第3回神道国際学会専攻論文発表会

本会主催の第3回・専攻研究論文発表会が9月19、20両日、東京・高田馬場の学校法人川口学園(早稲田速記医療福祉専門学校)で開かれた。今回の発表は、本会理事だけでなく、応募の研究者や海外の学者にも門戸を開放したため、「国際大会」と銘打った。聴講も広く一般に呼びかけ、二日間でのべ約150人が来場し、質疑応答に加わった。この研究発表会については後日、発表要旨集と収録DVDを刊行する予定。

発表(敬称略)

▼発表1
「世界宗教への道~天理教・金光教の挑戦~」
三宅善信(金光教泉尾教会総長、本会常任理事)
▼発表2
「『日本書紀』神名用字研究―神代紀を中心に」
張逸農(中国・浙江工商大学日本文化研究所大学院)
▼発表3
「『神都』伊勢神宮の近代的空間の形成」
ジョン・ブリーン(国際日本文化研究センター准教授、本会理事)
▼発表4
「『朝鮮神宮』の祭神論争を通じてみる〈海外神社〉の変容様相考察」
全成坤(韓国・高麗大学校日本研究センター研究教授)
▼発表5
「異文化理解の困難と可能性―『菊と刀』と『アメリカの鏡・日本』の比較分析を通して」
岩澤知子(麗澤大学外国語学部准教授、本会理事)
▼発表6
「東アジアから見た『天皇』の語源」
王勇(中国・浙江工商大学日本文化研究所所長・教授、本会理事)
▼発表7
「皇国史観の形成と儒教―『神皇正統記』を中心に―
劉岳兵(中国・南開大学日本研究院副教授)
▼発表8
中国人発表者三名に対する総合コメント
徐興慶(台湾大学日本語学科・日本語文学研究所所長)
▼発表9
「韓国人の日本文化認識―朝鮮時代の『海行総載』を中心に―」
黄昭淵(韓国・国立江原大学校人文大学日本学科副教授)
▼発表10
「日本美術工芸における神道文化の発露について」
亀井治美(ガラス工芸作家)
▼発表11
「生命観にひそむ東西間の課題」
薗田稔(秩父神社宮司、京都大学名誉教授、本会会長)。

モデレーターは初日が大崎直忠(メディア・コンサルタント、本会常任理事)、二日目が茂木栄(國學院大学教授、本会理事)。

初日 (9月19日)

senko3-1開会にあたり本会の薗田会長は「海外から、とくに中国や韓国の、しかも若い学者の方々にも発表いただけるということで、非常に意義あるものとなった。みっちり討論し、集まった皆さんにも何か収穫を得てお帰りいただければ」と挨拶した。
三宅氏は、近代において天理教や金光教が海外で教勢を拡げたものの、み教えの理念による布教が近代日本の殖民政策と同一視されたり、曲解された歴史もあることを解説した。
張氏は、中国の古代典籍と、「書紀」の神名との比較分析によって、「書紀」作者は漢文典籍から神名を当てはめたこともあったのではないかと推論した。
ブリーン氏は、近世の神宮には、万世一系の天皇祭祀に特化・浄化しようという明治初頭の国策による断絶があるとし、その空間から庶民を遠ざけた側面もあるとした。
全氏は、大正期、朝鮮神宮の創出において展開された祭神決定までの議論を考察。檀君を加えるべきと主張した日・朝の論者の論理についても、同じに見えて異質な思考があると論じた。
岩澤氏は、長い滞日に根ざした文化論でありながらアメリカで批判が噴出したり、訪日経験のないまま洞察されたにも関わらず重要な日本論として通用していることがあると指摘し、異なる価値や多様性を理解するためには、敵意とイデオロギーにからまれずに議論する自覚を持つべきだとした。

二日目(9月20日)

王氏は、「天」「皇」「天皇」の用例を古代中国・日本、道教との関わりなどから歴史的、思想的に論じ、一国君主の称号としての「天皇」は日本土壌から生じてきたものではないと結論づけた。
劉氏は、皇国史観の形成は北畠親房『神皇正統記』まで遡ることができるとし、その思想形成においては儒学や朱子学の影響があるとされるものの、目的は神国日本の優越性を強調することであったとして、儒学的な思想から採用した論理要素を抽出した。
徐氏は、中国人発表者の張、王、劉の三氏への総合コメントを述べた。そして、思想や文化の融合過程、原則性、時代ごとの思想の受け止め方の違いなどを解明していくことの重要性を指摘した。
黄氏は、日韓交流の記録類をまとめた『海行総載』(十八世紀)のなかから、とくに「看羊録」を書いた姜沆を採り上げ、朱子学の普及に貢献したことに加えて、日本の社会や文化の特性を論じた点を再評価すべきだと強調した。
亀井氏は、日本の粋や自然観を込めてガラス工芸にたずさわってきた自身の作家活動を紹介し、主役だけではなく様々なもの一つ一つに大切なものを表そうとする日本の思考が美術工芸にも垣間見えると語った。
薗田氏は、虫供養や草木供養など様々なものを供養する行事に日本人の悉皆成仏の観念が見えるとし、生命を有機体として冷静に対象化する西洋と、心に兆す実感として命を捉える東洋を対比しながら、これからの「生命観」のあり方を探った。