神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
神道国際学会理事の「ホットな近況から」
三宅善信 常任理事

諸宗教間対話・協力を実効あるものとするために
   異なる言語空間──いったん置き換える共通コードが必要
     「一堂に会して握手するだけの時代は過ぎた」

  この8月、京都でWCRP(世界宗教者平和会議)の世界大会が開かれる。現在、WCRP日本委員会の評議員。今大会を、あるいは今大会に限らず「諸宗教間対話」といわれるものを、実効ある「成果」とするには果たして何が必要なのか――思いを巡らすことも多いようだ。
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  国内外を問わず、「宗教間協力」の世界に長年、身を挺してきた。
  同志社大学大学院を修了後、渡米。ハーバード大学大学院に学び、同大学院世界宗教研究所に研究員として在席したこともある。
  加えて宗教の現場に身を置く立場。若い頃から「諸宗教間対話」の必要性を感じていたようで、以後多数の国際会議に参加することになる。
  教団幹部となった現在では、WCRP日本委員会評議員のほかにも、IARF(国際自由宗教連盟)の国際評議員、大阪国際宗教同志会理事、「現代社会と宗教研究会」代表などを務め、奔走の毎日を過ごしている。
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  「宗教協力、宗教対話――かつては、異なった宗教の指導者が一堂に会して、握手するだけで意義があった。でも、それだけでは世界平和は来ない。ところが、未だにその域を抜け出ていないのが現状」といい、単なるイベントになりかねない状況には疑義を呈する。
  「お互いそこは触れられては困るという部分を置き去りにして話し合いをしても仕方がないのではないか」。人類の安寧が協力・対話の最大目的であるならば、アピールだけでない突っ込んだ話し合いが必要というわけだ。
  「そもそも諸宗教会議に出ようというような宗教者はマイノリティなんですよ。宗教界のマジョリティは『違う宗教なんか太陽(中心にある)のわれわれからみたら、惑星みたいなもの。何でそんなのと対話しなければならんのか?』って感じですよ」。そういう人たちを無理にでも対話の場に引っ張り出すのは並大抵のことではない。
  「例えば、異なる宗教の指導者が『ゴッド・イズ・ラブ・アンド・ピース』と言って解り合えたような気になる。でも『ゴッド』も『ラブ』も『ピース』も宗教ごとに言語空間の意味するところが異なる。普遍なのは『イズ』と『アンド』だけだとすると、それで果たして本当に対話が成り立つのか?」
  少しでも歩を前に進めるにはどうすればいいのか。「対話を行なうとき、いったん置き換える共通の概念言語、あるいはコードを創出する必要があるのではないか。経済の世界における『マネー』のように、いったん全ての商品を『マネー』に置き換えてからマーケットで取引するように」
  奇抜な発想のようだが、「人間の重要な営みの一つは、物や概念に名前を付けること。宗教対話でも、遠回りのようで、じつはそれが一番の近道なんですよ」。言葉としての「神」について、「愛」について、「平和」について、まずはその概念を皆で喧々諤々、議論してみることに意義を見出している。
  そういえば、最新著『文字化けした歴史を読み解く――三宅善信対談集』も歴史や文明の真相と深層を近代文明という「文字化け」から氷解させるものであり、その比較文明論は異文化が歩み寄るための共通のコード作りに大いに参考になるものなのであった。

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