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第五回 神道セミナー
「神道と外来宗教の出会い ― 日本における宗教変容のかたち」
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「まとめにかえて」
モデレーター 米山俊直(大手前大学学長) |
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午前中の「神道と仏教」藤井正雄教授、「神道と道教」河野訓助教授、「神道と儒教」尾藤正英名誉教授、「神道とキリスト教」シルヴィオ・ヴィータ教授のご講話のあと、昼食をはさんで、ディスカッサント深見東州、三宅善信両先生の発言、つづいて薗田稔名誉教授のアドバイスと、非常に充実した内容のセミナーであった。参加者は午後4時現在で453名という多数で、國弘正雄理事が「日本人は熱心ですね」と賛嘆しておられた。
日本古来の信仰形態である神道が、仏教、道教、儒教、キリスト教の影響をうけていることは歴史的にもあきらかであり、それぞれの外来宗教がどのようにこのインディジナスな信仰に影 響を与えてきたかについて、各講師はその蓄積をふまえて話された。
藤井教授は多宗教で無宗教の日本人の信仰形態が、すでにインド、中国、朝鮮において変容をとげ、諸文化の累積であった仏教が、日本における定着化の過程で「民俗の仏教化」と「仏教の民俗化」が起きてきて、神仏習合と神仏隔離の二方向が認められるという論旨であった。
河野訓助教授は日本に道教の影響がさまざまに浸透している事実を述べられた。道教や道家の教団としての成立は5世紀とされ、太平道、五斗米道などの教団についてもふれられた。私は佐賀県の吉野ヶ里の発掘を担当した高島忠平氏(このお名前は発言の時に失念していた)が、その遺跡のある構築物を魏志倭人伝の"楼観"に比定されていることから日本にも道観があったのではと尋ねたけれども、教団成立が5世紀ということで、一蹴されてしまった。
尾藤先生は儒教は13世紀頃に思想的に神道を結びつき、江戸時代に継承されてほぼ完成、それが明治時代の「教育勅語」になった、という考えを披露された。「保建大記打聞一」と「弘道館記」および「弘道館記述義」それに私たちの世代にはなつかしい「教育勅語」をコピーされてきて、儒教道徳を神信仰と結びつけた例として挙げられ、「敬神崇儒」の流れを論じられた。日本は神国であるとし、神の意志の内容を純粋な(儒教的な)道徳とみたのが、水戸学後期の立場であったという。それは明治の新政府にも継承されたのであるという。
イタリアの国立東方学研究所長であるヴィータ教授は、16世紀中葉から17世紀中葉にかけてのキリシタン宣教と、明治以降の近代約50年の動向に着目して、第一の時期にはキリスト教側に他宗教との対話という概念が未発達で、神道はパガニズムの日本版だとみなされていたこと。カミ概念にキリスト教的(一神教的)な観念がどこまで浸透したかは問題とされている。隠れキリシタンの問題の紹介された。

深見先生はネストリウス派のキリスト教が秦河勝などにも空海・高野山の景教伝来の碑などをあげて、キリスト教の影響はもっと古いのではないかと質問。ヴィータ教授はマニ教などとともに西域から伝来していてどこまで仏教と弁別可能かが問題という。
また幕末、大国隆正が博愛などのキリスト教の影響を受けたという。超越神の存在には長崎、諏訪神社のオクンチにかくれキリシタンのマリア・イエスの八幡神社への合祀があることを指摘。のちに薗田先生が諏訪神社には諏訪大神、住吉大神、森崎大神が祀られているが、森崎大神がそれであると指摘した。また、藤井教授の「神仏分離は神道の一方的離婚宣言」というのはいいすぎで、当時のナショナリズムのせいであるとした。さらに道教について、中国の民間信仰が入ったのか、教団宗教として入ったのかは難しい問題で、道士が道術を身につけて金丹をつくるような不老長生の信仰や神仙思想もあるが、要素主義ではあまり意味がないと主張した。
河野助教授は道教は制度としては渡来していない。お札やおまじないはあるが、日本人は呪いが怖く、その恐怖から道教をそのまま導入しなかった。中国は道教、日本は神道という対比は可能だが、道教には天の概念があり、神道には高天ヶ原とか根の国というのはあるが絶対的な天はない、と述べた。
三宅善信先生は仏教については、大乗仏教が中国経由で入り、漢訳仏典のみで普及し、インドでは死者はサンサーラ(輪廻)であるが、日本では中国儒教の影響を受け、葬式仏教になった。桓武天皇より以前は女性原理であった日本が、中国かぶれの天武天皇、桓武天皇のような男性原理による天皇親政があるのではと述べた。また道教と関連して、古墳時代の祭祀がどのようであったかを知りたい。高松塚、キトラ古墳のような四神、二十八宿などが遺っていること、それは天武天皇の薄葬令でより中国風になった。まじない、たたり、憤慨して亡くなった死者の鎮魂(これは靖国神社参拝につながる)などの道狂的な信仰の影響があるのではないかと述べた。
儒教については、江戸時代の水戸学対朱子学の系譜のなかで、大政奉還をした慶喜は5ヵ条の御誓文とあわせて歴史認識は立派だとおもうと述べた。
キリスト教の日本宗教にあたえた影響は大きいという。通過儀礼の中で近世の葬式も近代の結婚式もその影響を受けている。アブラハミックな宗教は変容しているが公的にはそれを認めないようにふるまう。出家、戒律、肉食妻帯は日本化する部分である。
その他多くの発言があったが、印象に残った事項をとりあげた。
最後に國弘正雄先生がいま首相の靖国神社参拝を取り上げないではという発言があり、それを受けて四天王寺国際仏教大学の王宝平客員教授が、自身の遊就館見学の感想を述べて、靖国神社は90%の中国人が軍国主義を連想し、過去の戦争を思い出す。中国人は一万年もその恨みを忘れないだろう、と述べたのにはショックであった。"水に流す"ことで過去を忘れようとする日本人と比べて、(白髪三千丈のたとえもあるとはいえ)一万年という数字には日本と中国の文化の違いを如実に示されたような気がした。
私の個人的感想では、討論を聞いていて、現在世界を覆いつつある世俗化の動向をどうみるか、という視点が必要ではないかと考えた。私は信長の比叡山焼き討ち以後、日本は世俗化、宗教離れが始まっていると考えている。もうひとつ、青森市三内丸山の縄文遺跡のことを考えれば、5500年前からの系譜が日本人のなかに伝えられているのだから、その信仰形態は記紀よりも以前からの継承もあるのではないかと考えた。時間がなくてこのような意見を述べる機会がなかったが、梅田善美理事長がクロージング・リマークに代えて寄稿するようにということなので、措辞を書き加えることにした。
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