の国家権力によって極端に宗派化されてしまった仏教や、仏教を切り捨てて作られた神道の機構などには入りきらない豊かな響きが感じられます。文化の基層にある、そうした心性を捉えなおし、それを現代人の思索の助けとして提供することができれば」
 迷いと不安の連続で確信を持って生きることさえ困難な時代。心の支えを発見する糸口を日本宗教史に拾い出す役割も、最近は意識する研究生活のようだ。

◇ ◇ ◇

   慶應義塾大学経済学部で経済史を専攻。卒業後、ジョンズホプキンス大学に留学し国際関係論で修士号。さらにコロンビア大学政治学部の博士課程でも国際経済の研究を続けたが、同大学で仏教学を講じていた羽毛田義人教授と出会い宗教学部に転じ、博士号を取得した。同大学で助教授、教授などを歴任、宗教学部長も務めた。2004年からハーバード大学東アジア言語文化学部教授、同大学ライシャワー研究所日本宗教担当教授。
   英文の論著が多いが、『真言の織地―空海と密教的言説の構築』(コロンビア大学出版部)は真言などインド的書記体系、音韻論、文法論を日本に移入し仏教の新しい言説を作り上げたという視点から空海を論じた代表作で、その研究概要が間もなく出る『弘法大師墨蹟集聚―論文編』(京都・便利堂)に日本語で掲載される。
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