神道国際学会会報:神道フォーラム掲載
連載: 神道DNA(1) 「常識を疑ってみる」  三宅善信師

 この度、新たに『神道フォーラム』紙が定期刊行されることになったのは、十年にわたって地道に啓蒙活動を行ってきた神道国際学会が新しいステージに入ったことを意味し、まことに喜ばしい限りである。編集部より、小生に「コラムを書くように」と依頼されたので、日頃から思っていることを綴ってみたい。

 連載第一回目は、ごく一般の日本人が、「神道」というものに対して持っている「常識」について疑ってみることから始めたい。「神道」という用語の学術的定義はひとまず置いておいて、まず、一般の日本人が「神道」というものを意識する身近な例から考えてみよう。
 「神前結婚」という言葉があるが、これはいったいいつ頃から行われている儀礼なのであろうか? 皇太子殿下がご成婚された際(平成五年)にも、たしかテレビ中継のアナウンサーは「古式ゆかしく…」と表現していたように記憶するが、実は、「神前結婚」は、案外「新しい」 儀礼である。
 明治三十三年に、時の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がご結婚される際に、欧州列強のロイヤルウエディング(当然、キリスト教式)に対抗するため、これまで行われていた神社での奉神儀礼を参考に、古事記などのテキストを解釈して新たに考案された近代の産物である。少しも「古式」ではない。大正時代になってそれが庶民の間に一般化したものである。
 また、現在では、神職イメージである白装束姿や「二礼二拍手一礼」などの全国標準の礼拝様式なども皆、明治近代国家の官僚によって創り出されたものであって、近代以前には、全国津々浦々の神社で、その土地その土地独自の(色も柄もバラバラの)装束や、多様性豊かな儀礼(礼拝様式)が連綿と受け継がれてきたものであった。
 同様に、今では「仏教の専売特許」となった感のある「仏式の葬儀」も十六世紀にキリスト教が伝来した際、整った人生儀礼の体系を持つカトリック教会に対抗するため、プロの僧侶が介在する形での葬儀が一般化したのである。
 もっと遡れば、「神道」がひとつの「宗教」として意識されるようになったのは、千数百年前に大陸から仏教をはじめ儒教や道教がこの国に導入されたことによる。もちろん、はるか縄文時代にまで遡る日本人独自の宗教意識は存在したが、それが現在、われわれが知っている「神道」のようなものであったかどうかは別物である。その証拠に、千数百年まで盛んに造られた古墳でどのような儀礼が行われていたかすら、よく解らないではないか?
 日本国内だけでなく、海外の優秀な研究者を多く抱える神道国際学会と、その広報紙である『神道フォーラム』は、近代によって矮小化された「神道」 に関する私たちの「常識」 を打ち破って「神道」というものが本来有している豊穣な世界をわれわれの現前に紹介していってくれるものと期待している。

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