神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
第62回神宮式年遷宮「お木曳・一日神領民」

伊勢参宮本街道の「歩き」──三回目の挑戦がスタート
式年遷宮ごとに「定点観測」
今の姿をありのままに描き記す  西宮市の神職 吉井貞俊氏

  「伊勢へ、再び歩いてみる」。兵庫県西宮市在住で西宮神社の前権宮司、吉井貞俊氏は大阪から伊勢の神宮まで、往年の参宮本街道を歩き出している。
  生駒を越えて奈良へ。南下して桜井へ。東に向かって山間を辿り榛原、御杖へ。そして峠を越えて三重県に入り多気から伊勢へ。
  この「歩き」。吉井氏にとっては3回目となる。初回は昭和48年の第60回神宮式年遷宮、次は平成5年の翌回の遷宮――それぞれを目前に控えたところで「数年かけて、ぼつぼつと、悠長に」歩いてきた。つまり20年ごと、正遷宮が間近に迫ると、気負うわけではないが、「伊勢本街道へ」と心が騒ぐらしい。
  もちろんただ歩くのではない。土地土地の風物や民俗を短時間で的確に捉えたちみつなスケッチやエッセイで有名な吉井氏のこと。20年の歳月で街道がどう変遷したか、自分の目とスケッチとカメラで検証するわけだ。
  「つまり定点観測。変わるものもあるし、『人間の生活って変わらないものだなぁ』と思わず感心するものもある。比較の面白味にはまって、再び歩くわけ」
  そもそも古代・中世の本街道は大部分が野山に消え、アスファルト道に吸収されている。そして、現代の20年は、農山村といえども古色の景観を一気に味気ないものに変えていく。
  しかし吉井氏の見解はちょっと違う。
  「歩いていると、確かにありがたくない変化と言えば言えるものがある。でも住んでいるのはその土地の人であって、外からとやかく言うのはちょっと変」。いっときの旅情を求めようとするのは、旅する側の身勝手というわけだ。
  「私がやろうとしているのは、現代の、ありのままの姿をどう表し、残しておくかということ」。例に挙げるのは安藤広重だ。「東海道五十三次」は天保年間、その時期の風俗をそのまま描き出している。「それでいいわけ。だからこそ200年経って、今見て価値がある」
  さらには「変わるものは結局、変わる。今は新幹線、高速道、私鉄特急がある。別の見方をすれば、新しい便利な伊勢街道≠ェ東京や大阪に延びたともいえる。機能的になればなるほど御神域に歩を入れたとき、その清々しさが一層、ありがたく感じるかもしれないし」ともいう。「そうして、やがて『では歩こうか』という人も出てきますよ」
  参宮本街道は未来にもきっと見直されると確信している。「そのためにも、『昔はこうだった』よりも現時点の有り様を捉えておくほうが大切。これから200年後の人が平成時代の息吹はこうだったのかと感じてくれるようにね」
  20年前よりは足腰にきついかもしれない街道歩きへの再挑戦が始まった。

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