神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
神道国際学会理事の「ホットな近況から」
ベルナール・フォール 理事

複雑多彩、ときに曖昧――日本の神仏群像に取り組む

中世・前近代の信仰を全体構造の中で解明
  「神々はアンビバレンスな意義を含む。両側面を考えることが大切」

 「『触らぬ神に祟りなし』という諺がありますが、神は守ってくれる存在であるとともに、祟りをもたらす可能性のあるものと考えられていたわけです」
 前近代の日本人の信仰の多面性、ときに曖昧にさえ見える神観念の複雑さを、全体的な構造として捉える視点が研究には欠かせないと主張する。
 「荒神」といい、また同じ神にも「和魂」と「荒魂」が内在するという。「今では福の神%Iな神頼みが主流ですが、江戸時代以前の神々はアンビバレンスな意義を含んでいた。その両側面を考えることが大切だと思う」
 両義性は神道、仏教に関わりなく言えることでもある。「つまり日本の宗教の特質ですね。御霊信仰でも厄神として災いをもたらすから逆に尊敬された面がある。仏教の薬師さんだって十二神将が眷属していて、如来の多面性を象徴している。パンテオンの中の全体構造を考えねばならない」
 こうした両価値的な宗教特質の形成で、画期となった例として挙げるのが、仏教の「本覚思想」だ。「『善悪』とか『煩悩即菩提』とか。よく観察すると、禅にも密教にも潜んでいる」
 別の角度から捉えると、かつての一般的な日本人が持っていた神々への信仰の在り方が浮上してくる。「立場上、特定の宗教を保持する人もいたでしょうが、庶民には神道だろうが、仏教だろうが、外道だろうが関係ない。仕事をし、子供が生まれ、素朴な願いを持って日々を暮らし、そして死ぬ。そこに宗教が機能するわけで、様々な神々をごく自然に信仰崇拝していたのです」
 面白いのは、神や儀礼を重視しない禅仏教の、中世の著名な禅師でさえ、神々との関わりに無縁でないということだ。「中世の史料や書物を見るとよくわかる。『本地垂迹』というけれど、神々は実際的な力をもって存在した。たとえば瑩山禅師といえども、やはり中世の世界に生きた人だったのですね」
 現在、そうした複雑で多彩な、仏でもあり神でもある(あるいは仏でも神でもない)神々や仏・菩薩に関して調査研究に取り組んでいる。神道の神はもちろん、密教や修験道、そして民間信仰にも踏み込む。魔多羅神、宇賀神、十禅師権現、荼吉尼天、胞衣神……概念も非常に曖昧な神仏群。「密教に現れた神、神道の外にある神々の研究は全体的に少ない。学者としては、概念を広くして、当然、歴史の真実を究明しなければ」と、意欲を見せる。

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 仏教、神道はじめ日本宗教に関する仏語、英語による著書・論文多数。テーマも入門的なものから、禅や『正法眼蔵』など高度・専門的なもの、「仏教とジェンダー」「宗教とバイオレンス」など、様々な研究課題に対する成果を有する。
 フランス生まれ。大学では政治学を専攻したが、数年にわたるアジア放浪で方向が変わった。「アジアを理解するには、全域の社会や文化に影響を与えた仏教をやるのがいい」と考え、京都大学で仏教哲学を学ぶ。同大学人文科学研究所で先ごろ亡くなった中国禅研究の泰斗、柳田聖山氏に出会い、日本および中国の禅宗を研究。アメリカに渡り、コーネル大、スタンフォード大で教鞭をとる。昨年からコロンビア大学教授。
「いわば仏教研究の過程で神々の問題が出てきた。スタンフォードでの授業担当は『中国禅』だったが、コロンビア大に移って『日本宗教センター』を新設しました。いよいよ神々の研究、日本宗教の分析が存分にやれますね」。今春には日米欧の学者を集めて中世神道に関する学術大会を開く予定で、準備に余念がない。

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