神道国際学会会報:神道フォーラム掲載

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『日本人はなぜ無宗教でいられるのか』 片山文彦著

    宗教には広い意味と狭い意味がある。「無宗教です」と言って憚らない日本人だが、初詣には熱心だし、墓参りもせっせとするから、広い意味では宗教活動をしていることになる。どうやら、自分の意志で宗教団体なりに足を踏み入れるか、宗教的境地にでも至る体験でもしなければ、「宗教」という言葉が日本人の意識には上らないようなのだ。
    大陸の諸民族の場合、まさに、宗教が無ければ生きてゆけない必然性を歴史的に背負ってきた。なぜそうなのかは本書にも書いた。彼らが、「無宗教だ」と自ら公言する日本人をいぶかるのも当然なのである。
    「なぜ、日本人は無宗教でいられるのか」。神道は元来「言挙げせず」で、ペラペラと発言するのを良しとしないけれども、世界と無関係ではあり得ぬ今日では、その態度も通用しそうにない。「なぜ」に対する答え――それはとどのつまり、日本人の思考や精神文明、日本民族の有りようを明確に語ることになるのだが――を示さねば、理解してもらえぬどころか、無用の誤解を生ずるし、信頼性にも関わってくるだろう。
    本書では神道や仏教、儒教などのことは勿論、門外漢のユダヤ教やキリスト教のことも書いた。神主として神道を補強しようというわけではなく、対極的な宗教を語ることによって神道の特性を浮かび上がらせることができるのではないかと考えたからである。
    日本人は宗教に関しても異文明に対しても、じつに寛容である。仮に宗教から宗教へと渡り歩いても「日本人」を見失うことはない。他民族から徹底的に蹂躙された苦い経験がほとんどないからでもあるが、日本人としての社会的合意や背骨のようなものを当たり前のように、だが確固たる伝統として守り続けてきたのである。
    しかしここにきて、そう気楽に構えていることも出来ない時代になってしまった。日本全体に蔓延する無気力な風潮はどうだろう。海外に目を向ければイデオロギーを前面に押し出した戦争やテロが泥沼化している。日本の伝統と精神文明には、この日本亡国への危機と、世界の全面崩壊とを回避する発想が満ちていると確信している。その発想を人々に、また世界に提示する時が来ていると痛切に思い、本書を世に送り出した次第である。

▽四六判、238頁、1575円 ▽原書房=03(3354)0685



片山文彦(かたやま・ふみひこ)
花園神社宮司、國學院大学講師、神道時事問題研究会代表。1936年、東京・新宿生まれ。昭和大医学部、東京女子医科大大学院卒。医学博士。元東京女子医大講師、元立教大講師。同時に國學院大神道研修別科卒。著書に『神社神道と日本人のこころ』『ガン、成人病、エイズの本』『日本人のこころ』『いま神道が動く』『いま日本の心を問う』ほか多数。

 



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